205話
一九世紀。パリに流れるセーヌ川左岸のオデオン周辺。その対岸である右岸の地価は比較的安く、そこを狙い出版社を創設した者がいた。その内部には印刷所や書店を併設したりと、当時を考えてもかなり意欲的な建物。三階建てで吹き抜けの広々とした空間。
ジョルジュ・サンドやヴィクトル・ユーゴーらを扱っていたこの出版社はその後、この場所は魂を受け継ぐ者が当時の面影を残しつつも、新たな使い方を模索した。一階は書棚などはそのままに、バーカウンターを設置し、その背後にはボトル。店員がいる。
その他、フロアの壁の書棚には実際の古い書物やインテリアが置かれ、オシャレな雰囲気に一役買い、テーブルやソファー席なども多く設置する、人気の隠れ家的カフェ。時期に合わせてクリスマスのガーランドなども。
その壁を背にした一席。コーヒーの湯気をくゆらせながら、携帯を操作するシシー。当然、写真を撮影してSNS、という性格ではない。その連絡相手はサーシャ。頼み事は完了した模様。ここから彼女達の夜が始まる。が、その前に。
「グウェンドリン・グラシエットさんだね? 話そう。こっちのことはよくわからないからね」
「……!」
テーブルをひとつ挟み座る、キャスケットを目深に被った女性に声をかけた。カーキ色のロングコート。同じように携帯を操作している。その人物が手を止めた。唇を噛む。
しかし落ち着いた様子でコーヒーを楽しむシシーは、宥めるように優しい口調。
「すまない、驚かせてしまったかな。モンフェルナ学園に通う生徒は全て顔と名前は把握している。記憶するのは得意でね」
写真にはなかったピアスにも言及。似合っているよ、と付け加える。
明らかな動揺。呼吸を深く。心臓が跳ねる。グウェンドリン、と呼ばれた少女の頭の中は散らかったまま。
「……ちょっと、待ってくださいね……」
整理。整理しよう。ウチの生徒を全員……覚えている? だって、何人いるか、通っている生徒どころか教師も把握していないだろう。それを……全部覚えた。いや、待て。ということは——
「当然、レティシア・キャロルさんのことも知っていた。彼女は素敵だね。写真も美人ではあったが、今のほうが好きだ。恋をしている女性は、より輝いて見える。それの影響かな?」
撮影したあとに愛する人に出会ったんだろう、ということはこの二ヶ月以内ほどか。九月の新学年に上がったあとの写真。そこからの変化。予想を立てる。
なん……だろう、この人は。覚えた? そんなこと、不可能な……はず。絶句しつつも、中庭でのことを思い出すグウェンドリン。その話を持ち出すということは。
「そこから自分に気づいていたんですか……」
隠れて見ていたことに。この人は。どうやって。




