320話
どうも対局はこのまま終わるらしい。安心したような、少し寂しいような。もしなにかまだあるなら。ぜひ見てみたかったドゥ・ファン。
「……そうか。なら私がやることはひとつ」
手番は黒。そう宣言すると、突然。
自身のキングを。倒した。
コトッ、という音がフロア内に反響する。
「……は?」
まず、その状況に混じり気のない「……なにやってんの?」という感想が声に出たのはグウェンドリン。キングを倒す。ということはつまり。
ようやく、全ての緊張の糸を断ち切れた。そんな清々しい、明瞭とした発声でドゥ・ファンは、
「リザイン。私の負けだ」
と現状を解説する。
チェスでは様々な降参表明ができる。握手を求める、口頭で「リザイン」と宣言する、キングを倒す、など。どれでも問題ないが、当然ながらそれは勝ち目のない側の行動であり。この対局であれば白が手番でやる行動となる。
離れたカウンターから見守っていたグウェンドリンが、急ぎでこの場まで駆けつける。目は泳ぎ、まだ状況が完全に把握できていない。
「ちょ、ちょっと待ってください? リザイン? リザインて、降参ってことです、か?」
これは指導対局でもなければ、ただの野試合というわけでもない。大規模な、違法な賭け対局である。負けたほうは失うものがある。それなのに?
不愉快、とでも言うかのようにドゥ・ファンは腕を組んで再度確認。
「くどいぞ。私の負け。ギフトビーネの勝ち。それ以外になにがある?」
この対局は、結局のところ二人だけのもの。他が口を挟めるものではない。それはアラブの石油王だろうが、アメリカの大統領だろうが変わらない。片方が負けを認めたらそれまでなのである。
とはいえ、一方的に勝ちを与えられたシシーとしても、まだ完全には受け止めきれていない。明らかな負け試合。突然に勝利が舞い込んできたというものは、中々に咀嚼に時間のかかるもの。
「……なぜだ? 話を聞こう」
嬉しい、そんな感情はまだ降りてこない。ただただ困惑。
まぁ、そうなるか。一定の理解を示しつつも、ドゥ・ファンは自分なりの理論を押し通す。譲ることはできない。
「話もなにも。私はもう充分楽しんだ。そもそもがお前の勝ちだ。普通にやっていたら負けていた。あとは私のプライド。準備も実力のうちだ。お前のほうが強かった。それだけ」
「なら引き分けでもう一局やるかい? 問題ないだろう」
勝ち目はないとしても。この対局の美しさが損なわれてしまうとしても。それでも一定の溜飲は下がるだろう。シシーの提案。




