19.要請
四人はリビングのソファに思い思いに座る。
和樹は長い足をこれみよがしに組んで、ソファに背中を預け、千尋は彼の隣で姿勢よく座っている。色素が薄い所は共通項だが顔立ちも醸す雰囲気もまるで違う兄妹だ。
千尋は清廉潔白で親しみやすく、和樹は退廃的でどこか近寄りがたい雰囲気がある。
二人の従兄である千瑛はいつも穏やかに飄々としているが、今日ばかりは眉間の皺にふれると、重苦しい雰囲気を断ち切るように話をはじめた。
はじめに星護町で行方不明が発生したのは去年の十二月だったと千瑛は説明してくれた。
「最初の被害者は、隣県の高校生。女性。たまたま週末に星護町に遊びに来て、そのまま行方がしれなくなった――」
「千瑛さん、その人は亡くなったんですか」
「いいや? 一週間後に無事に戻ってきた。怪我はなかったけど、髪が無惨に切り取られていて、憔悴しきって、行方不明だった期間の記憶がないというんだ」
精神的なショックで記憶が飛んでいるのだと思って医者も入院だけで済ませていたらしが、同じような症状の若い女性が複数出現したので変質者の犯行を疑った。
「妙だと思うだろう?」
和樹が足を組み替えた。
「若い女が犯罪に巻き込まれた。ショックで何も思い出せない。それはありがちだ」
千瑛が同意する。
「一回なら、よくあることだな」
「そう。でも二回続けて同じことが起きたら?」
「……同じ悲劇が二回続くのは」
「それは奇跡的な偶然だと言っていい。三回目からは偶然じゃない。原因がある」
最初の失踪は十二月。
次が四月、六月、八月、九月、十月……と、神隠しにあう間隔が短くなっている。
「そういえば、夏休みに和菓子屋さんでバイトをしていたんだって?」
和樹に話を振られ透子は頷いた。
「バイト予定の方が急に来られなくなって、急遽お手伝いすることになったんです。店の方はドタキャンじゃないかって、最初は怒っていらっしゃったんですけど。あづま庵さんから、その方が実は行方不明になっていたんだ、って聞きました」
陽菜が言うにはその大学生は「怪我はないが、ぼんやりとしている」状態で戻ってきたと言っていた。
話の流れからいけば、その大学生は……。
「八月に神隠しにあったのがその子だな」
今は退院していると聞いて、透子はほっとしたが和樹は首を振った。
「退院はしてもいまだに意識が朦朧とした状態らしい」
「そんな……ひどい……」
千尋が和樹を見た。
「星護高校で行方不明者が二人いるって聞いた。和樹お前、このまえ仕事でうちの高校に来たって言っていたよな? それってこの事件がらみだったのか?」
「そうだよ、頭のいい千尋ちゃんは察しが早くていいな」
「誰でもわかるだろ! で、その人たちは戻ってきて、今も同じ状況なのか」
今までのパターンならそうだろう。
千瑛は難しい顔をして、和樹は何が可笑しいのか、くつくつと笑った。
「言ったろう? 警察が匙を投げた、って」
「……それは、どういう?」
和樹は弟の肩に馴れ馴れしく手をまわして顔を寄せた。千尋は眉間に皺を寄せて嫌がっているが、それをどうやら楽しんでいるらしい。
「二人とも生きて戻ってきた。無惨な姿でな」
思わぬ言葉に、透子は息を止めて対面に座った青年を見つめた。
透子の反応を楽しむように和樹は一瞬こちらに視線を移してから、ちろりと赤い舌で唇を舐めた。
九月に行方不明になった女生徒は、つい昨日ようやく目が覚めた。
「やっぱり何も覚えてないって言っているけどな。明日きっと高校でも知れ渡るんじゃないか? 最後の一人は、衰弱しきって瀕死らしい」
ゾワっと背筋が寒くなる。
一年生の女生徒が行方不明になったのはつい先週のことだ。
「行方不明になってまだ一週間もたってなかったのに、がりがりに痩せて――まるで老婆みたいになっている、ってよ」
行方不明になった当時の服装のまま発見された女生徒は、すぐに本人だと断定されなかったそうだ。
まるで何かに吸い取られたように、骨と皮だけになっていたから。
「警察は……引き続き誘拐拉致事件とみなして警戒をよびかける、ってさ。だけど、警察の上の方から神坂の本家に話が来た」
「話?」
「ただの誘拐事件にしては奇妙だ、誘拐犯とおぼしき人間からの何の要求もない。そしてこの連続失踪事件にはいくつか共通点がある」
千瑛の言葉を和樹が引き継いだ。
「ひとつ、被害者は皆、若い女だ。ふたつ、被害者は皆行方不明になった時の記憶がない。みっつ、検査をしても、肉体的な危害を加えられた様子は全くない。だが――ひどく衰弱している。怪我もなしに人がこれだけ衰弱するのは奇妙だ。―人でない者が関わっている可能性が高いです。神坂の家でどうか調べてください、ってね」
それに、と千尋が付け加えた。
「鬼は、人の身体の特定の部位に執着することがある。この場合は髪の毛だ。若い女の長い黒髪――全員が無惨に切り取られている。まるで食いちぎられたみたいに」
透子はごくりと唾を飲み込んだ。
「警察が、鬼の仕業じゃないか、って。そんな風に判断したり、するんですか?」
「するね。透子ちゃんの地元は被害が少ないから実感はわかないかもしれないけど」
二十年ほどまえ、日本の各地で災害が起きた。
地震や、十数日続いた大雨や、ありえないほど大きな台風や。あたりまえの安全がねこそぎ奪われたその年から、この国の様子は少しばかりおかしくなった。
千瑛がため息をつく。
「幽霊や鬼と呼ばれるものが、いろんな人間に見えるようになった。悪さをするものが増えた。御霊は導いてやればいい。ちいさな低級霊はほおっておけばいい。だが、鬼は駄目だ……あいつらは人に害をなす」
透子は困惑したまま沈黙した。
「神坂の家は古くは陰陽師を生業にしてきた。今は力を持つ者が少なくなって別の仕事をしている人間がほとんどだけど。鬼のせいで困っている人たちがいるのなら、力にならない、いけない」
「それで? 俺たちに話を聞かせた理由って何。透子はともかく俺はなにも出来ないぞ」
「まあそうだな」
和樹は冷たく笑った。
「同じ高校から二人も行方不明者が出た。校内に鬼がいる可能性は高いだろう?」
千尋は目を丸くした。
「星護高校に?」
つまりは、鬼が高校にいるということだ……。
「高校生の中に鬼が混じっているとでも?」
「生徒じゃなくても教員とか、職員とかいるだろ。お前学校にお友達多かったよな? たまには家の役に立て、女子生徒たちの交友関係調べてこい」
「なんで俺が」
「……可哀そうだろ? 先輩と後輩がどっちも危ない目に遭ってんだからよ」
和樹の言葉に、千尋はちょっと考えてから、うなずいた。
「……分かった、聞いておく」
それから、酷薄な視線が透子を射抜いた。
「芦屋透子」
フルネームで呼ばれて、透子は反射的に背筋を伸ばした。
「君はは見鬼なんだろう? だったら調査に協力してくれるだろう?」
横柄な口調よりも内容にたじろぐ。
「私は見えるだけです。それ以上、何かができるわけじゃありません」
和樹の剣呑な視線に、透子はますます身を縮こまらせた。
「そのおもちゃみたいな呪具を外して校内を調べてくるだけでいい」
「……役に立つかどうか」
和樹はハッと鼻で笑った。
「お前さ、何のためにここにいるんだ? はとこなんて遠い親戚頼って、ぬくぬくとただ飯食らいか? ――お前だって、化け物を見る能力持った化け物なんだから、せめて世間の役に立てよ。……のうのうと普通の生活を送るなんてありえないだろ?」
「やめろよ、化け物とかそんな言い方あるか!」
千尋が遠子を庇うと、和樹は口を歪めた。
「俺たちの親父様の持論だぜ? ガキの頃は、そう罵られてどんだけ殴られて訓練されたか。無能なせいでお気楽に育ったお前には、わからないだろうけどな?」
思いもしない反論に、千尋が戸惑う。
「……それは」
言葉を探した千尋を見て、透子は肚を決めた。
確かに。
――この三か月、透子はただのほほんとただ飯くらいだった。
何かの役に立とうとするのは正しいことのように思える。
「わかりました。和樹さんの言う通りです。協力します。……私でお役に立つなら」
透子の答えに、和樹はわざとらしく拍手をした。
「そう来なくちゃ、お姫様。妙なおもちゃに頼って目をそらさずに校内を観察しろよ?」
「そうします」
挑発するような視線を見つめ返すと、和樹は満足そうな顔をした。ちらりと千尋の足元にいた白猫
――だいふくを摘まみ上げて笑う。
「にゃにゃにゃにゃにゃー」
「鳴きまねが下手だな? 猫又。お前たちが協力するっていうなら、この妙な猫モドキの存在も黙っておいてやるよ。なんだこいつ?」
首ねっこを捕まえられただいふくは、じたばたと足をばたつかせて、べそをかいた。
「いたいよお、千尋、千尋、たすけて」
「だいふく! ……和樹、やめろよ! 離せってば」
「ほらよ」
千尋がだいふくを和樹から取り返して抱きしめる。
「千尋ぉ、千尋ぉ、怖かったよぉ……うぇえ」
「だいふく、大丈夫か?痛いとこないか?」
すっかり人間の言葉を喋っているだいふくと、それを庇う弟を和樹は鼻で笑った。
「それは――新しい、僕の式神だ。乱暴に扱うな」
千瑛がそれでもだいふくの事を誤魔化しながら言うと、和樹は肩を竦めた。
「その割にはずいぶん千尋になついてるんだな? でも、千瑛さんがそういうなら、それでもいいですよ。俺も黙っていてもいい」
「そうしてくれ」
「その代わり……千尋。今日はこのまま俺と家に帰るぞ。親父が待っている。週末は本家に挨拶に行くから絶対に戻ってこい、ってさ」
千尋はひどく嫌そうな顔をしたが、手の中で震えるだいふくを見て、頷いた。
「千尋くん……」
「透子。だいふくのこと、よろしくな」
気遣わしげな遠子に、千尋は大丈夫と言いたげに首を振った。
「千尋、どこに行くの? だいふくも行くよ!」
「小町と一緒にちゃんとお留守番していてくれ。月曜日には帰ってくるから。な?」
神坂兄弟は、和樹のセダンに乗って駐車場から市道を下っていく。
千瑛と透子はともに難しい顔でテールライトを見送る。
「……千瑛さん」
「うん? あ、ごめんねー和樹が色々暴言を。あいつ性格も根性も悪いから……」
「あはは。でも本当の事ですよね。私、ただ本当にのんびり過ごしていただけだし」
ただ飯くらい。ぬくぬくと。
言葉はひどいが、和樹の言う通りだ。
「千瑛さん。もしよければ私の見鬼の力ってどういう風に役立てればいいか教えてくれせんか? 同じ高校の子が今も苦しんでいるのなら、力になりたいし」
透子の申し出に、千瑛はええっと、と考え込む。
「すみれさんに、高校出るまでは勧誘しないように、って釘をさされたしなあ……」
「大丈夫です」
透子が食い下がると、千瑛はちょっと笑った。
「……正直、助かります。どうぞよろしく。あ、師匠ってよんでくれていいよ」
透子は苦笑して、もう一度頭を下げた。
千瑛に、今日は休もうかと言われ、足元でしょんぼりしているだいふくを抱き上げる。
「だいふくも、元気出して。今日は私と一緒に寝ようか? ね?」
「透子ぉ、千尋、俺を連れて行ってくれなかった。俺をいじめた嫌な奴とどっかに行っちゃった。オレより、あいつと遊びたかったのかな、かずきの方がすきなのかなあ」
だいふくは透子にしがみついてメソメソとしはじめた。
「大丈夫、大丈夫。だいふくのこと、千尋くんは大好きだよ」
猫型の式神は甘えん坊で、千尋が大好きだ。
……千尋はだいふくを透子の式神だと思っているようなのだが、本当にそうなのかな? と透子は少しばかり疑っている。だって、だいふくのそれは母親を慕う雛のように熱烈なものだ。
千尋は自分のことを無能だ、と言っていたけれど。
小鬼を殴ったり、幽霊を説得したり……式神を実体化させたり。
そんなことが何の能力もない人間に可能なんだろうか?
透子はだいふくを抱いて自室に戻ると、だいふくは透子の腹のあたりで丸くなった。
透子が慰めたことで、寂しがり屋の猫又式神の気分はほんの少し落ち着いたらしい。
「でも、千尋と透子が無事に帰ってきてよかったなあ」
「無事に? どうして?」
喉をなでながら聞くと、だいふくはうにゃうにゃと寝ぼけながら無邪気に言った。
そして、式神の言葉に凍りついた。
「だって、千尋も透子も怖い鬼の匂いがしたもん! 今日、鬼にあったんでしょー? たべられなくてよかったねえ」




