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電気巨猫(BIG ELECTRIC CAT)

 曲がりくねった街路を抜けてポーリンが僕らを連れてきたのは、ちょうど墓地を思わせるような鉄柵状になった門扉の前だった。彼女が逃げ帰った時のままなのだろう、扉は片側が外向きに開かれ、街路に向かって突きだした状態になっていた。


 その奥、異教じみた礼拝堂のような場所の奥に、さらに地下へと続く階段があったのだ。


「驚いた……ジェイコブのやつ、よくこんな所を見つけたもんだ」


「偶然だったらしいよ……一緒に潜る仲間がそろわない時なんかにね、一人でコツコツとこの街の、『ニュート』たちの寄り付かない場所を調べてたんだって」


 ――なるほど、彼らしい。


「ジェイコブは、そういう慎重でまめなところがあるからな……」


 子供のころ、彼の抜かりなく寸暇をも無駄にしない性格に、何度助けられたかわからない。だから今度は、僕が彼を助ける番だ。


 かび臭い空気のこもった階段を、足元を確かめながら降りていく。ざっと三十段ほど降りたところで、僕たちはその新しい未知の階層に降り立った。上層(うえ)にあった街と違って、空気は幾分よどんで温かく、そして乾燥していた。


 強いカーブのついたアーチが幾重にも交差した天井は漆喰で塗り上げられているように見え、色の違う石材を交互に組んだ柱と壁には、等間隔に並んだガラス製の壜のようなものが掛けられている。

 その壜の中には、どういう原理かは分からないが灯油ランプの炎よりも細く、それでいて何倍も強い光が揺らぐこともなく灯っていた。


 そして、その光に照らされて壁に、床に、複雑怪奇な影のつづれ織りを作りだしているもの――それは、通路のあちこちに立て掛けられ壁につるされた、どこか遠い異国の、或いは遥かな過去の時代のものと思われる甲冑や刀剣、装飾された櫃や箱といった、いかにも値打ちのありそうな工芸品の数々だった。


「凄い……詳しいことは分からないけど、この武具類は結構な値打ちものがあるんじゃないかな」


「どうかしら。ただ古いだけのものも多いみたいだし、いくつかは名品があるとしても、時間をかけないと鑑定は難しいでしょうね」


 それよりも、と、ニーナは壁のくぼみに置かれた金銅製の小箱を指さした。これといった特徴のない簡素な造りのものだが――


「こっちを持って帰るのをお勧めするわ。だいたい五百年くらい前の文箱よ、中身が残っていればまず貴重品」


「よくそんな一目でわかるね……」


 ポーリンがため息をついた。僕も同感だ――一体、ニーナはどれだけの知識をあの頭の中に蓄えているのか。


「……あとにしよう。ジェイコブに限ってそんなことは、と思いたいけど、閉じ込められて三日もたったら、絶望して自分で命を絶つことだってありうる。早く助け出さなきゃ」


 ぶるぶると首を振って壁から顔を背け、ポーリンのすぐ後ろに追いすがるにようにして再び歩きだす。どこからか、魚を炙った時のような不快な臭いが漂ってきた。


「ねえ、この臭いは……」


「……覚悟しておくしかないわ」


 いくつかの曲がり角を越えて進むと、一辺が十ロッド(※)程の大きな広間に出た。異臭はここに近づくにつれて強くなり、豚肉の腐ったようなひどい臭いが立ち来込めているのだとわかった。

 そして、臭いの元がそこにあった。無残に食い荒らされ、わずかに肉が残された骨と、その周りに散乱した革製の防具。へし折れた剣に、斧。あたりに飛び散っている黒いしみは、たぶん血液だ。


 ジェイコブを裏切った二人の戦士、カイルとゲドルフの末路に違いなかった。


「これは、ひどい」


 エリンハイドが口元をゆがめて苦笑いする。こちらは苦笑いどころではなかった。せっかく食べた美味い肉が、その記憶もろとも喉元に逆流して体から逃げ出しそうになる。


「我慢しなさい。吐いてる余裕はたぶんないわよ……ほら、あそこ」


 ハンカチを片手に口元を覆い、ニーナが手にした杖で前方を指し示す。そこには石壁にはめ込まれた鉄の扉と、押し下げられた重そうなレバーがあった。おそらく、そこがジェイコブを閉じ込めた即席の牢獄――その少し奥の床に、悠然と寝そべる巨大な黒い影があった。


 雷鳴巨猫(パーロウル)だ。見た目はその辺の飼い猫と大差ない。

 ただし、恐ろしい大きさだ。鼻先から尻尾の付け根まで、ざっと一ロッドはあろうか。首筋は太くがっしりしていて、咬みつく力の強大さを暗示しているようだ。


「寝ててくれるといいんだけどな……」


「そうもいかないようです」


 エリンハイドがため息をついた。僕にもわかった。雷鳴巨猫(パーロウル)は敏感に僕らの接近を察知し、薄目を開けてこちらを見た。ヒスイの薄片のように見えたそれが、次の瞬間にはらんらんと光り輝く緑色の月のようになった。太くしなやかな前足が一歩踏み出され、体の後ろで二本の太綱のような尻尾がうねった。


「来るわ……!」


 ポーリンの声が恐怖にひきつった。彼女は一度あの前足に掠められ、かろうじて九死に一生を得ているのだ。


「正面から戦っても殺されるだけよ! 散開して!」


 そう言いながらニーナは杖を盾のように構え、一歩踏み出した。


「だけど、ニーナ! 君は……」


 どうするつもりだ、と叫ぼうとしたその時。彼女の手元から黒っぽい小さなものが数個、前方へ投げられた。カチン、キン、と鋭い音が断続し、それが鉄の小球であることが分かる。


 雷鳴巨猫(パーロウル)はそれを怪訝そうに見つめると、つまらなそうに打ち捨てて前進した。こちらを警戒しているのか、慎重な動きだ。体をゆすり、尻尾をこちらへ振って――


「……鉄棘の杭(ソーンド・パイル)!」


 つぶやくような短い詠唱の後に、ニーナは高らかに結句を唱えた。刹那、鉄球は形を変えて巨大に膨れ上がり、一瞬で鉄菱のようなまがまがしい姿に成長を遂げた。

 猫は敏捷な動きで直撃を避けている。だが、いくつかの棘が黒い毛皮を引き裂き、無視できない手傷を負わせていた。ニーナは襟元に着けた飾りピンを抜き取ると、今度はそれを触媒に何かの魔法を使う様子だった。


 猫の尻尾から稲妻さながらに電光がほとばしり、ニーナを撃つかに見えた。だがその瞬間、彼女の詠唱が結ばれる。


避雷陣(グラウンド)!!」


 磨かれた銅でできた指揮杖のような竿が、床から三本現れた。生き物のように伸び上がったその先端には、緑色の石が埋め込まれていて、火花がまとわりついている。

 雷鳴巨猫(パーロウル)の放った雷撃は指揮杖に誘導され、そこから床へと伝って霧散した。


「今よ! あの電撃は放った後、次を撃つまでに時間がかかるわ。その間に!!」

 

 言いながらポケットから出した壜を床にたたきつける。単音節の詠唱とともにそこから旋風が巻き起こり、立ち込めた腐臭が吹き飛ばされた。


「凄っ……何もんなのよ、あんた!?」


 目を丸くしながらもポーリンは短剣を構えて走った。僕も盾と剣を構えて走る。ニーナの魔法のおかげで、呼吸にはもう何の苦もない。


 旋風の後にはさわやかな香りすら漂っていた。

(※)ロッド:この世界の長さの単位。メートル法に換算すれば1ロッドは約3.2メートル。制定された時代の平均的な男子の身長の約二倍であり、慣用的に半ロッドと言えば「男の体」のイメージを伴う。

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