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22.証言

「――それで僕を呼んだって?」


 二人に召喚されてすっかり夜の高校にやってきた千瑛は正門に現れると、「やあ」と手を振った。だいふくの言葉を伝えると、とりあえず体育館に行ってみようか、と二人の誘導を待たずに歩いていく。


「千瑛さん、ごめんなさい」

「ん? どうして」


 透子の謝罪に、千瑛が首を傾げる。


「だいふくが気づいたのに、私なにも見えないし感じなかった……」

「んー、式神の能力は術者の能力だったりするから、無意識で透子ちゃんが感じているって事だと思うけどね……時に、だいふく」

「なあにー、千瑛」


 だいふくは千尋の胸から飛び降りて、千瑛の足元に駆け寄った。

 髭をヒクヒクさせながら、上を向く。


「おまえは透子ちゃんの式神なの?」

「うん、そうだよー! 俺、透子のシキガミでもあるの!」

「でも、か」


 千瑛は、ほぉんと白猫を撫でた。


 千瑛は勝手知ったる様子で体育館の扉をあけ無人の体育館の電気をつける。

 ステージは無人だったが、英語劇のセットがそのまま残っていた。


「千瑛、扉を勝手にあけているけど、学校側の許可とかとってんの?」

「今日は僕はお前たちの迎えに来たついでに母校の中で遊んで帰るだけなんだから、許可なんかとるわけがないだろ! で、どこからその子は落ちたって?」

「あっち」


 千尋がステージとは真逆の二階を示す。

 星護高校の体育館に観客席はないが、二メートル程度のキャットウォークが壁に沿って存在する。英語劇に使われる照明器具一式はステージの対面にあった。


「ここから落ちたのか。四メートルはありそうだな」


 落下したとき彼女は英語劇のリハーサル中で、照明係は彼女ともうひとりがいるが一人すこしだけ持ち場を離れた。

 そのわずか数分の間に悲鳴が聞こえて、揉みあう声が聞こえて……。


「彼女が落ちた、か」

 だいふくが、タタタと照明セットの下に行く。

「ここだよ! ここで味見されちゃったんだ。鬼のにおいがするもん」


 透子は、だいふくのいる場所に視線をはしらせ……、違和感を覚えてだいふくの周りを凝視して、一歩引いた。


「どうした、透子?」

「……千尋くん、あし」

「うん?」

「足が、見える……」


 上履きをはいた足から足首までがそこにあった。

 足首から上はスーッと透明になっていて、何もない。

 明らかに通常のものではない。――爪先が、こちらを向く。


 上履きに書かれた「2の2タナカ」の文字に透子は息を呑んだ。


「上履きが見える。足しか見えないけど。二組の、田中さんの名前が書いてある」

「さっき、落ちた子か! まさか……」


 透子は、亡くなった人の姿を見ることが出来る。ひょっとしてさっきの子が亡くなったのではないか……。

 痛ましい思いで眺めていると隣で千瑛が印を結んでなにやら低く言葉を紡いだ。


「それはどうかな? 全身が見えない、という事は霊と言うより、思念に近い」

「思念……」


 千瑛の指の動きに従って田中さんが形を成していく。

 青白い顔をした少女がぼんやりとステージを見ている。



(……照明の仕事って、楽だと思ったのに。大変。なかなか焦点があわなくて)



 夢でも見ているような表情だ。彼女はまだリハーサルの途中なのかもしれない。



「そこにいるのか」

「うん。照明の事を話している」


 亡くなっていないと分かって安心したものの、やはり、ちょっと恐ろしい。


 つい後退ってコードに引っ掛かりそうになった透子を「大丈夫か?」と千尋が支えてくれる。千尋が眉根を寄せた。


「本当だ、二組の田中さんだ」

「……千尋、お前見えるのか?」


 千瑛の問いに、千尋は驚いた顔のまま頷いた。そして透子をじっと見て、手を離す。

 それから、また透子の手を握った。――透子の鼓動は跳ね上がったのだが、千尋は気づいていないようで、深刻な顔で言った。


「この前だけど、透子に触っていると同じものが見える……。すごいな」

「……そ、そうなんだ」

「全然能力がない俺にまで見えるって、どういうことなんだろうな? 透子は他の人間にも、見ている風景を伝えられるって事か」



 すごいな、と千尋がいうと、だいふくがひくひくと髭を震わせた。

「違うよ! 千尋は見えてないだけだよ。からだの中にいっぱい力あるよ! だって、俺を作ったじゃない!」

「うん?」


 千尋がきょとん、とした表情でだいふくを見つめ返し、千瑛がちら、と白猫を見た。


「だいふくは……透子の式神だって言ったよな? じゃあ、千尋はだいふくの、何だ?」


 白猫は元気よく叫んだ。


「千尋はね! 僕のおかあさん!」

「はあっ?」


 予想外のだいふくの言葉に、千尋の目が点になる。

 透子も呆気に取られた。だいふくは、なおもつづける。


「だいふくねえ、一回死んじゃってから、ずーっと神社のまわりをうろうろフワフワしてたんだあ。だけど、透子がオレをみつけてくれて、すこし、大きくなれたの。千尋が俺に、ネコチャンになれって命じたんだ。千尋が作ってくれたから、オレ、だいふくになったんだよ! だから千尋はオレのおかあさんなの!」

「……それって、どういう?」


 千尋は混乱しているし、透子もよくわからない。

 千瑛は参ったな、と頬をかいて、従弟に半透明の女生徒を指差した。


「千尋あの子の手を握って、聞いてみてくれるか? ……ここで何があったのか」

「えっ?」

「いいから早く! そうだな、お前の知っている田中さんを思い出しながら、ここに来いって念じてくれ。彼女と会話ができたら、何があったか聞いてみてくれ」


 千尋は、頷いて透子の示す方向に手を伸ばした。

 手が触れた瞬間の変化に、透子は唾を飲み込む。千尋に触れられた田中が、まるで器に絵の具を流し込んだかのように、そこに現れる。ついさっきまでホログラムのようだった彼女が、まるでそこに実在するかのように、変化した。


 それこそ、千尋に作られたかのように、だ。


(あれ? やだ、うそ、神坂君っ!)


 今までぼんやりしていた田中の表情に、急に生気が戻る。


(夢の中で会えるなんてラッキー! どうしてここにいるの?)


 どうやら、田中の中ではいまここは、夢の中らしい。

 ぎゅっ、と手を握られた、千尋が一瞬怯んだが、彼は紳士的に同級生の名を呼んだ。


「田中さん、さっき、田中さんがここから落ちてしまって。それで今、田中さんは病院の中で夢を見ているんだと思う」


(夢、そうねえ。これは夢ね! ああ、でも夢の中でも神坂君ってかっこいいね)


 千尋はううむ、と眉間に皺をよせて唸った。

 女生徒は千尋のファンだったらしい。


「ええと……ありがとう、ひとつ聞きたいことがあるんだけど、いいかな」


(うん! なんでも聞いて)


「……どうして二階から落ちたの? ここは柵も結構高さがあるのに。どうして?」


 田中は急に表情を曇らせた。


(聞いて! ひどいのよ! ――あいつ、いきなり襲い掛かってきたの)

「……あいつ?」

(私の髪の毛をひっつかんで、綺麗な髪を寄越せっていうの! 信じられない!)


 田中はぷんぷんと怒っている。それから、透子にキッと視線を向けた。


(芦屋さんの真似をして、長い髪になんかするんじゃなかった! あんなものに狙われるなんて想定外だよ、本当に怖かったんだから!)


「長い髪……」


(いきなり髪を掴まれて、首を絞められて力が抜けていくの! 本当に怖かった)


 首を絞めた時に、生気を食らっていたのかもしれない。

 鬼は、人の生気を主食にするというから。


「襲ったのは、誰?」


 千瑛が田中に詰め寄る、田中は首を傾げた。


(……ええと、誰だっただろう。……さっきまで覚えていたのに……忘れちゃった。私きっと死ぬんだわ、って思っていたのに、誰かが助けてくれて)

「助けた?」

(ううん、……あれも、誰だったのかなあ)


 田中は自分の言葉につられたように、呆けたような顔になる。

 ……またぼんやりとした表情になると、すぅ、と煙のように霧散してしまった。


「ここにいたのは、思念だけだったんだろう。消えてしまった」


 千尋と透子は顔を見合わせた。


「田中さんは忘れた、って言っていたけど。それってつまりは知っている顔だった、ってことだよね?」

「高校のどこかに、鬼がいるのかな。生徒か、先生か、職員か何かに扮して……」

「事故に見せかけて、生徒を襲うつもりだったんだろうか」


 だいふくが何かに気付いたかのように、体育館の入り口を眺めた。


「透子ちゃん、千尋くん」


 手を振っている女生徒は桜だった。

 三人が一階に降りると桜は千瑛に気づいて、しおらしく自己紹介をした。


「初めておめにかかります。透子さんと千尋くんの同級生で、白井と申します……」


 見事な美少女っぷりに、どうも! と千瑛もにこやかに挨拶を返す。


「体育館に灯りがついていたので気になって。三人ともどうかなさったんですか?」

「いや、千瑛に校内を案内していただけ。従兄はここの卒業生なんだ」

「OBでいらっしゃるのね」


 だいふくが千尋の鞄から顔だけを出して、桜の匂いをひくひく、と嗅ぐ。桜が可愛い猫ちゃんね? というとだいふくはごろにゃん、と顔を擦り付けた。


「桜ちゃんも遅いのね」

「ええ、今日の事件があったので、物騒だからと兄が迎えに来てくれるのを待っていたんです。車なので千尋くんたちもよろしければ一緒にどうですか?」

「悠仁さん、来ているんだ?」


 千尋は少しだけ嬉しそうにしたが、千瑛をみて、遠慮しておく、と首を振った。


「俺のところも千瑛が車で来ているから、大丈夫」

「そうですか。ではお先に失礼しますわね」


 車の外に出ていた悠仁がこちらに、というよりも、千瑛に向かって一礼する。車に乗り込む白井兄妹を見送りながら、遠子はぼんやりと先程のアルバムを思い出した。

 途端にひやりと背中を汗が伝う。


 アルバムにあったあの既視感を覚えた写真。



 軍服の青年と少女の写真は、白井家のリビングに飾られたものと同じだ。

 白井家のリビングにあるのと同じ写真が昭和初期の卒業アルバムに掲載されていたことを桜に教えてあげたら喜ぶだろうか、……と思いつつ走り去る車を見送った。


 ……あの椅子に腰掛けた少女とその兄の写真。


 少女と桜はそっくりだが、兄の方はどうだろう。悠仁と似ているのだろうか。


 ひょっとして、と透子のあたまにひやりとした疑念が生まれる。

 戦前からあの二人はずっとあの姿で生きているのかもしれない。


 鬼は何百年も生きるというし……。


 さきほど図書室に透子と千尋を置いて、桜はどこに行っていたんだろう? 

 もしも、ここに来て、田中を襲っていたのだとしたら……? 

 埒もないことを考えてしまって、透子は首を振った。


 ―――浮世離れした兄妹だからって、そんなことを考えるのは失礼だ。


 透子は鞄から頭だけを出しただいふくを、撫でた。


「だいふく、あのね。さっきのは桜ちゃんって言うんだ。仲良しなの……覚えておいて」


 だいふくは、透子の説明に、ぴょん、と耳としっぽはねあげた。


「わあ! じゃあ、だいふくも仲良くしよう! いい匂いがしたねえ」


 無邪気な回答に、透子はほっとした。

 だいふくが何も反応しない、というのだから白井兄妹が鬼であるわけがない。


 先日、悠仁が遠子を神社まで送ってくれた際も、だいふくは何も言わなかった、だから怪しいものではありえない。

 そもそも、二人がもし鬼なら、千瑛が気づかないわけもないのだ。


 友達を疑うなんて最低だな。


 透子が反省していると、千瑛がやけに楽しそうに言った。


「さあ、体育館にはもう手がかりがないから引き揚げて、次は病院に行こうか」


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