23.病院
「えっ! 病院?」
驚く透子に、千瑛はさも当然とばかりに頷いた。
「田中さんのお見舞いに――忍び込もう。彼女のさっきの証言が本当なら、鬼は食事をし損ねたって事になる。お腹が空いているだろうなあ」
「……病院にいる彼女をわざわざ狙うか?」
「鬼は一度狙った獲物に執着するから、来るかもしれないね。それにさっきの会話から察するに、田中さんには記憶の改ざんを出来ていないんだろ? きっと、口止めに来るよ。僕は行くけど。二人とも来るだろ?」
千瑛が車のドアをあけ、二人も乗り込む。
「けど、こんな夜中に病院に忍び込めるのか?」
病院の駐車場に車をとめて裏口にさっさと進んでいく。
「いやあ、非常事態だからしかたないね?」
病院の裏口のセキュリティに千瑛が白いカードをかざすと、ピと電子音が聞こえて、あっさりと解錠された。
「いつの間にカードキーなんか、もっているんだよ」
「んん? ただの万能カードキーだよ」
しれっと答えた千瑛に千尋が呆れた。が、すたすたと病院の中に入っていくので後ろからついていく。
「……これって不法侵入なんじゃ……? いいのかな」
「お医者さんに見つかったら、皆ダッシュで逃げるんだぞ! 車の所で集合だ」
「集合だー」
千瑛とだいふくは楽しそうだが、真面目な千尋と怖がりな透子はそろそろとついていくしかない。
「だいふく、さっき、高校で会った女の子がどこにいるかわかる?」
透子が尋ねると、白猫はするりと千尋の腕を抜け出した。
「わかるよぉ! こっちだ」
だいふくに誘導されて二階へあがる。巡回の看護師をやりすごしてナースステーションも過ぎ去ると、あそこ! とだいふくが前脚で指さした。
様子を窺おうとした透子を「しっ」と千瑛が制止する。
「白銀」
彼は小さく自分の式神の名前を呼んだ。白いカラスが現れる。
機械音しかしない病棟の隅で三人と二体の式神は息を潜めた。
「……やめ、やめてっ! やだっ! ――ふぐぅ」
病室から小さく悲鳴が聞こえたのと同時に千瑛が叫ぶ。
「白銀! 行け」
烏が鋭く翼を翻してドアに吸い込まれて行くように消えていき、だいふくも同じようにするりとドアに入っていく。
「ギャアアアア!」
低い叫び声が聞こえて、遅れて飛び込むと壁際で、パジャマ姿の田中が怯えて震えているところだった。
真っ白なシーツには鮮血がべたりとあって、何かを食いちぎったような白銀がいる。窓を突き破って、大きな影が出ていったのを「追え」と千瑛が鋭く命じた。田中に近づくと、微笑みかけた。
「大丈夫かな、ええと、田中さん、怪我は?」
「だ、だれ!?」
千瑛の姿に、田中が悲鳴を上げる。それはそうだろう。いきなり見知らぬ男が病室に侵入してきたのだ。恐ろしいに決まっている。
「あ、ごめん。これには理由が……」
「えっ!? 神坂くん、なに、これ? どういう……夢の続き? えっ!? ええっ!?」
千尋が慌てて割って入り、田中は困惑を深くした。
彼女の悲鳴に病院関係者が何事か、と集まってくる。だいふくが「お医者さんがいっぱいだあ!」呑気に尻尾をふるので、透子は慌てて口を塞ぐ。
「貴方達、一体?」
警察を呼ばなきゃ、とざわめく病院の人々に、千瑛はあはは、と困った表情を浮かべて、医者らしき老人に名刺を出した。
「いつも、お世話になっております。私、こういうもので」
「……神坂の!」
「危急の件がありまして、この病室にたどり着きました。――色々とご説明をするので少しお時間を頂いても?」
名刺と千瑛を見比べながら、医者は頷いた。
千瑛が病院側に事情を説明をして、三人は帰ることを許された。不審がっていた病院の関係者も名刺を見た途端にピタリと黙ってしまった。
神坂の家は病院の色々な施設に土地を貸与していたりするらしい。粗末に扱えない取引先なのだろう。
帰り際、看護師の立会いのもと、透子と千尋は――というかおもに千尋が……田中に体育館の二階から落ちた時の事を訪ねたのだが、田中はしきりに首を捻った。
「思い出せないの。髪の毛を引っ張られたのは覚えているんだけど……」
「そっか。田中さん、思い出してくれてありがとうな」
田中はとんでもない! とブンブン、首を振った。
「あ、何か思いだしたら連絡したいし、あの、神坂君。出来たら……SNSのアカウントを教えてくれないかな」
千尋は完璧な笑顔で透子を見た。
嫌な予感を抱きつつ透子もみつめ返すと、千尋は透子を指差した。
「ごめん、俺、アカウント持っていないんだ。透子と連絡先を交換してくれるか?」
田中がおもいきり張り付いた笑顔で透子を見る。
針の筵だよ!
と内心涙目になりながら、透子は田中と連絡先を交換した。
――田中の周囲に再度同じものが訪れないように千瑛が細工をして、さらには後の処理を、和樹を呼んで頼むのだという。
「あいつ結界とかの作業得意だから。田中さんの心配はもうしなくていいと思う」
病院も、田中の警護にはあっさり協力してくれた。神坂の本家は、病院の経営層ともつながりがあるらしい。それに、田中が怪我をした経緯については病院側でもひそひそと疑いが囁かれていたらしいのだ。
「つまり、鬼じゃないか……ってさ」
「……やっぱり、鬼は高校の中にいるわけか」
千尋が窓の外を眺める。誰かの視線を感じた気がして、透子は顔をあげた。
白い車がゆっくりと遠ざかっていく。
……先程学校で見た、白井悠仁の車に似ていたような気がして、ドキリとする。
「透子、どうした?」
「ううん、なんでもない。――なんでも、ないの」
透子は首を振って、後部座席に深く身を沈めた。




