6 深夜・トードリア
トードリアの冬は長く、寒い。夜も長い。
暖炉には松の薪がくべられ、火の管理には女官が一人着いている。
ランプがいくつもつけられて、室内は火の効果で明るい。
この部屋は本来、個人の時間を過ごしたり、食事をとり、親密なものと過ごす空間であるが、今の様相はそうではない。
机には書類が積まれ、優雅な草花を染め出した壁紙を傷つけて、何枚も地図が鋲で貼り付けてあり、細かな書き付けをした紙片がその上から更に留められている。
客用のテーブルと椅子にも、それぞれ本や書類、丸められた絵や、額に入った各国の王族の肖像画謎が無造作に置かれ、床にまでそれは溢れている。
深夜である。
リブロ・ゼロネームは、遅い時間にもかかわらず、淡々と書類を審査し、情報を読み取り、必要があれば指示と命令を二枚書く。一枚は必ず自分の元に取っておく。本来は書記の仕事であるが、リブロには書記が与えられていない。
トードリアは大国であり、血筋や家柄を重んじるものたちが中枢におり、根回しや陰謀が跋扈する魔窟と化している。
トードリア王は賢君であるが、王ですらそのものたちを御せてはいない。
ましてや、世継ぎのジオラルドが突然行方不明になってからの王の消沈は甚だしく、国政への関わりは減少した。
そこで頭角を現したのが、リブロ・ゼロネームであった。
王族の傍流ではあるが、軽んじられていたゼロネーム家からの傑物である。
年は若いものの、政治の能力はずば抜けて高い。
知識も決断力もあり、新しい発想で、いくつもの困難を解決した。
トードリアは、リブロ一人で変わった。重要な歯車を一つ加えただけで、巨大な機構が動き出すように。
昔からの大臣たちは、ある程度仕事を任され、自尊心を満たし、なんのかんのと名目をつけて、リブロに領地または金品を渡されて、それで満足することにした。
もちろん満足しないものたちもいた。
本来であれば、ジオラルド陛下がリブロの場所にいたはずだったのに。
行方が分からなくなったとき、一緒にいた魔法使いは、ゼロネーム家付のタロットワーク一族のものだというではないか。
これはリブロ・ゼロネームの謀略である。
そう声高に言うものももちろんいたが、リブロも、もちろんサリタ・タロットワークもそうだと言うわけもなかった。
ジオラルドがいなくなってすぐ、トードリアは大雨による被害に見舞われた。
誰も責任を取りたくないが故の空転する会議の中、全て自分の責任で対策を立てさせてほしい、何より国民の命が優先である、事態が収束した暁には、結果がどうあれ、差し出がましい青二才として、独断で行動をした、功に焦った愚か者として、如何様にも処罰して構わない、だから、陛下の右腕として働く資格と権限を寄越せと咆吼したのが、リブロ・ゼロネームである。
リブロの活躍はすさまじく、王もその働きを認めた。
大臣たちは面白くなく歯がみをしたが、なに、考え方を変えればよい、面倒なことはあやつにまかせ、我らはゆるりとやらせてもらおう、と、誰かが言い出して、流れは変わった。
もちろんそれはリブロの仕込みであったが、ともあれ、今やゼロネームはトードリアになくてはならない人物となったのは確かである。
リブロの活躍と共に、ジオラルド王子失踪の追求もゆるんでしまった。
犯人ではないかと囁かれた、サリタ・タロットワークは何も語らなかった。
何を問われても、
「気がついたらジオラルド殿下はどこにもおられませんでした」
と言うのみであった。
自白の薬を自ら飲んですらそうであったし、リブロ付の魔法使いとして、サリタ・タロットワークは独自の魔法を使い、また、タロットワーク一族のつながりで、他の魔法使いたちと協力し、大きい魔法を使うこともあった。
「ジオラルドは無事で生きておるのか」
と、直裁に王に訊かれたことが、リブロはあったが、
「私も心からそうであってほしいと願っております」
と返答するのみであった。
風が強くなってきた。
城の中にいても、それはわかる。外は吹雪であろう。
リブロは書類を書く手を止め、ペンをペン立てに立てると溜息を吐いて、黒い長い髪を乱すように頭を掻く。暖炉番の女官に言った。
「人払いを。それと、タロットワークを呼んでくれ」
女官は暖炉前の椅子から立ち上がり、礼をする。
「畏れながらリブロさま」
女官の言葉にリブロは苦笑する。何を言われるか分かっている。
「なんだ。言ってご覧」
つややかな声に女官は胸をときめかせながら、叱咤を覚悟しながら言う。
「タロットワークさまとの御用がお済みになられましたら、どうかどうかお食事をなさっていただけませんか」
リブロは黙っている。
「執務に励まれる余り、この十日ほど、リブロさまはパンとお茶、それと少しのお酒しか召し上がっておられません。お体に障ります。温かいスープをお持ちいたしますので」
リブロは言う。
「スープなど不合理だよ。スプーンを使わなければならぬ」
「私どもも考えまして、取っ手付きのカップにスープを入れてみました。肉も野菜も細かく刻んでございます。政務をしながらでもお召し上がりになれます。どうかどうか、お試し下さいませんか」
「ほぉー……なるほど、いいかもしれないな。持ってきてくれ」
「はい!」
女官はリブロと言葉を交わし、まして、提案を受け入れて貰ったうれしさに軽い足取りで退出する。
リブロは一人になった部屋で伸びをし、踵のついたブーツを履いた足を机の上にどかりと乗せた。
椅子の背もたれに身をもたれさせて、自分の髪を指に通して落としながら天井を見る。
この天井の上には星がある。
行っちゃいやだ。
泣いて引き留めて、それでもあいつは行ってしまった。
旅は、星を見ながらするんだ。
君も星を見るだろう、リブロ。
必ず帰ってくる。
同じように、星を見る。
その度に、必ず帰ってくる、この僕の言葉を思い出してくれ。
約束など信用できるものか。
誰だって自分の都合で裏切る。
「お呼びですか、リブロ様」
そう、まさしくこいつのように。
身長よりも長い杖を持って現れたのは、黒髪の、痩身の魔法使い。
サリタ・タロットワークだ。
リブロは、眼球だけを動かして、サリタを見る。
「全く、魔法使いというのはどいつもこいつも、杖が邪魔じゃあないのかね」
「自分の分身のようなものですので、お目障りでもご容赦いただきたく」
これだ。
なんだかんだ、譲らない。
リブロは机から脚を下ろすと立ち上がる。
「まあいい。呼び出したのはちょっとお前に訊きたいことがあってな」
「はい」
「うん、床に膝をついて座れ」
「は……」
二度言わせるな、との様子で、リブロは瓶からグラスに酒をわずかだけ注いで、飲んだ。
グラスは空になり、また机の上に置かれる。
その間にタロットワークは、杖を握ったまま床に片膝をついて座る。
これで良いかと問うような黒い瞳。
リブロは、トードリアでは最高級の色の違う色の樫の木を美しく組んだ床に、踵の音をゴツゴツと高く響かせて、タロットワークの前に進む。
そして、自分も床の上に膝をついて座る。
「これなんだがな」
と、リブロは小さな葦の筒をタロットワークに見せる。成人の手指の一関節ほどの長さに切られたものだ。上に、蝋で蓋をしていた痕がある。
それが何か分かって、タロットワークの顔から血の気が引いた。
「お前は嘘をつくのが実にヘタだよ」
リブロは筒を軽く振ると、中に入っていた紙を出す。
「読んでご覧」
リブロの指が、床の上に紙を開く。
細長く切られ、文字が書かれた紙だ。
夜昼鳩の足にくくりつけられる、葦の筒。
異国の紙に書かれている文字。
「……っ……」
「なんだ、しょうがないな。どれ、私が読んでやろう。ジオラルド殿下、ラボトロームにて確認。御国に向かう模様。ジェムナスティのダイヤモンド姫が同行うん、署名はないが、香りがつけられているから私にはこれが、誰が書いたのかわかる」
リブロは立ち上がると、タロットワークのうつむいた後頭部を思い切り床に踏みつけた。
鈍い音が立ち、タロットワークの声が上がる。
「お前の半端な行動の始末がこれだ。全く呆れる。愚か者が」
特に感情もなくリブロは言ったが、足はタロットワークの頭を踏みつけ続けている。
「まあいいさ、ジオラルドは結局いい駒だ。そうだな、こっちに来ているというなら、そのダイヤモンド姫と共に使わせて貰おう。お前、あいつをもう一度獣にしろ。皆の前で、獣になって我を忘れて私に襲いかかるあいつを、私が倒せばいい。戴冠式ならなおいいな。そういう話はもう出させているんだ。急ぐとしよう」
リブロはタロットワークの頭から足を外すと、タロットワークの前にしゃがんで、黒髪を掴んで顔を上げさせた。タロットワークは鼻血が喉に流れ込んで咳き込んだ。
「もうお前の忠誠など要らぬ。野に放つ。好きにするがいいよ、サリタ・タロットワーク。とても残念だ。私に仕えた初めての魔法使い。嘘つきの。裏切り者」
リブロは、タロットワークの髪から手を離し、ぺちぺちと頬を叩いてやると、書簡を取って、あとはもう誰もいないように椅子に戻った。
タロットワークはなす術もなく、鼻を押さえて立ち上がると、部屋を出た。
少ししてから、リブロは発作的に酒のグラスを引っ掴んで、床に叩きつけて荒い息を吐き出した。グラスは粉々に割れて、ランプの光を映した。
誰だってもう、信用などできるものか。
あいつは行ってしまってまだ帰ってこない。
きっともうずっと帰ってこない。




