15.告白
二人は白井家を後にして、星護神社までタクシーで戻り、千尋は千瑛に「嫌な事があったからって、勝手にいなくなるな!」とこっぴどく怒られていた。
なんとなく夕ご飯も四人無言で食べて、寝支度も終えて……透子は眠れないなあとベッドの上で半身を起こしていた。
従姉のすみれが業者の手配をしてくれて、ベッドやタンスや、透子が祖母の家で生活に使っていたものは殆ど新しい部屋に配置されている。
だから、神坂の家に来たばかりの頃のように、寝苦しいということもなくなったのだが、
時計をみればもうすぐ十二時だ。
さすがに今夜くらいは、千尋は寝ただろうかと思っていると、なぉん……と可愛らしい声が扉から聞こえてきた。
「小町ちゃん」
三毛猫の小町が扉の下方のすきまから身を滑らせてきて、タン、とベッドの上に飛び乗った。そしてしきりにナオンナオンと鳴いてくる。
そして、こちらへ来い、というように扉へと透子を誘導する。
「……来いって事かな?」
透子はパジャマの上にカーディガンを羽織ってそっと部屋を抜け出した。
満月なので境内は明るいが、やはり人気のないので少し怖い感じはする。小町が誘導する先にいたのは、駐車場で……人影がひとつ、千尋がそこにいた。
外套の下、無言でバットの素振りをしている。
「なぉん……」
「どうしたんだよ、小町。夜のお散歩か? 早く寝ないとだめだぞ」
あどけない笑顔に戻った千尋がバットを置いて三毛猫を抱きかかえる。じゃり、と玉石を踏みながら透子は少年の前に姿を現した。
「早く寝ないと駄目なのは、千尋くんもだと思うんだけど……」
「芦屋さん、どうしたの?」
千尋は驚いた顔をした。
不快な表情を浮かべてはいないけれど、小町に向けていた警戒が全くない笑顔は、ぱっと消えてしまっている。
「小町ちゃんが呼ぶから、ついて来ちゃった。そうしたら千尋くんがいて。眠らないの?」
「なんか、目がさえちゃって」
千尋にしては珍しく、歯切れが悪い。
「……いつも、遅くまで起きているよね。……大丈夫なの?」
「起こしちゃった? ごめん」
透子はちょっと笑った。
「それ、癖?」
「え?」
「簡単に謝るの、よくないよ」
神坂家に来たばかりの時に、千尋が透子に言った言葉だ。
千尋は呆気に取られて……ややあって、参ったなと頭をかいた。
それから、ちょっと話していい? と透子を促した。
「簡単に謝っているつもりじゃなかったんだけど、やっぱり謝っておく。ごめんな、昼間、変な場面に付き合わせて」
石段の一番上に腰掛けながら、千尋は言った。
膝には三毛猫がここは自分の場所だとばかりに寝っ転がっている。
「お兄さんが、いたんだね」
「似てないだろ、俺と和樹」
うん、と透子は頷いた。
「……どうせおせっかいな陽菜が話していると思うんだけど、俺の家ってちょっと複雑なんだ。だから——和樹とも、父親とも関係は最悪で」
透子は視線を泳がせた。陽菜からは内緒ねと言われていたのだ。
芦屋さん、嘘つけないよなあと千尋は肩を揺らす。
千尋の両親は千尋が小学生の頃に離婚して、さらに父母共に新しい家庭があると聞いた。
「和樹とは母親が違うんだ」
「え、でも……」
思わぬ言葉に、透子は目を丸くした。
母親が違う? 和樹が年上なのに?
彼は大学生……のようなことを千瑛が言っていた。
では、千尋の父親は離婚歴が二回あるということだろうか。
「良血から生まれた駄馬って和樹が言ってたの。あれ、俺の事なんだ」
和樹が昼間、透子に言っていた言葉だ。
てっきり、透子を侮辱する言葉だと思っていたが……。
「元々、うちの父親は和樹の母親と恋人同士だった。だけど結婚に反対されて」
和樹の母は全く神坂の家には関係ない人だったから、血統を重んじる神坂の本家は交際に大反対した。
和樹の母は妊娠をうちあけずに姿を消し、千尋の両親は一族が命じるまま結婚して、千尋が生まれた。
「和樹の母親は、あいつ産んですぐに亡くなって、あいつは本家に引き取られて。……親父はよく会いに行っていて、俺もよく連れていかれて遊んだ」
小さな頃の千尋はそんな事情を知らずに、親戚のお兄ちゃんだ、と懐いたらしい。
神坂の家の人間は、ほとんどが見鬼や退魔の能力を持つ。
透子や千瑛のように。
和樹も幼い頃からヒトではないものをよく見ていたという。本家に近い血筋の長男長女から生まれた千尋にも当然、それが期待された。だが……。
満月を見上げながら千尋は、ポツリと言った。
「俺には、なかった。何も見えないし、聞こえないし……」
息子に落胆した千尋の父親は和樹を正式に認知して、跡取りとして引き取ると言ったらしい。それに反発した母親が家を出て、結局両親は千尋
が小三の頃に離婚した。
「それでも、母さんと二人でやって行けばいいかなって思っていたんだけどさ。俺が知らなかっただけで、両親の仲はとっくに冷めてて。離婚したときには母さんにも、もう……俺より大事な人がいた。親父と結婚する前からずっと好きだった人がいたんだ、って」
一年も過ぎないうちに母親は再婚して、父親の違う妹が生まれた。
千尋は母親を祝福して新しい家族に馴染もうとしたけれど。
どうしても母親の再婚相手とも妹とも馴染めずに、千尋はだんだん眠れなくなった。
祖父母の家に避難したこともあったけれど、歓迎されなかった。
「祖父母は、母方も父方も神坂の人間だからさ。母方も父方も俺を見るとため息をつく」
——血統はいいはずなのに。当てが外れた。
——あの結婚は失敗だった―――千尋は出来損ないだ、と。
……それが神坂の家から与えられた千尋の評価だ。
「そんなの」
透子はさっと血の気が引くのを感じる。
「両親にとっては……腹が立つ話だよな。お互い恋人と別れて好きでもない相手と家のために結婚したのに。結婚は失敗で、息子は出来損ないで。……我慢していた十年間は、なんだったのかって後悔しているんだ。俺の存在ごと」
そんなことはない、きっとご両親は千尋くんのことが大切だよ。
……なんてことを透子は言えなかった。
透子の母親は五歳のころから行方不明で……父親は十歳の頃に他界した。親の愛情がどういうものなのか、いまいち透子にもわからないのだ。
和樹は和樹で、認知はされて父親と同じ仕事をしてはいるものの、父親が裏切らなければ母親が不幸な死に方をしなかったのではないか、と。恨みに思っているらしい。
透子は昼間目にしただけの、どこか酷薄な雰囲気の青年を思い浮かべた。
千尋の話が本当なら、彼も大人たちに振り回された被害者だ。
だけど……千尋に当たるのは、絶対に八つ当たりだ。
「中学に上がる前に、俺がいよいよ体調もおかしくなりかけてさ、千瑛が見るに見かねて、無人だった星護神社に一緒に住もうって、言ってくれたんだ」
大学を卒業したばかりの千瑛が、佳乃とともに、千尋の避難場所になってくれたらしい。
だから二人の仲は特別なのだ。
「芦屋さんはいいなって」
千尋は小町を抱きしめて、柔らかな毛並みに顔をうずめた。
「え?」
「ひどいだろ。霊をみるたびに芦屋さんは怖がっているのに。その見鬼の能力が俺にあればいいのになあって思っていた……そうしたら俺は、無価値じゃなくなる」
「無価値だなんて」
透子は言葉を失ってしまった。
神坂の家に来て一か月、透子の目から見た千尋は、頭もよくて運動もできて優しくて、どこから見ても完璧だ。
学校で、彼に憧れる人間は多いはずだ。男女共に。
「今もあまり眠れないの?」
「眠んない癖がついた。よくないとは思っているんだけど」
それで、遅くまで勉強をしていたわけか。




