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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション2 スヴィトスラーフ聖歌隊 大主教『清廉なる導き手』リリウム
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2-11 ヴォーパルバニ― その5 兎狩り部隊

<首斬り兎>の正体に関するリーンズィの悲観的な未来予測は、新たに踏み込んだクヌーズオーエのそのあまりの異様さによって掻き消された。


「何だこれは……」


 崩壊した隔壁を超え、その全景を目の端に捉えた瞬間に、無意識的に荷車から飛び降りていた。

 震えながら斧槍を構えていた。

 肉体の反応に頼って意思判断すべきでは無いと忠告されたばかりではあったが、呼吸が浅くなり、甲冑の中では肌が汗をかいているのを無視できない。人工脳髄からそのような指令を出さずとも心拍数が上昇していた。異変があれば即座に飛び出していける。

 そのクヌーズオーエは徹底的に破壊されていた。これまでのクヌーズオーエが不死病の蔓延した廃墟や、汚染され、見捨てられた土地なのだとしたら、そこは都市の、巨大な死体そのものだった。

 人類の営為が築き上げた都市という巨大な生命体が、なにがしか恐ろしく巨大で抗いようのない存在と真正面から戦って敗北した、その死体だった。

 古戦場と言っても良いだろう。在りし日の平和な生活など想像出来ないほどに破壊されていた。昼の光は暗く、空気は煤けていた。少なからぬスチーム・ヘッドが蒸気機関(オルガン)の吸気ファンを停止させていた。

 数十年も前に巻き上げられた火と煙が、超自然的な力の対流によって、霧散すること無く閉じ込められているかのように思えた。


 質量弾代わりに投擲されたらしい車両が、折れて崩れかけた高層建築物の上方に突き刺さっている。建造物が砲弾あるいは物理的な打撃によって根こそぎにされているのはここでは珍しい光景では無かった。無事な建造物がまず見当たらない。場所によっては抉り取られた地表がさらに深く深く掘り下げられており、道の傍らからも穴の底が見えない。微妙な熱源の変化、二酸化炭素濃度の高さから、処理しきれなかった不死病患者たちが落とされているのだと理解できた。

 今までのクヌーズオーエでは考えられないほどに粗雑な処置だった。

 リーンズィが問い質す前に、ペーダソスが重苦しげに口を開いた。


「あんたの言いたいことは分かるよ。これはどう考えたって非人道的だ。でも穴以外に安全に不死病患者を隔離する方法はここに無かった」


 余裕が無かったのだという事実は非言語的に理解できた。

 斧槍の柄を握る手甲の下では手指が強張っている。匂い立つような争いの痕跡、肉体が想起する血と硝煙の残り香が、ヴァローナの肉体を脅かしているのだ。

 目に付く限り、砲弾や大型打撃兵器によって破壊されていない建物は無く、形あるもの全てが崩れ、おぞましいことに、そこかしこに環境閉鎖鎮静塔が乱立していた。

 一つだけでも不吉だというのに、悪性変異体が発生したその証拠が、概算で三〇基以上観測可能だ。


 形成された年月に比して、鎮静塔は巨大化する傾向にある。高さの異なる鎮静塔が無数に並んでいると言うことは、そのまま悪性変異体が跳梁していた事実と、それらを個別に封印するのにどれだけの時間を要したかを物語る。


「ここいらは厄介なカースド・リザレクターがやたら多くてな……色々と面倒だった。思い出すだけでも嫌になるね。雰囲気に飲まれて神経を磨り減らすなよ?」


 行こうぜ、と同じく下車したペーダソスに促され、猫を手放したコルト、そして荷車を引くSCAR運用システムと並んで歩き始めた。

 ロングキャットグッドナイトは意外にもこの酸鼻極まる風景を受け入れているようで、しかし荷車に残り、猫たちを合唱させて、何らかの音楽を奏でていた。

 文句を言うスチーム・ヘッドはいなかった。チープ・ユイシスには解析不能だったが、その奇妙なメロディに耳を傾けていると、昂ぶった神経が不思議と落ち着いていった。

 未知の技法で奏でられる原初の聖句。あるいは、人類が始まった頃、ことばが生まれる前の歌の真髄。

 真実の祈り、真実の鎮魂歌。

 緊張の糸をおそるおそる手放す。

 ライトブラウンの髪の少女は、深く息を吐いて、臨戦態勢を緩める。

 安全は既に確保されているのだ。神経を尖らせる必要性は無い。


 建造物群の一角には無数の鉄骨に貫かれて磔にされた<月の光に吠える者>が放置されていた。猟師によって捕らえられた人狼が、どうにも上手い処分の仕方が分からないまま放置され、標本にされているような印象を受けた。貫かれた傷口からは未だに蒸発する血液が滴っており、悪性変異が進行するか、さもなければ未だに暴れているべきなのだが、レーゲントたちが二重にも三重にも沈静化の聖句を聞かせたのだろう、歩き狼はままならぬ肉体を抱えて、しかし一つの苦鳴も漏らすこと無く、<兎狩り>部隊の行進を見送っていた。リーンズィはヴァローナの翠の瞳の倍率を変更して見開かれた狼の眼球、その開かれた瞳孔の奥を覗き込んだ。何も無い。光の射さない湖を隠す洞穴のような完全な暗黒。


「君は元気か?」とライトブラウンの髪の少女はその暗黒の鏡面宇宙に反射する自分自身に尋ねる。「私はそこまで元気ではない」


 その区画を抜けた先にある集合地点は、さらに凄絶だった。

 都市それ自体が無くなってしまっていた。

 灰色をした更地の荒野だった。

 そして、そこかしこに考え得る全てのものの残骸が打ち捨てられ、野ざらしになっている。

 さらに目を引くのは、特異な形状をした瓦礫の山だ。

 このクヌーズオーエと、次のクヌーズオーエ。瓦礫の山が、その隔壁に向かって押し固められ、明らかに人為的に積み上げられている。ジグラットの如く変形した市街地の残骸、グロテスクに押し固められたその都市の死骸には勾配がつけられており、あたかも空まで続く階段のように整備されていた。


「このあたりには変なものばかりあるな……」


「あんなのはちょっとした工作物だ」ヘルメットのバイザーを少しだけ開いて、ペーダソスは少女の瞳でウィンクする。「大分前だが、あの向こう側の区画に攻め込む際の橋頭堡になった。あっちにはここでさえ比較にならん程カースド・リザレクターが湧いていてな、毎回毎回真正面からやりあうのは無理があるっことになって、作戦を立てたんだよ。向こう側の壁の淵に連中を惹き付けて、あの高台の天辺から、叩き切ったポールや標識やらを槍みたいに投げまくったんだ。カースドリザレクターも動きさえ封じれば何とでもなるからな」


「そのためだけにあんな大規模な設備を? 建築物を何棟か解体してまで作る物か?」


「灰は灰に、塵は塵にって言うだろ。それだけじゃすまないのがクヌーズオーエだ。<再配置>に巻き込まれたら、灰でも塵でも何でも『無かったこと』にされる。余所から持ち込んだ俺らの資材も全部無くなる。そうしたら堪ったものじゃないだろ。消えてしまう場所に使う資材は、現地で調達するのが一番だ。後は何より、デカいものをこさえるのは……」


「目的や意味があるような気がした?」


 ペーダソスは「もうちょっと言い方ってもんが」と声を顰め、しかし首を振った。


「……でも、まぁな。中々達成感のある仕事だった。しかし必要性は無かったよ。どちらかというとその『何かやってる』っていう実感が欲しかったんだろう。作ってるものがデカいと、何の疑いも無く……勘違いできるからな。これで何か変わるかもしれないって。無駄だって薄々分かってるのによ」


「無駄とか勘違いとか、私はそこまでは言っていない」


「いやそこまで言ってるんだよ、あんたは。少しは自覚しろよ」


「うーん……」リーンズィは首を傾げた。「みんな、私には聞こえない言葉が聞こえている」


「後でたっぷり考えろ。人間的な時間なんて、気が狂いそうなほど待ち受けてるんだからな。今は自分という軍団(アウスラ)をどこにアサインするかを考えるのが先だ」


 その都市の死骸の山には、数百機の戦闘用スチーム・ヘッドやレーゲントが陣を敷いている。無数の部隊が永遠に朽ちることのない刃を地面に突き刺し、槍で天を指し、号令が下るのを待っている。

 一つの時代、一つの都市、去る日の正午に針を止めた時計、その針の如き剣と矛の群れ。彼らが走り出しても時代はもう進まない。

 それら凶器を積み重ねれば、玉座をも作れるかも知れない。担い手たちは例外なく命を剥奪された不死病患者であり、人工脳髄を搭載した不揃いな兜を戴き、微睡みの脳髄へ挿入された人格記録媒体が見せる終わらない白昼夢によって駆動する。これら不撓の戦士であれば、あるいは剣の玉座にすら君臨することが出来るだろう。しかし、鏡像連鎖都市クヌーズオーエは王を必要としない。

 王の存在をすらこの世界は忘却した。

 統べる意味すら疑わしい、都市の形をした、名前で縛るのがやっとの混沌。

 兵士たちは、己自身を一振りの刃に見立て、その鋭敏な神経の切っ先を、眼前の全高50mにも達する金属製隔壁へと注ぎ込んでる。

 <首斬り兎>を仕留めるために。

 いずれも劣らぬ精鋭揃いだと言うことは、チープ・ユイシスによる戦力概算を待つまでもなく理解できた。ここに集まっているのは「見つけて殺す」ことだけに特化した兵士と、「見つけて沈静化する」ことだけに特化した歌い手たちだ。

 ヘンラインが率いていたような人道と博愛について考え、実行する集団では無い。

 それら救いの手に値しないものを切り捨て、氷に閉じ込める、濡れた刃の群れである。


「しかし、これだけ強い人が揃っているなら、本当に私に居場所はないのでは?」


「単体だとまぁ無いだろうな」ペーダソスはあっさりと認めた。「アルファⅡモナルキア本体と合流しろ。何だかんだ複数で連携して動ける機体は貴重だし、それだけでも役に立つ」


「むー。私自身でこう……活躍したかった」


「『活躍したかった』が『無事で帰りたかった』にならないよう注意しろ」


 ペーダソスにそこまで言わせるのだ。おぞましい戦いになるだろう。

 だというのに、スチーム・ヘッドの兵士たちも、永遠の命で呪われたレーゲントたちも、一分の怯懦も示していない。

 リーンズィは考える。

 ミラーズに教わった知識を元に考える。

 彼らには、彼女らには、今、この時以外には、何も存在しない。

 黙示録の軍勢も裁き主に率いられた騎士たちも、この地にはついにこなかった。

 だから彼らは常に新しい戦場に居場所を求める。


 戦場へ、次の戦場へ。

 新しい苦難に、積み上げられた瓦礫の山に、約束の国の徴を探す。

 地獄へ、次の地獄へ。

 その先に本物の楽園が、永遠の安寧が待ち受けていると、信じてもいないのに。


 実際にどうなのかは知れない。だが彼らにとって、神の御国などというものは、嵐の中で戦っているときにだけ見える幻想だ。戦闘への興奮で張り詰めた空気と、糸車に載せられぬほど草臥れた眼光。特に戦うことに特化したスチーム・ヘッドたちは、幻を追い求めている。手段が目的化しているのだ。戦うために、辿り着くべき場所を探している。


 畢竟、彼らは死ぬために戦っているのだ。

 永久に死ねない体で。

 ただ、死ぬためだけに。


「何も心配は要らないのですよ」にゃーにゃー鳴く猫たちを連れたロングキャットグッドナイトが背後から語りかけてきた。「全ては聖なる猫の元へ導かれるのです。誰も病気の人ではなくふわふわの猫になって死に、暖かな毛布の中で猫たちと眠りにつくのです……」


「猫になって終わるのなら、それも構わないかも知れない」ふとした感情からリーンズィは猫のレーゲントに同調した。「この世界で一番幸せそうに見える」


「それも当然です。幸せはいつでも猫の形をしているので」


 そうなのです、聖なる猫の導きを信じるのです、と満足げに頷き、ロングキャットグッドナイトは猫の群れを率いて緊張の激しいスチーム・ヘッドに絡みにいっていた。「猫セラピーの時間です!」とのことだった。


「あの猫、マジでここまで普通に連れてきちまったけど大丈夫なんかね……」


「なにかこう……不思議な力の働きで死なないのでは?」


 ありそう、と頷き合う。


「でも人間以外で死ななくなってる生き物見たことないけどな。猫の死体とか絶対に見たくないしここで留まって欲しい」


「しかし、幸せは猫の形か」


 漠然と考える。

 世界全てがふわふわの猫になれば、それはそれで良い終わりなのだろう。


「しかし、到着したは良いが、ここからどうすればいいのか分からない……」


「俺なんかはこうして棒立ちになっているように見えて、無声通信で部下に指示出してる最中だぜ」


「私もその優秀そうな動きをしてみたい」


 チープ・ユイシスに照会を求めると、即座に『子供ですか。迷子ですか。既に本体に連絡済なので何もしないでください』と応答が来た。『思考能力が猫並みに落ちているのでは? と提言します』


「にゃー……」猫の真似をしてみた。

 ユイシスはもう何も言ってくれず、悲しかった。

 猫の真似をした事実自体をリーンズィはそっと記憶から消した。


 果たして、武装した兵士たちの間を擦り抜けて、見慣れた愛らしい影と、忌まわしい長身の兵士が歩いてきた。白痴無能のアルファⅡモナルキア・ヴォイドと、親愛なる幼き母、退廃の美と清廉なる佇まいを形なきドレスとして纏うミラーズだ。

 ミラーズはふわりとした歩みでリーンズィに纏わり付き、手指を腕に絡め、いつもと同じ笑顔で「やっと到着しましたか。お疲れ様です、リーンズィ。我が主にして我が愛し子」と囁きかけてくる。


「あっ、こいつらまた隙あらばレーゲント劇場を……」


「そちらの方は確か、マスター様、でしたか?」


「おう。この間の上級レーゲント……ミラーズだっけ? 今回はよろしくな」そうしてしげしげとミラーズの装備を眺めた。「どうして姿勢制御用蒸気噴射機なんてつけてるんだ?」


 ミラーズの装備は大きく更新されていた。

 丈の短い行進聖詠服は変わりないが、小型の蒸気機関を背負い、骨組みだけだが、準不朽素材で構築された軽量強化外骨格を装備している。

 特徴的なのは姿勢制御用の蒸気噴射孔を至る所に無数に備えている点だ。


「俺と同じ偵察用? でもないな。そのサイズの蒸気機関だと連続稼働時間が全然足りないだろうし、壁を走るとかは無理だ」


「ふふ。なかなか勇ましいドレスでしょう?」艶美に笑うミラーズの体を締め付ける無数の鋼鉄は、むしろ彼女を拘束する器具のようにも見えた。「これが何なのか、リーンズィには分かりますね?」


「……調停防疫局のエージェント、シィーが最後に装備していた蒸気甲冑の同系機だ」


 不承不承、本体とのデータリンクを回復させ、データベースを参照する。


「蒸気噴進式運動補助装置……ううん……試作品で名前が定まっていないな。頻出の名前は『高機動装備』か」


 廃村に遺棄されていたエージェント・シィー本体は、無秩序に装備の更新を行っていたように思えたが、実際にはかなり先進的な思想まで取り入れて系統立てて改修を進めていたようだ。

 単なるアルファⅡモナルキアだった頃には用途が不明な装備が多かったが、クヌーズオーエに来て得た知見を統合すれば、真の機能の一旦は理解出来た。

 あの外骨格は、おそらく平地での三次元機動を実現するための追加装備だったのだ。


「どうしてそんな装備を?」


「このドレスを纏っての剣戟こそが、シィー……あの下品で野蛮な戦士様の遺してくれたの真髄なのです」


 行進聖詠服の裾をたくし上げ、プレゼントされたレギンスに包まれた股間部をさりげなくリーンズィに見せつけるようにしながら、繊細な造形の脚をたわめ、少し焦らして軽くジャンプした。同時に装着した甲冑(ギア)から圧縮蒸気を噴射し、空中でふわりと一回転する。

 最適化は終わった後のようで、着地も手慣れた様子だった。


「それに何より。持っているのが折れたカタナが二本だけ、というのでは格好が付かないでしょう? せめて軽やかに舞えるぐらいじゃないとウンドワートさんに悪いものね?」


「ウンドワートへの対抗手段?」それでも勝負にならないだろう。対抗してピョンピョン跳ねるのだろうか。可愛い。とリーンズィは思った。「それだけではなく、何か意味があるはず」


 空中にミラーズを模したアバターが出現し、物理演算を最大にしてミラーズの耳元で「とっても綺麗でしたよ。妖精と誤認してしまいました」と睦言を囁いた。

 それからリーンズィに向き直り、『貴官の予測を肯定します』と告げる。


『これは戦闘を主眼に作成した装備ではありません。この特殊装備と剣士たるエージェント・シィーの技能が複合したとき、どのような機動が可能になるかを検証するために急造したものであると開示します』


「検証用。<首斬り兎>の、だな。ということは、やはり……」


 ミラーズは微笑む。「いずれ分かりますよ、リーンズィ。何があっても大丈夫。今は何も心配しないで?」


 背伸びをしながら両の手を伸ばしてくるミラーズに、リーンズィは躊躇いがちに抱きついた。

 その間も気分は揺らいでいた。やはり待ち受けている敵の正体は、()()なのだろうか、と、豊かな甘い香りも満足に味わえない。

 ミラーズは子猫を慰めるようにリーンズィを何度も撫でた。


「俺が邪魔な感じになってきたな。そろそろ俺も部下と合流するか」とペーダソス。「正直リーンズィだけじゃ頼りなさそうだが、三人一緒なら何とでもなるだろ」


「やっぱり出来れば私一人で活躍したかったが……」ライトブラウンの髪の少女はミラーズを抱きしめながら切なげに息を吐く。

「あんたイチャつくか世間話するかのどっちかにしろな? とにかく『無事に帰りたかった』にならんよう気をつけることだな。生きて帰ったらまたメシを食おう」


「わたしもご一緒しても?」


 艶然と笑うミラーズに「もちろんだ、でもあんまり路上でそういう抱き合ったりするの、やめてな? エスカレートしたら俺が怒られるから……」とおずおずと応える。


「マスター。ごはん、楽しみにしている」


「楽しみにしとけ。どうせ死ねないんだからな、楽しみはあった方が良い」


 ペーダソスがいなくなっても特に状況は変わらなかった。待機の時間が続いた。

 コルトは無軌道にどこかへ去ろうとするSCAR運用システムを捕まえて、そのまま沈黙していた。

 電子ネットワークを検閲しているのか、今後の作戦を確認しているのか、窺い知ることは出来ない。

 ヘルメットの下でどんな顔をしているのか、リーンズィには分からない。

 ロングキャットグッドナイトはと言えば、周囲の戦闘用スチーム・ヘッドや覚悟を決めている最中だったレーゲントを猫で誘惑し、「猫と和解するのです、猫を赦さないものは自分も許せないのです。猫と一緒に歩むのです」などと意味不明な説教をして回っていた。

 そのうち眠くなってきたのだろう、荷車の所まで戻ってきたのだが、すんすんと鼻を鳴らし、突如として電撃を浴びせられたかのように飛び上がった。


「この香り……あっ、あなたは! まさかあなたは……キジールではありませんかっ!?」


 歓喜の声を上げながら駆けてゆき、リーンズィがたじろいで場所を空けるのを行儀良く待って、そのまま子供の無邪気さで彼女へ飛びついた。


「キジール、やっと会えました! 皆さみしがっていたのですよ。孤高気取りでさみしがり屋のヴォイニッチ様も、ひとりぼっちで玉座に座るスヴィトスラーフ様も、あの小さくて愛らしいわたしたちの光、リリウム様も! みんなみんな、あなたがいなくなって、何度も何度も涙を零して、聖なる猫はそれだからわたしキャットに福音を授けたのでした!」


「おやおや、どうしたのですか?」ミラーズは柔らかに微笑み、薄い胸で彼女を受け止めた。「どちらさまでしょうか、猫のように可愛い人?」


「この心臓をくすぐる素晴らしい芳香、彩雲の淵に浮かぶ光のような翠の瞳! 覚えています、何度も夢に見たので……ああ、またあなた様の腕の中で甘えられるだなんて」


「ふふふ、寂しかったのですね。この私の矮小なる心臓の音色が、あなたの心を癒やしてくれれば良いのですが」


「はい、それはもう! キジールの穏やかな鼓動はいつだって大好きです!」


「ありがとう、とても嬉しいです、可愛らしいレーゲントさん。でもこれからとっても失礼なことを聞くから怒らないでね?」


 ミラーズは不意に声音を平坦なものに変えた。


「…………あなたは誰かしら?」


「おはようございます、ロングキャットグッドナイトです。聖なる猫の僕です」


「そうなの。レーゲントみたいだけど知らない子ね。覚えてないだけかしら」


 予想外の言葉にリーンズィは戸惑った。

 確実に二人は関係を持っていると予想していたのに、当のキジールに目立ったリアクションが無い。

 くすぐったそうに目を細めるロングキャットグッドナイトの背を撫でながら、ミラーズは何度も彼女の不死病患者の香りを確かめた。


「この香り……何となく覚えている気がするけど……でもあの子はロングキャットグッドナイトなんて名前じゃなかったはず……。そう、そうよね、顔も声も全然違うもの。違う。何と? 何が? ええと……」ミラーズは失われた記憶の輪郭に触れたのか、深く息を吸った。「ああ、肉体が覚えているのね。つまりあたし、昔、ずっとずっと昔、貴女と一緒にいたのね? なら思い出せるかも知れない。確か、確か、この香りのする花は、本当の名前は……」


 名前を言った。

 沈黙が訪れた。

 レーゲントは言った。


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 指でなぞる溝も無いほどに平坦な言葉が、その少女の喉から漏れた。


「何故そんなことを言うの?」


 ミラーズが戸惑いの声を上げる。

 ロングキャットグッドナイトが言った


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 凍てついた風が首輪型人工脳髄を撫でた。


 その冷たさでリーンズィたちはふと我に返る。


 今、誰かが何かを言っていたような錯覚を共有していたが、具体的な内容を認識することが出来ない。

 空白のその小さな輪郭をなぞり、ここに何かあったのだなと、呆と考えるしかなかった。

 気付けばロングキャットグッドナイトが傍に立っていた。

 いつからそこにいたのかは分からなかった。


 猫を抱きしめながら、長い長い言葉を言い終えた後のように見えた。

 息を整えて、儚げに笑っている。

 彼女がいかにも人間らしい表情というものを見せたのは初めてだったので、リーンズィはその愛らしさに息を呑む。

 脳裏でユイシスのアバターが無数の警告ウィンドゥを展開した。


『注意してください。未知の原初の聖句の発動を確認しました』


「原初の聖句?」咄嗟に問い返す「いつ、どこで誰が?」


『登録名称をサルベージ中。復元を完了しました。目標:


「覗き魔。猫はいます。でもあなたはチャシャ猫ではありません。だから存在しない」


 そのレーゲントは言った。


 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()


 リーンズィはユイシスの像が乱れたのを見た。

 早回しになった数秒を見逃したかのような違和感。

 数秒だけ時間が消し飛んだかのように、ユイシスの表情が変わり、立ち位置が変わり、アルファⅡモナルキア本体との通信頻度が激増している。


「どうした、ユイシス?」


『試行中。エラー。生体脳髄への情報書き込みに失敗しました。試行中。エラー。生体脳髄への情報書き込みに失敗しました。試行中。エラー。生体脳髄への情報書き込みに……』


 音飛びを起こしたレコードのように同じ言葉を繰り返すユイシスは、いつもより一層機械らしく見えた。


「私はそんな要請をしていないが……」


『生体脳髄への情報改竄の痕跡を確認しました。全試行を中断します。本事象は致命的なエラーとしてアルファⅡモナルキア本体へと転送します。当機は疲れているのかも知れませんね』


「あら、おかしなユイシス。あなたの知性には眠りが必要なのですか?」


 からかうようなミラーズの声に、するりとユイシスのアバターが滑り込む。

 同じ容姿をした二人は金色の髪を互いに弄びながら、鏡写しの自分自身を抱擁した。

 いつも通りの風景。愛し合う二人の姿。

 だというのにリーンズィは胸騒ぎを覚えた。


 何かが違う。こうではない、という猛烈な焦燥感がある。

 前後の文脈が酷く曖昧なのだ。認知機能ロックに近い事象が発生しているという漠然とした理解はあるのだが、その操作の主が誰なのか見当も付かない。

 試しに『ヴァローナの瞳』を起動させようとしたが、ぺたん、とその頭に猫の肉球が押し付けられる。


「おはようございます、ロングキャットグッドナイトです」


 猫のレーゲントはいつもの無表情だった。

 リーンズィは彼女が人間らしい表情を見せたところを知らない。

 ……そうだっただろうか?


「挨拶は基本です。おはようございます、なので」


「おはよう……」促されて、リーンズィはふにふにと黒い猫の脇腹を触る。「おはよう。という時間では、ないのでは?」


「いつでも新しい朝なのです。おはようございます、ロングキャットグッドナイトです」猫を掲げながらレーゲントは繰り返した。「猫は太陽を追って走り、夕暮れ時に遊ぶのです。猫たちにはいつでも違う朝が訪れます。皆さんにも違う朝が訪れました」


「ねぇリーンズィ、この子は一体何を言っているの? 初対面よね、あたしは?」


 ミラーズが怪訝そうに尋ねてきた。

 リーンズィは曖昧に頷きながら、不安げに周囲を見渡した。

 何か取り返しのつかない盲目の闇が眼前を通り過ぎたように思えた。

 しかしその沈黙の霧を記憶することも、検証することも、追認することも、彼女たちには不可能だった。ロングキャットグッドナイトがミラーズに抱きついた時点までは記憶していたが、それだけだ。

 否、その記憶は真実か、という問いにすら明確な回答が出来ない。

 自分より上位の意思決定者がいると考えない方が良いというコルトの忠告を思い出し、リーンズィはそのようにした。

 猫のレーゲントは、ミラーズに頭を下げた。


「ミラーズ、会えて嬉しかったです、私たちのキジール。本当に全てがちゃんと終わったのなら、また三人で新天地を目指しましょう。ずっと待っていますので。わたしキャットは、何度でも生まれ変わるので。何度でもは言い過ぎでした。九つの命があるので。この星が終わるまで、昔と同じように、新しい道を探し続けましょう。でも、それはずっとずっと先の話なので」


「えっ……と……? 何?」


 前触れも無く言葉を投げかけられて困惑していた金色の髪の少女が、不意に目を丸くした。


「この花の香り……待って、行かないで……捕まえました。失礼しますね?」


 逃げようとするロングキャットグッドナイトを猫ごと抱き寄せて、首筋や髪の香りを嗅いだ。

 レーゲントは一瞬だけ抵抗して、くすぐったそうな顔をした。

 そのうち力を抜いて、甘んじてその抱擁を受け入れた。


「ああ、そうなのね。やっぱり。あなたは……」


「また思い出したのですね。わたしキャットのことを、愛してくれていたのですね」レーゲントは切なそうな顔で、ぺろりとミラーズの頬を舐めた。「いつかあなたがミラーズでなくなったとき、約束の猫が訪れます。でもあなたが思い出すべきなのはわたしの名前では無い。だってそれは、忘れようとしても思い出せないものだから」


 猫たちが一斉に鳴き声を上げた。

 ロングキャットグッドナイトが言った。


 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () 」


「あら……?」


 金色の髪をした少女、は何かを抱きしめたような姿でいる自分に気付いた。

 そして思い出した。

 ロングキャットグッドナイトを捕まえようとして、するりと逃げられてしまったのだ。


「おはようございます、ロングキャットグッドナイトです」


 初対面だ、とミラーズは感じたようだった。

 すぐに余所行きの表情と声を作る。


「おはようございます、ロングキャットグッドナイトさん。お話はかねがね」社交用の笑みを浮かべて、首を傾げる。「気のせいかも知れませんが、私たち何回も挨拶してはおりませんか?」


「はい。覚えていないだけです。何回も何回もしておりますので」


「そうだったかしら……」


「遊んでる場合ではない」


 アルファⅡモナルキア・ヴォイドが瞼を取り除かれた眼球、黒い鏡のようなバイザーの下で低い声を発した。


「ヴォイド、君の発言は許可していない!」


 リーンズィが少女の声帯から無理に低い声を出す。


「意思決定の主体に危害が及んだとき、私の機能はバックアップとして強化される。そのレーゲントと遊んでいる場合ではないと言った。現状の自軍の配備を知るべきだ」


 いつそんな危害が、とリーンズィは釈然としない様子だったが、無言で頷いた。

 そうした事象の感知能力は遺憾ながらアルファⅡモナルキアの方が当然に高い。

 そしてあることに気付き、思わず後退りした。

 無数の目がそのヘルメットの兵士を見ていた。

 ロングキャットグッドナイトとその猫たちが、そのスチーム・ヘッドを凝視していた。

 アルファⅡモナルキア・ヴォイドと名乗る、その異郷の宇宙飛行士のような機体を。


「おはようございます、ロングキャットグッドナイトです」とレーゲントは言った。「わたしキャットを見ていましたね? あなたはどなたですか?」


「私は調停防疫局のエージェント、アルファⅡモナルキアが一機。エージェント・ヴォイドだ」その機体はそちらを一瞥もしなかった。一つの興味も持っていないと言った様子だった。「見ていない。私は眠らないだけだ」


「眠らない猫はとても苦しいので。いつか審判の猫がきっとあなたを約束の公園、温かな草原へ導くでしょう」


「私は猫では無い。誰も猫では無い。観測範囲内に猫は存在しない」


「猫は、います」レーゲントは断固として言った。「猫は、ここにいます」


「ならば、いるのだろう」


「何だか知らないけど、ケンカはいけませんよ? ほら、どこのレーゲントか知らないけど、早く行きなさい。このヘルメットくんはちょっと不安定なのです。怖い思いをさせてごめんなさい?」


 ミラーズが二人の間に割って入った。

 ロングキャットグッドナイトはミラーズをじっと見つめて、軽く猫を掲げた。哀しそうに。

 そして戦闘用スチーム・ヘッドの合間を縫ってどこかに消えていった。

 誰の目にも映っていないかのように、静かに、視線を注がれることもなく。


「猫の人はどうしたのだろう……元気が無い」


「普段はもっと元気いっぱいなの?」


「うーん、見た目的にはあまり差は無いが」


 いったいどうしたのだろう、とリーンズィは生まれて初めて『心配だ』という感情を得た。

 何が起こったのかは、何一つ記憶していなかった。



 エージェント・ヴォイドは淡々と行動を継続した。

 廃材から組んだ簡易ドローンを飛ばし、結集した軍団を俯瞰視点から撮影し、その情報をリーンズィに共有する。

 リーンズィは思考を切り替えて改めて状況と向き合った。

 見下ろせる全ての場所に重装備の兵士が存在している。

 ありあわせの、しかし無限の時を行進するガラクタども。

 永劫の冬に隔離されたクヌーズオーエに似つかわしくない色とりどりの戦闘服、カーキや森林迷彩、市街地に溶け込むためのデジタル迷彩。様々な勲章、意味のないエンブレムをぶら下げた黒い服の少女達。

 その後方や高層建築物には、大樹の如き巨躯を備える大型蒸気甲冑、スチーム・パペットたちが展開している。大型のセンサーユニットを装備し、完全自動機関銃まで含めた重火器を針鼠のように装備したこの重兵装部隊は、おそらく目前の区画、首斬り兎を閉じ込めるための広大な檻から、何者が逃げ出すのも見過ごさないだろう。

 発狂した時の嵐に飲まれて、数えきれぬ無意味な戦場を越えて、不朽の兵士は鏡像連鎖の迷宮に流れ着いた。いざ狩り場に飛び込めば、スチーム・ヘッドは鋭敏な感覚を頼りに不朽結晶の凶器を構えて駆け回り、レーゲントたちは憐憫と退廃の媚笑で感覚鈍磨と強制沈静化の聖句を高らかに歌い、パペットは有無を言わさぬ暴力で障害物を全て破壊するだろう。

 いずれにも弱兵は無い。

 無数の歴史、無数の土地、無数の終局に対面した生き証人であり、それぞれが得体の知れぬ怪物、死なないと分かっている兵士と死闘を繰り広げ、そして未だ破壊されないまま活動を続けている古強者である。

 そんな悪鬼と救世主の出来損ないどもが総計三〇〇機。

 轡を同じ方向に向け、街路という街路に整列し、号令の下る瞬間を待っている。

 まさしく錚錚たる軍勢と言えた。あるいは致命的な光景だった。不死病患者を完全に戦力化し、人工脳髄と人格記録媒体、不朽結晶連続体加工技術まで完成させた国家同士が、互いの歴史の決定的終着手として、死力を尽して激突する。これら不滅の兵士の集結は、まさにその寸前にしか現れない光景であり、後に待つのは修繕を放棄された荒廃した国土と、傷つき、救いの手を求めて彷徨い歩く死に損ないたちどもだけ。

 だが、今回の戦いに破滅の影を恐れる必要はない。人類の終局など訪れようはずも無い。この入り組み、混ざり合い、都市が都市としての形を忘れつつあるこの混迷こそが、朽ちることを許されない人類に投げかけられた唯一の道である。祈る限り、願う限り、道は無限に分岐して彼らの前に示される。

 望んだ場所に決してたどり着けないという意味では、楽園への旅路にも似ている。


「しかし、これだけの数が<首斬り兎>のためだけに必要?」


 アルファⅡモナルキア・ヴォイドは答えなかった。

 ユイシスは頭に乗せた帽子の向きを整えながら、「どれだけ必要かなんて誰にも分からないわ。初めてのことなんだもの。そうよね、ヴォイド? 初めてのことは誰にも分からない」とクスクス笑う。

 アルファⅡモナルキア・ヴォイドは、やはり答えない。


 瓦礫を積み上げたジグラッドに、奇妙な形状の巨人が上った。

 ミフレシェットこと、軍団長ファデルだった。

 情報の伝達は戦術ネットワークを介して行えば足るため、実際に演台に姿を見せる必要もないが、軍団を統べる者としての象徴的な立場としてそこにいるのだろう。


『お前ら、よく集まってくれた。細かい挨拶は抜きにしようや』


 リーンズィの人工脳髄から、生体脳の聴覚野に、ファデルの男性音声が直接書き込まれる。


『散々検討を重ねた後だし、打ち合わせも何遍重ねたか分からねぇ。何回も繰り返したことをこれ以上やるのは無駄だ』


「え」完全に初耳だったのでリーンズィは少しだけ不機嫌になった。「そうなのか? そうなの? 私は全然聞いてないぞ。君が情報をシャットアウトしていたのだろう」とヴォイドに抗弁すると、未圧縮のデータが首輪型人工脳髄に無言で転送されてきた。


 リーンズィは予期せぬ数千件の情報に数秒フリーズし、頭痛を堪えながら「無断転送はやめてほしい。以後禁止だ」とさらに抗議を重ねた。


『肝心要の仮想敵、<首斬り兎>について、情報を伏せてたのは、すまねぇ。敵の電子戦闘能力が不明だったから伝えるわけにはいかなかった。だが敵の手管はある程度割れた。全機に予想される敵のマニューバを転送する。各自よぉく検討してくれ』


 リーンズィ単体は、まだネットワークへの接続権が確立されていない。

 支援を要請すると、ユイシスのアバターが反応した。彼女が中空に手を這わせる。

 リーンズィの視界に映像窓が展開した。


 どこかのクヌーズオーエの瓦礫の山を背景にして、レーゲント風のスチーム・ヘッドが佇んでいる。高機動装備を身につけたミラーズ。最下段のボタンを外した行進聖詠服から白い下着が露出しているため、リーンズィがコルトともに市街地の調査に向かうよりも前に収録された映像だと分かる。

 両手には折れたカタナを携えており、その刃には保護用のゴムが貼り付けられていた。

 記録映像のミラーズの前に、スチーム・パペットが現れた。

 標的役であることを示すためか、頭には何故か射撃訓練用のマンターゲットを貼り付けている。

 映像上でQサインが出るや否や、少女の影が天使の翼の金色の残影を遺して消え去り、複雑な螺旋を描きながらパペットの装甲を駆け上がった。


 剣の輝きの軌跡は兎のように跳ね上がって、そのままカメラの外側へ消えた。

 切断されたマンターゲットがひらりと舞い落ち、検証に協力していた他の戦闘用スチーム・ヘッドの首がごろりと転げ落ちた。

 画面には退廃の美の芳香を漂わせるミラーズの微笑みが大写しになり、その後ろで技術者たちが落ちた首を拾って機械的に戦闘用スチーム・ヘッドたちの胴体に載せ、映像は終わる。


『今回は調停防疫局のエージェント、ミラーズに協力を要請した。<首斬り兎>に該当する可能性が一番高い機体とおそらく同じ技術を持ってるからってのが理由だな。詳細は端折るが彼女は俺が知る限り、スチーム・ヘッドでは最強の近接戦闘機、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 シィーってあのファデルがたまに名前出すやつか、とスチーム・ヘッドたちが話しているのが聞こえる。実在してたのか。

 映像は何度も繰り返された。

 どうしても、オーバードライブに突入した機体が、何か格闘攻撃を仕掛けて離脱した、ということしか分からない。


『おめぇらに見てもらってる映像は「襲われた連中の証言を総合して再構築した首斬り兎の戦闘機動」だ。センサーの感知範囲外からいきなりオーバードライブで突っ込んできて、暴れ回って離脱するってのが常套手段みてぇなんだよな。ケルビムウェポンも積んでるみたいだがそこはそれ。次はスローモーションにするぞ』


 引き延ばされた時間の中でもミラーズの動きは流麗だった。

 髪をいつものように翼のように棚引かせ、姿勢を低くしながらパペットの足下に滑り込み、擦れ違いざま、比較的構造の脆弱な関節部を刃で撫でる。

 ゴムで覆われていなければこのパペットは両足での移動能力を喪失していたはずだ。

 続けて手近な装甲部に指を引っかけて体を跳ね上げ、装甲の隙間を突き刺しつつ死角へ跳躍。

 蒸気噴射を利用して空中で停止し、姿勢制御を繰り返して再度接近。

 その超絶技巧と言う他無い奇々怪々なマニューバを繰り返して頭頂部へと向かっていき、破壊出来そうな箇所に全て刃を当て、側頭部に着地した。


 そこから地表でまだ何が起きているのか理解していないスチーム・ヘッドたちに狙いを変える。

 跳躍力と蒸気噴射の両方を活かして瞬く間に下降。アスファルトをブーツで擦りながら細い脚を振り回し、カウンターウェイトとして身体運動を制御。

 同時に進路上のスチーム・ヘッドたちの首を切断していく。

 刃はゴムで覆われたままなので、叩き切ると言うよりはへし折って千切っているというのが実態である。


『こんな調子で蒸気噴射推進と跳躍を活かして速攻を決めるのが、想定される<首斬り兎>の戦闘機動だ』


 リーンズィは絶句した。


「み、ミラーズのぱんつが全機体へ配信されている……!」


「そこに注目されると照れるわね」ミラーズは頬を赤らめた。「あ、私はユイシスとリーンズィ専用だから、心配しないでくださいね? 言い寄られたりしてませんし、応えませんよ?」


> この程度ならこれまでに何十機も被害に遭うことはなかったはずだ。


 と戦闘用スチーム・ヘッドの一機が問いを投げかけた。ファデルは『それだ』と頷いた。


『いくら奇襲を仕掛けてきて、一瞬で勝負を決められるとは言え、こんな手を何度も食うとは俺も思えねぇ。だから現実にはこれよりもかなりキツいオーバードライブで突っ込んできて、部隊の死角を跳ね回りながら斬りまくるんだと思う』


> そんなことが可能なのか? いや理論上は可能だろうが。


『俺ぁこういう動きで、パペット・ヘッドの混成小隊を全破壊した兵士を知ってんだ。その人とまた違うクヌーズオーエで戦っていたこともある』


> ローニンの旦那だな。


『ああ。調停防疫局のエージェント、ローニンの旦那、シィーだ。俺が最強のスチーム・ヘッドだと思ってる人だ。強さだけでいやぁ、ウンドワートのが上かもだが。あの人も<時の欠片に触れた者>に敗北しちまったにせよ、大物食いと特殊機動についてはマジモンの天才だった。他にこんな動きが出来るやつが何人もいるとは思えねぇ。

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 やはりか、とリーンズィは肩を落とした。大丈夫よ、とミラーズが寄り添って、その腕を胸に抱いてくれなければ、もっと明確に戦意を喪失していたかも知れない。


> 本人ではないのか?


『俺の歴史では跡形も無くなっちまったし、違う経歴の存在だろ』


「……こちら、アルファⅡモナルキアだ。補足をさせてもらいたい」とユイシス経由でリーンズィ。「我々は都市の外側で、彼の実体を発見し、彼からの要請に基づいて、人格記録媒体の処分を行っている。同位体という可能性も無くはないが、現状だとそのまま本人だとは考えたくない。レコードも確認したが、闇雲に他者を襲う性向は無かった」


『まさにそこだ。あの人は経験値が高いし、無用な戦いは避けるはずなんだよ。負ける確率も結構在るしな。だが今回の件では場当たり的に、食い詰めた犯罪者の方がまだ計画的だってぐらい、雑に襲いまくってる。だから丸きりの本人では無いだろうというのがオレの考えだぁな。この都市によって粗雑にコピーされた存在である、そういう可能性は高ぇと思う。あの人も結構長いことクヌーズオーエにいたからな』


> 誇張表現で無く、君の語ってきた経歴は事実なのか。


『高倍率オーバードライブとあらゆる戦闘に適応可能な歴戦の記憶、そして戦い続け、生き残り、目的を果たすために次の天地を目指すという執念に取り付かれた機体だ。味方に回せば軍神様だが、敵に回したら殆ど地獄だぜ。その地獄と戦わなくちゃならねぇわけだ』


> そこまでの機体とは思えない。


『一人でクヌーズオーエに展開していたパペット部隊を壊滅させたこともあるんだぜ。ブートレグでも油断は出来ねぇ。今までは俺らの包囲を警戒を逃げ回ってたみたいだが、今回は完璧に仕留める。これだけ数を揃えれば、監視網からも逃げられねぇはずだ。今頃は、その辺で潜伏しているはずだ』


> どうして敵対者がシィーである可能性を提示しなかった。


『可能性は常に考えてた。でも視覚的な実例を示さないままたぶんこいつだつっても説得力無いだろ』


「根本的な問題なんだが」この声には聞き覚えがある。マルボロと呼ばれていたスチーム・ヘッドだ。「俺らもやつの所在を確定できないよな。この辺のどっかにいるってだけで。そこはどうするんだ」


「いつものやり方だ。敢えて入り込みやすい地区を作成し、そこに敵を誘い込む」


> 反対する。


 どこかのスチーム・ヘッドが言った。同意の声が次々に湧き上がった。


> 彼女は限界に近い。他に手段がある筈だ。


「……他に手段があるにせよ無いにせよ、私が手を汚すのが最適解だよ」


 SCAR運用システムに手を触れながら、純白のヘルメットで顔を覆ったガンマン風の女、コルトが応えた。


「私がこの真正面の都市を焼却して、再配置を誘発し、まっさらで危険のないクヌーズオーエを作る。<首斬り兎>がここなら安心だと思える場所を提供してあげようじゃないか」


 誰も何も言わなかった。

 コルトの周囲にいた機体は、見ていられないと言った様子で目を背けた。

 コルトは肩を竦めた。


「そんなに怖がられると私も傷つくよ。何度も発動するところを観てきたじゃないか」


「そうじゃねえ、そうじゃねえよ」とある戦闘用スチーム・ヘッドが言った。「怖いのはそれじゃない。あんたは……もうそういうことしなくて良いんじゃないか? ネットワークの検閲だけで……」


「では、他に何をしろと言うのかな?」


 SCAR運用システムの重内燃が甲高い駆動音を上げ始めた。鯨の群れの鳴き声が如き、掻き毟るような透き通った大音声。蕾の如き機体上部の構造物に光が灯り、刃物を好む拷問吏に傷つけられた肌の如く継ぎ目から流血の赤が漏れ始めた。

 穏やかにコルトは呟いた。


「そのための大量破壊用蒸気機関、『虐殺機関ジェノサイダルオルガン』。そのための自律トリガーとしての私じゃないか。そうだろう、皆?」


 リーンズィの視界に無数の警告が表示される。

 あまりにも数が多いため、理解が追いつかない。

 ミラーズも同様なのだろうが、無意識的にか、その手は腰のカタナ・ホルダーへ伸ばされていた。

 ライトブラウンの髪の少女の額を、汗が一筋流れた。


「【危険】……【即時退避、もしくは目標の機能停止を推奨】……どういうことだ? どういうこと?」


 金色の髪をしたユイシスが凍てついた声音で告げる。


『生命管制より警告……人類文化継承連帯製アルファⅠ改型SCAR、()()()()()()()()()()()を確認しました』


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