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186話

 なんで? お金持ちなら、お金で解決できるんじゃないの? いい治療とか。いい先生とか。ほら。ほら。


「難病でね。数百万人にひとり程度らしい病気の、さらに珍しい型。マルチプルスルファターゼ欠損症ってのらしいわ」


 よくわかんないけど。もう諦めているらしく、姉の言葉に感情はない。今の医療技術でもなにも手が出せない。よくて寝たきりのまま延命。それは可哀想、と月並みな感想で措置は検討していないらしい。


 脳が思考を停止したサーシャは絶句する。そっか、とつられて諦める。が、いやいや、と否定した。


 彼女は、リディアはどう思ってるんだろう。それでいいのか、寝たきりだとしても延命はしないということについて。というか。本当に諦めている?


「知らないわ。でも伝えてはあるし、本人も了承してる。それよりそんなことどうでもよくて」


 姉、たしかフェリシタス、とかそんな名前だった。フェリシタス・シュミット。今更思い出した。その彼女は妹を『そんなこと』と端にどけて、自らの性欲に走ろうとしている。服を脱ぎ散らかし、キスをしながら相手を押し倒す。


 天井を見ながらサーシャは、なんでだろう、と思う反面、引きずることなくその時まで、できるだけいつも通りに振る舞うようにしているんじゃないか。そんな心の『隙間』が見えた気もした。誰も責めることなど、やはりできない。


 自身の家庭に深く踏み込んだ話。思うところがあったのか、つまらなそうな表情のフェリシタスが一応付け加える。


「……長く生きることができても二〇歳前後まで。どう頑張ってもあと七、八年しか生きられないし、それより先、数年以内に完全に寝たきりになる。そして、顔も骨も変形して、皮膚は魚の鱗のようにボロボロと剥がれ落ちていく」


 そんな状態で。死ぬまで待つ。それならいっそ。それがリディアの、家族の願いでもある。


 天井を見たまま。言葉が右から左へ流れていくサーシャ。そうなんだ、と適当な返事。


「入院費だって安くない。ウチはまぁまぁ裕福なほうだけど、そんな湯水のように使えるほどのものじゃない。色々考えた結果」


 ……なんとなく、フェリシタスも今日はそういう気分じゃなくなってきた。性欲はある。サーシャを縛り付けて。目隠しして。欲はあるのに、なんというか、体が逆方向に向いているような。おもむろに横に寝てみる。目が合う。


 寝たきりになってから、七、八年は生きるかもしれないし、半年後には亡くなってしまうかもしれない。誰も、それこそ世界的な権威のある医師が診てもわからない。ほとんど症例がなく、判断基準に乏しい。


 ようやく、サーシャの脳が『今』に追いついた。ということはリディアはそれを知りながら。あんなにも笑顔で。元気で。はしゃいでいたわけで。自分が自分じゃなくなる病気。どんな気持ちで。


「まぁ、サーシャが気に病むようなことじゃない。誰にもどうしようもない。神様だけ」


 もうとっくにフェリシタスは諦めた。再度、今、諦める。するとやっぱり性欲は高まってくる。だけど今日は。今日だけは。優しく無表情のサーシャを抱きしめただけで終わった。

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