21.すみれ
「うう、今日も千尋くんに会えないなんて、寂しすぎる」
「本当だよ! いつ会えるんだろう……」
十一月にはいって、文化祭で披露する英語劇の練習も大詰めになった。朝の始業前と放課後に稽古をするのだが、メインキャストの白井桜のテンションは低い。
なぜならこの一週間、千尋が登校して来ないからだ。さらにクラスメイトの千尋ファン三人も共にガッカリしていて、なんだか桜を囲んで奇妙な連帯感が醸成されていた。
「あんた達、いつの間に仲良くなってんの?」
陽菜が呆れると、四人の女子は「どこが!」と即座に否定した。
「この凡庸な方々の誰ひとりとして、千尋くんをめぐる私の敵ではありませんけれど、戦う気力がないだけです……」
「は? 凡庸? 白井みたいに変人さを売りにしてないだけですーだ。……あーでも、千尋くんいつ登校するのかなー」
「本当に……。千尋くんという毎日の糧がなくて私は死にそうです……」
うう、と机に突っ伏した桜は心なしか窶れている気さえする。
「芦屋さん、何か連絡あった?」
四人から詰め寄られて遠子は曖昧に受け応えた。
「おうちの人から風邪をうつされたんだって。来週には来るって言っていたよ」
……というのも千瑛の説明で、千尋から直接連絡はない。小町の写真を送っても既読がつかない。何かあったのかな、と透子も心配になっていた。
「みんな、サボったら駄目でしょうー! 本番近いんだから頑張って」
様子を見にきた英語教諭の柴田がパンパンと手を叩いたので、みな、慌てて持ち場に戻る。
千尋はメインキャストのライオンだが、いないとなれば……プロンプターとしてセリフを覚えている透子が代役で読むことになる。
本番は一週間後なのだがもしも舞台に立つことになったらどうしよう。と遠子は青くなった。人前で発言するのは苦手なのだ。
透子の辿々しいセリフに、どうしても劇全体のテンポがずれる。
「芦屋さん、発音が違うわよ」
「……す、すいません……」
透子のあまりの出来の悪さに、全体練習が終わったあとも、柴田が残って訓練してくれることになった。
練習につきあってくれた柴田は苦笑しながら透子に尋ねた。
「芦屋さんも練習に身が入ってないけれど、神坂くんが心配なの」
「いえっ! 心配は心配ですけども。単に人前が苦手で」
「練習の時は綺麗な発音しているのにねえ。代役、頑張ってね」
「私が代役をするより、千尋くんが戻ってくるのが一番いいと思うんです」
「千尋? ああ、神坂君のことね。芦屋さんは神坂さんの遠縁だから親しいのね」
はい、と透子は簡単に血縁関係を説明した。遠縁中の遠縁だ。
「親戚のおうちだと難しいこともあるだろうけど勉強も努力していて偉いわ。英語の成績がいいのは嬉しいけど、出来たらスピーキングも積極的に取り組んでみて! ……って、神坂のおうちのお仕事が忙しかったりするのかな?」
柴田先生は興味深そうに透子を見た。
神坂の家が特別なのは高校でも周知の事実だ。透子は首を振った。
「わ、私はまだ何も……! 少し見えるだけで……なんにもできないんですけど」
実はつい先週から千瑛に少しずつ教えてもらっている。
まずは呼吸を整えることだよ、ともっぱら瞑想と呼吸だけだが。それと、数珠を外して、校内の怖いものも見るようにしている。――見ても平常心を保つために。
薄暗い廊下で佇む暗い顔をした男子生徒や、校庭の隅を走り回る年配の女性など。結構恐ろしいものもいるのだが、平気なふりをすること、が千瑛が出した最初の訓練だった。何事にも、透子は怯えすぎだ。
「芦屋さんは、何か見えるの?」
柴田先生は怯えて胸に手をあてた。正常な反応だ。
何か視えるのかとは白井兄妹にも言われた……。
「私も何か憑いていたりするのかしら?」
透子は柴田を凝視した。亡くなった家族や友人の思念が背後にいる人もいるが柴田先生の背後には綺麗すぎるくらいすっきりとしていて、何もいない。
「大丈夫です、綺麗になにもいません」
「よかったあ……って、後ろに何もいなくていいものなの?」
「たぶん……? 本当に、よくわからなくて……」
疑問符を飛ばす様子に透子は苦笑した。
「芦屋さんの髪の毛って綺麗よね、やっぱりおうちが神社だからのばしているの?巫女さんのバイトとかに会いそうよね」
「まさか! ただ伸びているだけです! 綺麗だなんてそんなことないですよ。先生のショートカット、かっこいいです! 頭の形がよくないと似合わないですもんね」
「わ、ありがとう!」
ショートカットは頭の形がよくないと似合わないが、柴田の活発な印象によく似合っていた。
彼女は話しやすい先生で生徒にも人気がある。……透子は気になっていたことを尋ねた。千尋の兄の和樹は学校に変なものがいないかよく見て、また行方不明になった生徒の交友関係について探ってこい、と千尋に言っていた。
「柴田先生。行方不明になった校内の子は、噂通りなにかその……変質者じゃなくて、怖いものが絡んでいるんですか?」
「そんなこと誰に――! って、そうか。おうちの人からか……」
柴田はわからないけどその可能性はあるのよねと頬に手をあてて暗い顔をした。
「一年生と三年生だって聞いたんですが、なにか共通点があるんでしょうか?」
「共通点……そうねえ、私は受け持ちじゃないからよくわからないけれど。あ、図書委員だったんじゃないかしら」
図書委員。
柴田は図書委員会の顧問なのだという。
まずはそこから聞いてみよう、と透子は礼を言ってリスニングルームから出た。
――と。
「びっくりした! 透子さん……?」
「あ、桜ちゃん、今帰るところなの?」
子が扉を開けると驚いた顔の桜がいた。
「遅いから迎えに来たの。柴田先生、もう個人レッスンは終わりですか?」
「ええ。二人とも気を付けて帰るのよ」
桜はええ、と答えて何やら意味ありげに透子に微笑んだ。
「実は――透子さんにお客さんが来ていて」
「お客さん?」
透子が聞き返すと、桜が「あちらに」と手で示す。
廊下の先に見つけた馴染みのある顔に、透子は思わず顔をほころばせた。
「すみれちゃん!」
「透子、ひさしぶり」
数か月ぶりに会う従姉は透子をみつけると、朗らかに笑った。
「透子ちゃんの従妹さんなんだねえ。美人ねえ」
「ありがとうございます。お菓子とても美味しいです」
せっかくだからどこかゆっくり出来る所で話そう、と透子がすみれを連れて行ったのはあづま庵だった。
――というよりも、他に行ける所をあまり知らない。
あづま庵の白玉ぜんざいに舌鼓を打ちながらすみれは微笑み、あづま庵のおばさんは自慢の味を褒められて嬉しそうに笑った。
「嬉しいわあ! お抹茶ゼリー、おまけしてあげる」
「本当ですか? ありがとうございます」
「すみれさんは、今日は透子ちゃんに会いに来たの?」
「そういう優しい従姉だったらいいんですけどね。――関東まで来る用事があったので、せっかくなら透子の顔もみたいなと思って足を伸ばしました」
透子はぜんざいから視線を外して美人の従姉を見た。
「すみれちゃんの用事って?」
「こっちに行きたい大学院があるんだけど、入試について知人に相談しに来たの」
すみれの口から出たいくつかの有名大学を聞いて透子は目を丸くした。
「すごい。そんなところ行くつもりなんだ?」
「学費免除で受かれば。さすがに大学院まで奨学金で通うと、人生設計が積むから」
すみれが大学に奨学金で通っているのを思い出して透子は曖昧に微笑んだ。
裕福な家で、しかも娘のすみれを溺愛している伯母だが、彼女が大学に行くことはあまりいい顔をしなかった。
「女の子の学歴は高校で十分よ。お母さんもそれで立派に生きているんだから」
すみれが大学受験の際、悪気もなく娘に向かって言っていたのを覚えている。この時代にそれはいくらなんでもないだろう、と叔父が諭そうとしてかなり深刻な喧嘩になったことも記憶している。
――すみれは愛されて育った子供だが、たぶん母親との価値観の相違にいつも悩んでいる。
そして、そういう苦労を表には全く出さない人だ。
「日帰りで戻るつもりだったんだけど、透子の顔も見たくて一泊することにしたの」
「どこに? 私の部屋に泊まるの?」
「まさか、神坂さんにご迷惑でしょ。ちゃんとホテルは予約済です。……それで、学校はどんな感じ?」
透子はすみれの問いに答えた。
あづま庵でバイトしている事、神坂家の三人や、小町やだいふくのこと、陽菜と桜のこと、千尋を好きなクラスメイト三人の女子生徒のこと。
色々と喋っているとあっという間に時間は過ぎて閉店の七時になってしまった。
あづま庵のご主人と女将さんにお礼を言って店を出る。
入れ替わりに最後の客がやってきてイチゴ大福を買っているところにすれ違い、ラフなジャケット姿の青年はあれ、と透子に微笑みかけてきた。
「芦屋さん、こんにちは」
「あっ、悠仁さん、こんにちは」
和服ではない白井悠仁を見たのは初めてだったので驚いた。
和服も似合うが、飾り気の無い私服も仕事が出来る社会人っぽくて格好良い。
白井とすみれが不思議そうにたがいに視線を交わしたので透子がお互いに紹介しあうと、二人は和やかに挨拶を交わした。
「妹が透子さんには仲良くしていただいていているんです」
「さきほどお会いしました。素敵な妹さんですね。桜さんのおかげで透子の学校生活が楽しそうで、安心しました」
「妹に伝えます。素敵な方に身内を褒めていただくと嬉しいな」
悠仁は取引先と打ち合わせだったらしい。
車で来ているから、と透子を神社まで、それから送迎を固辞するすみれを駅まで送ってくれることになった。運転をしながら悠仁は眉根を寄せた。
「若い女性ばかりつけねらう変質者がいるみたいだから、過剰なぐらいに気を付けた方がいい。星護高校でも行方不明になった生徒さんがいる」
「そうなんですか?」
すみれが驚き、透子は鬼の仕業かもということは明かさずに従姉の隣で頷いた。
「星護は住みやすくていい街なのに。事件を起こす愚か者がいると、私達のように平和に暮らす者にはいい迷惑です。私も妹がいるから……妹に何か被害が及ぶんじゃないか、と思うと恐ろしいですね」
悠仁のぼやきに透子はそうだよね、と膝の上で拳を握りしめる。
式神の「だいふく」は一週間前、透子たちから鬼の匂いがしたと言っていた。
……あまり考えたくないが高校に鬼がいるのなら早くみつけて、捕まえたい。
次の被害者が出ないうちに、だ。
すみれを駅でおろして――透子は車を降りてすみれにあづま庵で買った大福のつつみを渡した。
「あの、すみれちゃん! お土産買う時間なかったと思うから、これ持って帰ってね。本当は今日食べるのがいいんだけど明日も美味しいと思う」
「気を使わなくてよかったのに」
「皆に、よろしくね」
すみれは、べ、と舌を出した。
「やだよ! 渡すもんか。私が独り占めするから。今夜の晩御飯にする」
胃もたれを心配すると、すみれはあはは、と笑う。
「透子が元気そうでよかったよ。あのさ、私、また関東に来るんだけど、遊んでくれる?」
「もちろん! そのときは、星護神社にも来てね」
すみれは少し沈黙したが思い切ったように言った。
「……あの、さ。……私、来年から関東で生活するんだけど、透子一緒に住まない?」
思いがけない言葉に目を丸くすると、すみれは苦笑した。
「実は、けしかけておいてなんだけど透子がこんなに星護に馴染むとは思ってなくて。今日は、本当はそれを言いに来たんだ……だけど心配なさそうでよかったよ」
透子が家を出る時、もしも星護町で透子が上手くいかなければ、その時にまた考えよう、とすみれは言ってくれた。
あれは社交辞令かと思っていた。
すみれは、本気で言ってくれていたのだ。
あったかい気持ちになって透子は胸のあたりで手をぎゅっと握った。
「すみれちゃん、ありがとう……。気にかけてくれて、嬉しい」
すみれはニコっと微笑んだ。
「返事は今度でいいよ。……答えはもうわかっているけど、断られそうで寂しいけど、同じくらい安心してる」
「ううん……どっちがいいのか、よく、考えるね」
すみれは、バイバイと手を振り駅へ向かってから何かに気付いて戻ってきた。
「一番大事な用事を忘れてた!」
「大事な用事?」
「そう、祖母ちゃんのひきだしからこれが出てきたの。透子が子供の頃のミニアルバム。――祖母ちゃんの写真とか、昔の透子の写真とかあるから、見てね!」
従姉は慌ただしく駅へと駆けていった。




