16.毛玉の行方
「……私ね」
「うん?」
透子はお腹に力を込めて言った。
「幽霊が視えるんだけど、今まで……何もできなかったの。ただ怖くて、逃げていだけ。だから、今日千尋くんが、けんちゃんの頭を撫でて優しくしたのを見て、びっくりした」
怖かった、と千尋は言ったけれど――幽霊の男の子は嬉しかったはずだ。
寂しい心に寄り添ってくれて。
「……すごい、って思ったの。私が十七年かかって出来なかったことを千尋くんはあっさりやっちゃうんだな、って。本当に、かっこよかったよ! だから!」
ぽろぽろと涙が落ちてきたので、透子は慌てて千尋に背中を向けた。
感情が昂るとすぐに涙が出そうになるのをどうにかしたい、と思いながら乱暴に涙を拭うと、透子はくるりと振り返って、背の高い遠縁の男の子を見上げた。
千尋は透子の涙にオタオタしていて、それが可笑しくて笑ってしまった。
「初めて会った時に荷物を持ってくれたのも助かったし、すぐに謝るなって指摘してくれたのもすごい……、嬉しかったの。陽菜ちゃんにさりげなく私の事頼んでくれたり、クラスメイトのみんなに溶け込みやすいように気を使ってくれたでしょう?」
図星だったのか、千尋はきまり悪げに視線を逸らした。
「部活を頑張っているのも尊敬するし、模試の順位、勝てなくて残念だと思ったよ」
「模試は、次も負けねー……」
ぼそっと言うので、透子もあははと笑ってしまう。
「私ね。地元でどこにも居場所がなかったの。……千尋くんが羨ましい、っていう力を持った、奇妙な子だったから」
一緒に暮らしていた大好きな祖母でさえ、透子の力がなくなるといいのにね、と困っていた。ぶっきらぼうに見えてすみれは透子が傷つかないようにといつも庇ってくれたけれど、彼女は家族と透子の間で神経をすり減らしていた。
そんなすみれを見るのは、いつも申し訳なくて辛かった。
「神坂のおうちにお邪魔させてもらって、すごく楽に息が出来るの。それって、千尋くんがいてくれるからだよね。いきなり現れたのに、大切な場所なのに、嫌な顔ひとつせずに……受け入れてくれて……ありがとう」
透子は微笑んだ。
「千尋くんはすごい人だし無価値じゃないし、いてくれて、私は嬉しい」
千尋はしばらく沈黙すると、ふ、と破顔した。
「……ひとつだけ、訂正していい?」
「うん?」
「邪魔なんかじゃない。透子がうちに来てくれて嬉しい。ここが、俺たちの家だろ」
「そうだね」
芦屋さん、じゃなくて名前を呼ばれたことに気付いて、なんとなく気恥ずかしくなる。
そういえば、悠仁の前で倒れそうになった時もそう呼ばれていた。……距離が近づいたみたいに思えて嬉しい。
「改めてよろしく」
「うん!」
手を差し出されて握り返す。――と千尋が妙な顔をして透子の背中越しに視線を動かした。
「ど、どうしたの?」
「いや、その毛玉……」
「わっ! きゃっ!」
透子は足元をみて飛び跳ねた。
(ミエテタ)
(オレタチノコトヤッパリミエテタ!)
(アソンデ、アソンデ)
二人のすぐ足元にサッカーボール大の毛玉が三つある。
透子が初めて星護神社にきたときに見た毛玉だ。あの時は小さかったのに、大きくなって足元にまとわりついている。最近は見なくなったから、いないものだと思っていたのに
「――これ、大きくなってる!」
透子は言いながらサっと千尋の背中に隠れた。千尋がちょっと呆れた顔で見た。
「なんか俺、いま、盾にされてない?」
「してるかもっ……」
だって、見えていてもやっぱり怖いのだ。千尋は初めて見たはずなのに少しも怖がる様子がない。
「なんなんだろうな?」
たぶん、小動物の幽霊とかそんなものなのだろうと思うのだが、知識不足の透子にはわからない。毛玉がぴょんぴょんと戯れて来るのを透子はひぃっ! っと怯えて、千尋は何を思ったか。バッドを持つと、躊躇いなく、エイッと毛玉その一に振り下ろした。
(ギャン)
(ワア! ヤラレタ、ヒドイヒドイ)
(ナンダッテー)
毛玉は哀れな声をあげて霧散し、毛玉その二とその三がイキリたった。
ぷんぷんとフワフワの毛を逆立てて怒って? いる。
「なんか、……物理攻撃が効いた?」
千尋がちょっぴりワクワクしている。
だめだ、この子、思考が結構体育会系だ! と透子は思わず悲鳴をあげた。
「千尋くんなんてことをするのっ! 反撃してきたらどうするのーっ!」
「え、だめ? 危ない?」
「危ないよ! 昼間も千瑛さんに怒られていたじゃない?」
会話する二人とじりじり距離をとりながら、残された毛玉二つがモソモソと身を寄せ合う。楕円形に縮んだ毛玉はぴょんっと跳ねて飛び掛かってくる。
(クラエッ)
「わ、危ないなっ!」
千尋は反射的に毛玉をボールみたいに打ち返した。たちまち毛玉は霧散して、先程ばらばらになった毛玉とあわせて再び塊になり、シャーと小町が全身の毛を逆立てた。
「……あれ? お、大きくなってないか」
「千尋くんが叩くからだよっ」
大きくなった毛玉が襲い掛かってくる。二人はわあ! と身を躱して逃げた。うちに戻って千瑛を呼んで来ようと思ったのだが――
「なぉーん」
(ネコチャン)
ぴたりと毛玉が動きを止めて、小町をじぃっと見つめ小町の上に乗ろうとする。
「小町っ!」
千尋が慌てて毛玉を引きはがす。
「小町ちゃんっ!」
透子は逃げ出した小町を慌てて抱きしめ、その場でしりもちをついた。
それから、うちに向かって叫ぶ。
「千瑛さんっ! た、大変ですっ」
(ネコチャンバッカリ、ズルイ! チヒロ、オレトモ、アソンデ……アソンデ!)
毛玉がぴょんぴょん飛び跳ねて千尋を襲っている。
それを器用にかわしながら千尋はバットを振り回した。
「俺は毛玉も幽霊も好きじゃないんだよッ! 猫になって出直して来いっ!」
千尋が毛玉にバットを直撃させる。
ぽんっと音を立てて、毛玉が再度、霧散する。
それだけならばともかく、霧散した羽根のようなものは、また扱って、ふわふとした白い毛玉を形作って、トントンと軽い足音を立てて、千尋の足元に舞い降りた。
「オレっ、ネコチャンになるっ! なった! チヒロと遊ぶっ! ね、あそぼうよー」
千尋はバットを持ったまま、しゃべる物体を呆然と見下ろした。
透子も小町を抱いたまま、あんぐりと口を開けて視線は毛玉の成れの果て、に釘付けになっている。透子の腕の中にいる小町は瞳孔を大きくひらいて「うにゃにゃ」としきりに訴えかけてくる。
「び、びっくりだよね、小町」
「にゃ」
千尋の足にまとわりつくのは、白いぽふぽふとしたどう見ても猫だった。ふわふわのしっぽの先が二つに分かれている事と人間の言葉で喋ってくる以外は全くの猫に見える。
「ねえ、チヒロ、あそぼあそぼ」
千尋がどうしよう、と頭をかいて、戸惑ったように猫を撫でようとする。
白猫が喜んでその手に触れようとした瞬間——
「千尋、触れるな!」
鋭い千瑛の声が聞こえて——白い札が飛んでくる。
札は白猫に吸い寄せられるように張り付いて、白猫はぎゃん、と犬のような悲鳴をあげた。そのまま硬直して後ろに倒れる。
ジャージ姿の千瑛はあきれ顔で二人を見た。
「……二人して部屋にいないと思ったら、一体……何をしでかしているんだ」
透子と千尋は無言で顔を見合わせ、あわせ鏡のようなタイミングで首を捻る。
「……な、なんだろう? 毛玉が三つあって、一つになって」
「千尋さん、その猫変なんです。実は元は毛玉で、あっ! 今、喋っていました!」
千瑛は混乱する二人を見ながらあーあ、と首を捻った。
「説明は家の中でしようか」
と言いながら二人を促す。
ついでに、硬直して石段に倒れたままの白猫の首根っこを摘まみ上げると、厄介なものを……と顔をしかめた。
「千瑛、それなんなんだよ?」
「なんだ、じゃない。——おまえと透子ちゃんが無自覚に作ってしまった、式神だよ」
千瑛と透子は目を丸くして、うにゃうにゃと言いながら硬直している白猫を見る。
ついでに小町までもが大変だとでも言いたげに、「にゃー」と相槌を打った。




