26.鬼
オズの魔法使いのあらすじは一言で言えば、少女の冒険譚だ。
ドロシーと飼い犬のトトは竜巻に巻き込まれて家ごとオズの国に飛ばされてしまい、家はたまたま魔女の家に落ち、悪い魔女をほろぼしてしまう。
カンザスの街に帰りたいドロシーはオズの魔法使いに帰郷を願うことに決めて、「知恵を望むかかし」「心を望むブリキのきこり」「勇気を望むライオン」と出会い一緒に「エメラルドの都」に向かう。結局、ドロシーは自分が履いていた銀の靴に願って故郷に帰るが。
透子は、帰りたくないな、と思う。
星護町は、ちょっと不思議なところだけど。
……故郷にいるよりもずっと楽に息ができる。
震える声を、お腹を押さえて力を込めて誤魔化しながら、ドロシーは舞台上に足を踏み出した。スポットライトで目がくらむ。
『危険なところに向かう時、誰だって怖いさ!』
ライオンの台詞で透子が一番すきな言葉だ。危険な事や新しいことが怖くないわけがない。だけど、一人じゃなければ立ち向かうことが出来る。
銀の靴を履いて、自分の足で歩いていけば、怖さも孤独も少し、少なくなる。
カンザスの街に戻ってきたドロシーは息を切らしながら、観客に向かって叫ぶ。
『故郷に帰ってこられて、私、すごく嬉しいわ!』
最後の台詞を透子が言い終えると、観客席の照明が一斉について、周囲が明るくなる。
ワッと拍手が沸いて、透子はばくばくと鳴る心臓を押さえた。
「こっちこっち」
クラスメイトに誘導されながら舞台の真ん中でぺこりと礼をすると、「可愛いよー! 透子ちゃんー代役お疲れー」と野太い歓声が聞こえて笑い声が起きた。
観客も皆、透子が代役だと知っていたのだろう。
陽菜が「あの馬鹿!」と目を半眼にした。先程の声が、陽菜の彼氏の楢崎だったからだ。
ライオン役の千尋がいつの間にか隣にいて、お疲れ、とこっそり囁いた。
「私、台詞が何回か飛んじゃった気がする」
「ノーカン、ノーカン。俺もとちったし。うちの学校英語の成績悪いから、絶対ばれてないって!」
メインキャストでもう一度中央に出て礼をすると、あたたかい拍手が降り注ぐ。
「透子―! 可愛かったよー! こっち向いて」
はしゃいでいるのは、すみれの声だ。
「すみれちゃ……」
透子は一番後方に満面の笑みの従姉の姿をみつけて、彼女が向けたカメラに手を振って……その場で、凍り付いた。
すみれの隣に、制服姿の小柄な女生徒がいる。
彼女は控えめに微笑んで、品よく拍手をしている。
……桜ちゃん。
音なく、言葉を紡いで……透子は、その場で固まった。
すみれは楽しそうに写真をとって、邪魔だったのか、長い髪を慣れた様子でひとつに括った。隣の桜となにやら楽しそうに話をして、カメラをしまうと体育館を出ていく。
(すみれさん、楽屋に行きませんか? 私、案内いたします)
(本当? 白井さんありがとう)
そんな言葉を交わしたかのように視えた。
……呆然としている透子をおいてけぼりにして、ゆっくりと緞帳が降りていく。
二人が視界からフェードアウトしてしまう。
透子の背筋に、ヒヤリとした汗が、流れる。
「やったー、終わったーよかった!」
陽菜が飛び出して透子に抱き着く。舞台袖では柴田がぱちぱちと拍手をしていた。
「よかったわよ! 芦屋さん、上出来、上出来」
「先生、すいません、私ちょっと探してきます」
「芦屋さん?」
「すみれちゃんが、――すみれちゃんが、桜ちゃんと一緒にいるんです! 助けなきゃ!」
透子は叫んで、ステージを衣装のまま飛び出す。
柴田が待ちなさい、と後を追う。
後を追おうとして陽菜と千尋を柴田が止めた。
「あなた達はちゃんとアンコールに応えて、片付けもして! 先生が追いかけるから」
千尋たちは困惑したまま、そこに残された。
透子は裏口から体育館を抜け出す。
「すみれちゃん、どこにいるの?」
半泣きになって、従姉に電話をかける。
――つながらない。
「お願い、気付いて」
メッセージを送る。
……既読にならない。
透子は震えながら、歩いた。どうしよう。すみれに何かあったら、どうしよう。
透子が呼んだばかりに……!
泣き崩れそうになりながら、透子は……、ぎゅ、と唇を噛んだ。ここで泣いてもなんの解決にもならない。
袖で涙を拭って息を整えた、その時。
「透子だあ! お洋服キレイだねえ! ヒラヒラあ」
ぽんっと空中から現れたのは白い毛並みに赤い瞳をした、猫だった。ご機嫌な尻尾は今日も二つに別れている。
「だいふく!」
「どうしたのぉ? なんで透子、泣いているの?」
うにゃん、と見上げてくるだいふくを抱き上げて、透子は式神に頼んだ。
「だいふく、お願い。力を貸して……、一度会ったことがあるでしょう? 白井桜さんがどこにいるか、案内してほしいの……!」
きょとん、と首を傾げた白猫は、髭をヒクヒクとさせてから、前脚をチョイチョイ、と空中に遊ばせた。
「あっちだよー。この前透子が遊んでいた、本がいっぱいあるところ!」
「わかった、ありがとう」
透子はだいふくの示す方向に駆け出して、バランスを崩してしまう。
擦りむいた膝に顔をしかめながらも、衣装の銀の靴を脱いだ。可愛らしい靴だが、ヒールが高くて走りづらいからだ。衣装係のみんなにごめんねと謝りながら、靴をそろえて裸足で走り出す。
スマートフォンですみれに通話を試みるけれど、やっぱりつながらない。
桜にも同様にしたけれど、つながらない。
千尋に「図書室に行く」とだけ短文を打って、透子は駆け出した。図書室の入り口は、今日は文化祭だから閉じられているはずが、誰かが入った後があった。
「ここに、入るの?」
だいふくが不思議そうに聞く。
「……うん。だいふく。ここに桜ちゃんはいるの?」
「いるよお、別の人達もいるよお」
人達。
透子は、ぞっとした。ひょっとしたら桜は一人ではないのかもしてない、悠仁が、別の鬼の仲間がいたら……透子一人ではどうにもならない。
引き返そうか、せめて千尋に連絡を、と思った時、二階の倉庫から押し殺したような女性の悲鳴が聞こえた。
……すみれちゃん!
「だいふく」
「なあに? 透子」
「……おねがい。千尋くんを呼んできてくれる?」
透子は足を入り口にあった傘を掴んだ。足音を立てないように、二階に昇っていく。
桜を驚かせている間、せめてすみれが逃げられるように時間を稼がなきゃ。と思う。
階段をあがってすぐにある二階の扉は開け放たれていた。
そっと、行かなくちゃ。桜を足止めしなくちゃ……と思って。
透子は視界に飛び込んできた人物に息を呑んだ。
「――ッ」
図書室に入ったすぐ、真正面には桜がいて、その桜とばっちり目があう。
透子は悲鳴をあげそうになるのを堪えた。
やっぱり、桜が……。
だが、てっきり襲い掛かってくると思った桜はそれどころか腰が抜けたかのようにその場にへたり込んでいる。
本棚の間にへたり込んだまま、青い顔で必死に透子に向かって首をふり、人差し指を口にあてた。
声を立てるなという事だろう。
「……?」
桜の様子がおかしい。
それに、すみれがいない。
桜が、鬼だと予想をしてすみれを襲っていると思っていたばかり透子は困惑して、桜に近づこうとしたが、桜は慌てて両手でバツを作って首を振った。
ぱくぱくと口をあけて、手で戻って、と言うようなジェスチャーをする。
透子が首をかしげると桜はもう一度ゆっくりと無声で言葉を紡いだ。
(だ・れ・か・よ・ん・で・き・て)
泣きそうな顔で桜に言われ、透子は頷いた。
音を立てないように、そのまま後ろに下がる。
だが持ってきた傘が金属扉に引っ掛かり、扉は廊下の壁に当たって、ガンガン、と音を立ててバウンドしてしまう。透子はやってしまった……と目をつぶり、桜が耳を塞ぎながら、ああああ、と声をあげずに呻いた。
「うっぐ、たすけ……」
奥から聞こえてきたのは、すみれの声だ。
透子は反射的に傘を構えて踏み出して叫んだ。
「そこにいるのは、誰!! す、すみれちゃんを離しなさい!」
勢いよく飛び出して……。
そして、片手一つですみれの首を掴んで高々と掲げる女性の姿に、透子は呆ける。
「あら? 早かったのね」
すみれをぶらさげて微笑んでいたのは。
――担任で英語教諭の柴田だった。




