324話
「今のところ、なんの変化もないな。毒の中身、聞いておけばよかったか」
負けた。しかしどこか心は晴れ晴れしたシーウェン。もう毒蜂ではない。ただのシュ・シーウェン。プロのチェスプレーヤー。肩書きが軽くなった。心なしか笑みまで溢しながら、深夜だというのにまだ騒がしさのあるパリを歩く。
ケティも。ララも。守ることができた。その結果に今は満足している。死も覚悟していた。今まで何人もの相手を再起不能にしたのだから。自分だけ罰は受けたくない、なんて通じるわけがない。それくらいはあってもしょうがない、といつの間にか諦めていた。
だが、死ぬわけにはいかない、と感じた。そして今がチャンスだった。生活に支障をきたす程度なら。喜んで受け入れる。
『酔拳2』のように工業用アルコールでもなさそう。ということは最後に気が狂うこともないか。あれは賛否両論だが自分は好きだ。いや、なにを考えているんだ自分。こんなに頬を緩めて。負けたんだぞ。悔しがれ。反省しろ。お前はチェスで稼いでいるんだから。
「……最後に、ララに会っておけばよかったか」
今からバーにでも行けば会えるかもしれない。いや、会ったところでなにを話す。なにを……自慢ではないが、話すのはあまり得意ではない。結局聞いてばかりかもしれない。でもそれでもいい。友人と遅い青春を味わうのも。また。でもどうせ行動しないのは自分でもわかっている。
「浮かれているな、自分」
明日からどうしようか。大事をとって休むか。料理の勉強もしないと。中国に帰るのであれば、施設に連絡も入れよう。お土産はなにがいいか。というかFIDEの大会もある。もう一度研究をし直そうか。スタニスラフ・クドリャショフに次は勝つ。
やりたいことがたくさんある。憑き物が落ちた、というより、憑き物が喉に引っかかって言えなかったことが言えるようになった気がする。毒の影響で体調不良か。それが落ち着いたら、ケティと一緒に中国へ旅行にでも行こう。旅行か帰郷か、どっちでもいい。
ララ・ロイヴェリク。もう一度だけやはり会って話をしたいが、そうなるとギフトビーネも付いてきそうだ。「もう会うこともない」とカッコよく別れたんだ。それはそれで恥ずかしい。やはり会うのは無し。いつか。どこかで会えたら——。
「遅くなった。起きてるのか?」
マンションに帰宅したシーウェン。ドアの向こうはライトが点いている。アールデコの吊り下げライト。色々とDIYをして、納得のいくものにした。もう深夜だというのに。とはいえ、あいつも夜中によく出歩いていたようだから、そこは姉妹か、と納得。




