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17.だいふく

 十月の後半になると、星護町の一帯も、ずいぶんと肌寒くなってきた。


 朝は六時半起床。

 七時から四人そろって朝食をとる。

 神坂家の朝食は週替わりの当番制で作るのが決まりで、今週の当番は千尋である。

 千尋の野球部も秋の試合に敗れてしまったので、年明けまでは朝練はないらしく、この数週間はのんびりとしていた。

 文武両道な完璧少年の熱意は料理には全く向かわないようで、食パン、卵、牛乳……で終わりなのだが、猫の小町にはちゃんとキャットフードが出る。

 それから……。


「ねえ、チヒロ―。今日のオレのごはんは、なあに? ねえ、なあに?」


 しっぽが二つに別れた猫はぴょんぴょんと飛んで、千尋と透子に質問した。

 千尋がひょい猫の頭をなでると白猫はうっとりと目を細めて喉を鳴らした。


「メザシ」

「めざしー、このお魚、オレ初めて食べるよぉ。すごーく、いいにおいするー」


 どういう理屈なのかはよくわからないが、透子と千尋が格闘して追い払った毛玉は猫の姿になって一緒に暮らしている。

 毛玉は神社のあたりを長年彷徨っていた害のない低級霊だったのだが、千瑛がいうには「二人に降されて」式神になってしまった、との事だった。

 ついでに千尋が「猫がいい」と言ったばかりに猫の姿をとってしまったのだと。

 奇妙な式神を不審に思った千瑛は猫をすぐに消そうとしたのだが、怯える猫を見て透子が可哀そうだから消さないでくれと懇願し、更に千尋まで「小町と一緒に飼ったらだめか?」と懇願するので……結局、千瑛が折れた。

 なので、白いほわほわの毛並みに赤い目をした式神は、猫のフリをして、小町と一緒に神坂家のリビングを根城にしている。


「だいふく、お行儀が悪いからお皿の中でお魚は食べろよ」

「はぁい」


 白と赤の色味から千尋にだいふくと名付けられた猫はタタタと降りると透子の足元にちょこん、と座ってメザシを待った。

 小町にはキャットフードを、何故か人と同じご飯を食べるだいふくにはメザシを少し冷やして準備し、皿に盛ると、千尋は白猫に言い聞かせた。


「だいふく。今日も一日小町といい子にしているんだぞ? 約束は覚えてる?」

「オレいい子。小町と遊ぶ、神社から出ない、家族以外の前ではニャアって鳴く!」

「よし」


 千尋がメザシを渡すとだいふくは尻尾を振りながら機嫌よく食べた。

 透子と千尋も朝食を食べ終えると、学校へと急ぐ。

 これもいつもの光景になりつつある。

 行ってらっしゃい、と二人を見送って、佳乃は今度は猫たちの平和な風景を眺めはじめた。彼女も猫好きなのである。

 千瑛といえば、難しい顔で猫たち……、というよりだいふくを観察していた。


「透子ちゃんも学校に慣れてよかったわ。千尋くんも最近はよく眠っているみたいで」


 佳乃の言葉に、だいふくは顔をあげて赤い目を輝かせた。


「それはオレが一緒に寝てあげているからだよ。オレがいると、ふわふわで安心するって千尋言ってた! オレを千尋は好きなんだよ!」

「そうかそうかあー、よかったなあ」


 千瑛がこめかみを押さえながら猫に応えた。


「うん! オレ、千尋と遊べて楽しいっ、透子と遊べて嬉しいっ」


 じゃれつく猫には構わずに空中で印を描いて指を振る。

 途端に青白い烏が現れた。白銀と言う千瑛の式神だ。


「白銀、今日も二人を見守っていてくれる? 危ないことがあったら僕に報せて」


 白烏は分かったというように一声鳴いて、ふぃっと姿を消した。


「わあ! 鳥さん消えちゃったあ、ちあき、すごいねえ」


 だいふくは姿を消した烏に目を丸くしてチョイチョイと本物の猫がするように、前脚を動かしている。小町が外へ駆けだすと「オレも遊びに行くぅ!」とご機嫌に駆け出してしまった。


「だいふく、にゃあって鳴くんだよー」

「にゃあ!!」


 言っても無駄かなあと思いつつご機嫌な尻尾に声をかける。

 ……確かに、高位の術者が作った式神は言葉を操ることもある。だが、あんな風にだれにでも見えて本物の猫のように実態を保ち続けるものなんて聞いたことがない。

 あれは……式神というより……千瑛は難しい顔で眉間の皺を深くした。


「不思議ね。私は千瑛さんと違って、見えるだけの人間やけどあんな式神は初めて見たわ。——だいふくちゃんは、まるっきり猫と一緒! ちょっとすごいわあ」

「佳乃さん、だいふくのことは誰にも……」

「わかっていますよ。本家にばれたらどうせ、ろくなことを言ってこないでしょう? お口にチャックします」

「ありがとう、佳乃さん」


 千瑛は新しい式神の事を神坂の本家には報告していない。

 だいふくを物珍しさで取り上げられそうだし、そうすれば二人とも落胆しそうだ。

 それに、作られた経緯を詮索されると厄介だ。

 もしも誰の式神か、と問われれば自分が作ったというだろうが……神坂の本家は信じるだろうか。

 そもそも、あの式神を作ったのは透子だろうか。千尋だろうか。

 何の能力もない、と自嘲する従弟の横顔を思い出す。自分が無能力者だと信じて疑わない千尋は透子がだいふくを降したと当たり前のように思っているが……。

 一人でやったのか? 

 悩む千瑛の目の前を、猫たちがじゃれながら猛スピードで駆けていく。あの、害もなく神社に近辺で揺蕩っていただけの低級霊三つが、何故か一つになって。

 更には受肉した猫になった。


「あれは式神じゃ、ないんじゃないか? むしろ……」

 千瑛は言葉を飲み込んで、千尋と透子が通っている高校の方角を眺めた。



 まるで反魂のような。





 ◆◆◆

「大道具できた?」

「大丈夫! あ、待って、ここのセット壊れてる。釘を持ってきて欲しいー」


 十月の星護高校は、文化祭の準備に明け暮れていた。

 各クラスごとに企画を立てて……透子たちのクラスでは英語劇を披露することになった。演目はベタだがオズの魔法使い。

 主人公には桜が自薦で決まり、千尋も本人はものすごく嫌がっていたが、メインキャストのライオンになり、出番になると近くのクラスの女生徒がチラチラと観にくる。


「私はロミオとジュリエットがしたい」と桜は主張したのだが……。

「無理。台詞が難しい!」


 と即座に脚下されてしまった。


「……千尋くんと恋に落ちたかったのに」


 劇の上で千尋との恋に破れた(というか始まらなかった)桜はたいそうがっかりしていたがすぐに立ち直り、「私こと白井桜の美しさを全国に見せつける時」という使命感に駆られて全力で頑張っている。


「白井さん、さすが本場の発音はきれい」


 クラスメイト達も帰国子女の桜の英語に感心している。桜の発音は淀みなく綺麗だった。指導に、と担任で英語教師の柴田が観に来たが桜の発音を絶賛していた。


「特に教えることはないわね、私が教わりたいくらい!」


 柴田が笑う。

 三十過ぎの落ち着いた英語教師は、だけど、と——ちょっとだけ首を傾げた。


「だけど、白井さんの発音は少し古風なのね?」


 そんなことまでわかるのか、と透子が柴田をみると、柴田はちょっと肩を竦めた。

「時代による英語発音の変遷……、っていうのが私の大学時代の卒業論文だったんだけど、誰か読みたい人いるかしら?」


 生徒たちはみな首を横に振った。桜だけが素敵ですね! と目を輝かせた。


「英国では年配者とばかり暮らしていましたの。だから古風なのかもしれません」


 ちなみに、日本語も、子供の頃に英国に移住した祖父母に教わったらしい。

 だから日本語の言葉遣いも、どこか、古い感じの言葉なんだろう。

 ちなみ透子はプロンプターという、台詞を幕下で出す係をやっている。カンペを出すだけの楽な役と思っていたけど、今がどこの場面か頭に入れる必要があり、実はかなり大変だった。脚本を一冊全部覚える羽目になる。


「発音難しい……白井、ここの箇所どういうの」

「あ、それはね……」


 千尋の質問に桜が頬を染めて答える。


「わからなければ、兄がいつでも教えるって言っていました。最近は仕事が暇みたいで誰かと喋りたい、って。また、いらっしゃる?」

「じゃあ遊びに行こうかな」


 制服を受け取りに白井邸に行ってから、千尋は妙に白井悠仁と仲がいい。

 何回か悠仁の所へ遊びに行っているようだった。


「芦屋さん、ちょっといい?」


 透子がぼおっと二人をみていると、クラスメイトの女子三人に囲まれる。

 遠子はなに? と首を傾げた。


「あのさ千尋くん最近白井とすごく仲がいいんだけど。許していいの? あれ?」

「えっ……」


 思いもよらぬ指摘に透子は台本の確認をしている二人に視線を戻した。


 付き合ってはいないと思うけど、……単なる親戚の透子にはわからない。


「確かにお似合いだよね。なんか今日も白井さんのお家に英語を習いに行くって」

「くそー白井っ! 抜け駆けしてっ! 芦屋さんも見張ってくれなきゃ困るよ」

「え、ええっ?」


 女生徒三人は怒りをあらわにすると、桜と千尋の会話に割り込んであっという間に話をつけ、主要キャストとなぜか透子まで白井邸にお邪魔することになってしまった。

 行動力にと呆気にとられていると、小道具を作る手を休めた陽菜が笑った。


「親衛隊、殺気だってんなー。実際のところ、白井と千尋って何かあったの?」

「どうだろう……なんかね、白井さんのお兄様が翻訳家らしくて。千尋くんお仕事に興味があって何度かお邪魔しているみたいでは、あるかな」

「あの和服のさわやかなお兄さんだよね? ……翻訳家かあ。なんか千尋、一回留学したいとか言っていたもんねえ。いろいろ聞きたいのかも」

「留学! そうなんだ」


 実家とうまく行っていない千尋は、家を出ることに憧れがあるのかもしれない。


 親戚といっても何も知らないなと透子は溜息をついた。

 千尋くんと一緒に暮らすなんて許せない! と最初は透子を警戒していた千尋ファンの女生徒たちも、同居して三か月近く経ってもどうやら千尋が普段と変わらず、透子にそういう意味では無関心なのを悟ると矛先をおさめた。


「面白かったよねー、透子が転校してきた直後、髪の毛の色を黒に戻してストレートにしていた子、何人かいたもん。透子の事、彼女だって勘違いしてたみたいだよ」

「……そんなことがあったの?」


 透子自身は全くそんな現象に気付いていなかった。


「大丈夫、みんなそろそろ勘違いだって気付いたから。偽モノ透子は減りつつある」

「か、かんいちがい……それはそれで、すごく複雑……」


 そういえば最近は、千尋を巡る障害物と言うよりも、監視員や伝達係として重宝されはじめている気がする。

 おかげでクラスメイトに馴染めてありがたいのではあるが……、自分が知らない間に舞台に上げられ、勝手に戦力外通通告をされたことに、ちょっぴり複雑でもある。


「どうせ私はただの親戚だし、なんの関係もないんだけど」


 呟きが思わず漏れてしまって、慌てて口をつぐむ。

 幸い隣にいる陽菜には何も聞こえなかったようだ。

 そっと桜と千尋を観察すると、二人は身長差もあって深窓の姫君と王子様みたいで、すごくお似合いだ。どうしてだか、透子は俯いてしまった。


「あー、だけど多人数で行く方がいいかもねえ。最近何かと、物騒だし」

「行方不明のこと?」


 うん、と陽菜は頷いた。



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