34話
「シシー」
シェアハウスの自室から出たところで、音に気づいたララにシシーは呼び止められた。少し時間に余裕を持って目的地に着く予定であるが、あまり遊んでいる場合ではない。それに真剣勝負をしに行く。体力は使いたくない。
「悪い。今夜は用事がある。帰ってきたらーー」
と否定したところで、いつものように唇を塞がれる。
「んっ」
共有の場であるため、あまりこういうことをしたくないのだが、とりあえず気のすむまで放置する。約一〇秒後、離れる。
「もういいか? 行ってくる」
特に精神に乱れはない。この程度なら何度もしているし、気にするほどでもない。たぶん、誰とでもそう。
「楽しそうね」
気に入らない、という意味も孕んでいそうな一言が、形のいいララの唇から、途中の空気を伝わり、シシーの耳まで泳ぐ。
なにを拗ねてるんだ? と口には出さないが、若干呆れ気味にシシーは返す。
「今からつまらない用事をしてくる」
こんなことをしている時間はない。大金とその他諸々を賭けて大勝負をしてくる。そっちに頭を使いたいシシーは、さっさとすませて向かいたいのだが、ララは引いてくれない。少し甘やかしすぎたかな、と内心反省する。
「最近、いつも上の空だし」
「元から嫌々やってるからな。楽しいと思ったことなんて一度もない」
事実である。ここまで言われて引かないララも相当なものだ。お金のためとはいえ、体を預けすぎたからか、相当心酔してしまった様子に思える。
たしかに最近はモデルの仕事も手につかない。早く帰って、シシー・リーフェンシュタールに溺れてしまいたい、としか考えていない。出会う人間全てが、顔のない人形のようにも思えて仕方ない。もし、今、シシーがいなくなってしまったら、自分はどうなってしまうのか。そんなことを考えてしまう。
「約束、覚えてないの?」
お金を渡す代わりに、全てを委ねてもらうこと。もちろん、そこに愛はあるのかと言われれば、向こうからはなかっただろう。それでもよかった。彼女の身体を全て好きにできたのだから。あの瞬間だけは、たとえ今後石油を掘り当てても、月に着陸しても、数億年前のビルマ琥珀を手に入れても、それに敵わない至福の時間だった。が。
「一週間限定だったんだ。今してるのは、あの約束とは違う。負けたから仕方なく、だ」
愛するこの人には、全く響いていない。自分と逢瀬を重ねるのは罰でしかない。
「そう」
「そうだ。もう行くから。今日は負けないから、先に寝てなよ」
優しくされたら嫌いになれないのに。
「勝つから。朝食も買ってくる。そしたら明日はーー」
と、言いかけて、
「行ってくる」
明日は、なんだったのだろう。あの子の中身だけ、ほんの少しでいいから別物になってくれれば。そんなことを考えながら、ララは見送った。
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