士官学校の戦い ‐奇襲、吶喊、蹂躙‐
東大陸帝国軍の動きは素早かったと言える。
それはシレジア王国軍の内通者から情報提供があったためである。
「……とは言え『相手が攻勢に出てくる』という情報だけではな。これが具体的な戦術や作戦だったらまだよかったのだが」
「敵の高級士官は忠誠心が高いということでしょうか」
帝国軍を率いるシロコフ大将はその内通者の言葉が真実かどうかを見極めるために前哨部隊を各地に配置し、実際にそれが真実であることを証明してみせた。
南より来るシレジア王国軍の数は約3万。
対して陣を構えて迎え撃つ帝国軍の数は10万。しかし冬の補給路を警備するための戦力、ならびに占領地の治安維持に必要な戦力を除いた分がここにはいない。
そうは言っても、それでも帝国軍は8万足らずの戦力を保有していたのだが。
「彼我の戦力差は約3倍。そして相手は無理強いして攻めてくるのに対してこちらは準備万端。如何な無能でも勝利は約束されたような物。しかし我らの将軍は勇名馳せるウラジミール・シロコフ大将となると、完勝は疑いようもありませんな」
「あまり変なことを言うな、参謀。そういうことを言えばツキが離れるという物だ。それに、慢心こそ帝国軍の大敵であることを忘れるな」
帝国軍を率いるウラジミール・シロコフ大将にとってシレジア王国軍は、自身が最も苦手意識を持つもののひとつである。
数年前、彼がまだ少将であったとき。
ラスキノで行われた小さな戦争で、彼は負けた。当時の司令官であるサディリン少将が足を引っ張ったという点が大きいが、それでも彼は戦力的に優位に立っているはずなのに、シレジア王国軍(正確に言えばラスキノ独立派に与するシレジア義勇兵)に負けたのである。
その雪辱の機会を、新皇帝セルゲイ・ロマノフより下賜されたからには、シロコフ大将としてもここで再び負けてはシロコフの名が廃るというものだった。
「とにもかくにも迎撃の用意だ。正面の偵察・斥候部隊は直ちに撤収。しかし側面と背面はそのまま残せ。戦闘要員は直ちに戦闘準備を整え、工兵隊の陣地構築を急がせろ」
「ハッ!」
敵と戦う時は常に全力で、手加減なしに、油断せずに。
ラスキノで得た、彼の教訓である。
しかしそれと同時に、この場面で攻勢に出たシレジア王国軍の真意を確かめたいという、武人としての興味もまた持ち合わせていた。
攻勢に出たということは、何か策があるという事だろうと。
「シレジア王国軍の指揮官の腕前、どのようなものかな……?」
シロコフはひとり、冬の荒野に立ってシレジア王国軍が来るであろう南を見ていた。
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一方、シレジア王国軍はそのような帝国軍の動きを遠くから見ているだけだった。
「帝国軍は防衛態勢を築いてガン待ちか……ま、補給に問題がある以上無理攻めする余裕も帝国軍にはないし、数に差があるから黙って見てるだけでも勝ちが見込めるから冒険しなくてもいいもんな」
帝国軍の動きを一望できる小高い丘陵地帯に、王国軍司令官ヨギヘス将軍に付き従う参謀ユゼフ・ワレサは特に感慨深くもなく冷静に状況を見ていた。
前哨部隊に任せず、自分自身の目で状況を見るために、彼はそこにいた。
「で、ユゼフくん。あんなに帝国軍がガッチリ構えていたら打つ手ないと思うんだけど?」
「普通はそうですね」
「……まぁ、君が普通の手を使うことはないと思うけれど、勝ち目あるの?」
「あると信じたいところです」
ユゼフについてきた連絡士官であるイリア・ランドフスカの問いに、あいまいな答えだけを繰り返す。
まるで用意周到に準備しているイタズラを事前にバラしたくないような、そんな子供じみた心理が彼をそうしているのだろうと、イリアは直感的に思った。
子供という歳でもなければ、この見た目からは想像もつかない女たらしであるのだが。
「……なんか失礼なこと考えてないですか、先輩」
「別に?」
「…………」
イリアを知る者の中で、シレジアの秘密警察組織の一員であるイリア・ランドフスカに不信感を募らせない人物はこの国にはいない。ユゼフもまたそのひとり。
「やだなー、今ユゼフくんを困らせるような情報は私何も持ってないってー」
「……今?」
「おおっと」
冬なのに妙な汗をかくユゼフと、ニヤニヤと嗤うイリア。
「……まぁ、いいです」
根負けしたユゼフは、イリアに作戦の一部を話すことを決めた。
「先輩。ここは士官学校にほど近い、ペデリアの村付近ですよね?」
「そうね?」
「で、その村で何か思い出ありませんか?」
「……士官学校時代はここで軍事教練をしたこともあったっけ?」
「えぇ、つまりそういうことですよ」
「…………つまり?」
「……」
もしかして先輩はサラ並に頭が悪いのか、と不安に思うユゼフ。
対するイリアは「情報戦専門だから戦術わかんない、早く説明して」と目で訴える。
「……戦場において絶対多数の不利を覆す逆転の一手というのは、多くありません。練度、新戦術、新装備、天候……そして地の利です。しかし我々は練度においては新兵も多く優位を確保できません。新戦術・新装備なんてものもありません。天候は冬で気温が下がっているため敵の補給線に過負荷をかけていますが、それはこちらも同じです」
「つまり、地の利が重要だと?」
「はい。そして繰り返すようですがここは士官学校のすぐ傍。私たちは士官学校在学中何度もここで軍事演習を行っていました。何回も何回も足を運んだ馴染みの地なんです」
「士官学校出身者にとっては、ここは地元の地元、ってわけ?」
「そういうこと。全員がうんざりするほど地図を覚えさせられた場所ですから」
一般兵ならともかく士官の殆どがこのあたりの地形を把握しているという事はそれだけで大きなアドバンテージであると、ユゼフは説明した。
防衛するにしても地形効果を受けられ、攻撃するにしても敵の意表を突ける地点を事前に知っている。
何度もやってきたことなのである。
「いやぁ、在学中にエミリア殿下指揮する部隊を蹴散らしたこともありましたよ……懐かしいですねぇ」
「ユゼフくんってばそんなことやってたんだ……」
「まぁ、ノリで」
ノリで姫様の部隊を蹴散らす平民出身者がいるらしい。
並の士官候補生にはできないことだろうが、彼は平然とやってしまった。
「それで、こっちは攻撃出る側だということは奇襲するってことよね」
「はい、そうです」
「あんなガチガチに固めてる帝国軍相手に奇襲が通じるのかわからないけれど……具体的には?」
「今私達がいる丘陵地帯を使いましょう。ここは少し高さがあるので、部隊を容易に隠せます」
「ははーん。なるほど、なるほど。丘陵地帯で部隊を完全に隠して敵の弱点を攻めるってわけか。案外わかりやす――」
「え、違いますよ?」
やっとユゼフの心理を理解できたと思った矢先に、その思考を止められるイリアだった。
「えっ?」
「そんなやすっぽいことはしないですよ。帝国軍には丘陵地帯の隙間から垣間見えるシレジア王国軍の機動を見せてやりましょうよ。サラの地獄の特訓のおかげでそれなりの練度にはなりましたしね」
「え、は? え???」
今まで説明してきたことを全て引っ繰り返されたかのような衝撃の言葉に、思考が追いつかないイリア。ユゼフはそんな彼女を見て「そんな反応が見たかった」と言わんばかりにニヤニヤと嗤う。
……仕返しか。
そう考えたイリアは、その生意気な後輩を思い切り叩いたのである。
「で、それとここにサラちゃんがいないことが何か関係あるの? いつもユゼフくんについてきてるし、偵察に役立つ騎兵隊の指揮官でもあるんでしょう?」
「名目的な指揮権は私にありますけれど、まぁ、彼女が指揮官でいいか……」
「んで、どうなの?」
「関係大ありですよ。サラには重要な作戦をやらせているところです。時間もないですし、そろそろ私たちも本隊に戻って作戦を遂行しましょうか」
ユゼフは丘から降りて、いつまでたっても慣れない手つきで馬にまたがる。
こういうときにこそカッコよくスタイリッシュに決めるのが士官の仕事だろうに、と、そう思わなくもないイリアだった。
「それに結局、具体的に何をやるのかを聞きそびれたわ……」
ぶつぶつと文句を言うイリア。
しかし彼女の疑問は、その暫く後に答えを見ることになる。
翌朝の、5時30分。
太陽もまだ覚醒に至っていないような早朝、薄暗く、寒いシレジアの大地には、薄い霧が出ていた。
まさに「戦場の霧」と呼べるその好機に、シレジアの士官たちは静かな歓喜の声を上げて、予定を急遽はやめて行動を開始した。
シレジア王国軍、ザレシエ大将率いる3万の軍勢。
ユゼフが哨戒に出ていた丘陵地帯に、身を8割くらい隠して、東に移動を開始したのである。
その様子は、暫くして東大陸帝国軍司令官シロコフ大将にももたらされる。
「動いたか……払暁と共に我らの左翼を襲うつもりだな?」
哨戒部隊からの情報によって、帝国軍も行動を開始。
予備部隊、及び右翼から戦力を抽出して左翼を増強する。奇襲に成功したと勘違いしている王国軍を一気に撃滅し、プウォツクまでの道のりを確保する。
「どのような策で来るのかと思ったが、安直な策だ。哨戒部隊の展開している状況下で奇襲など無意味だ!」
全ての策を看破して見せた、そう思うシロコフ大将は万全を期するために哨戒部隊の撤退を命令。これは王国軍に「哨戒部隊がいない、敵は奇襲に気付いていない」と思わせるための策でもあった。
そしてまんまと、左翼にやってきた王国軍を待ち構える。
奇襲をかける王国軍に対する奇襲という策は、成功すれば戦争が終結するほどの意味をもつ勝利を得ることができただろう。
……成功すれば、の話であるが。
シロコフ大将の最大の誤算は、今自分が相対しているシレジア王国軍の中に、かつて雪辱を受けたラスキノにおいて独立派に参加していたシレジア義勇兵、ユゼフ・ワレサと――、
「閣下、大変です。敵の奇襲部隊が――!」
「むっ、意外と足が速いな。すぐに予備部隊と抽出した右翼部隊を左翼に回すんだ!」
「ち、違います。敵奇襲部隊が、我が方の右翼に展開した模様です!! 軍旗からみて、恐らく相手はシレジア王国軍近衛師団第3騎兵連隊と思われます!」
「――なんだと!?」
サラ・マリノフスカという天才がいたことである。
シレジア王国軍近衛師団第3騎兵連隊、総数は僅か3000名にも満たない。
しかしその力は、サラ・マリノフスカという稀代の天才女性士官の手によって、万にも等しい戦力を持つと謳われる。
そしてそんな彼女が、信頼する、あるいは親愛なる「彼」から受けた命令は、単純明快かつ、サラの性格をよく知っている者だけが出すものであった。
『暴れ回れ、蹂躙しろ。奴らにサラの力を見せてやるんだ』
「――そう言われたら、やるしかないでしょ!! 全隊、吶喊! 目標、敵右翼!」
まさに鬼神の如く。
電光石火、疾風迅雷の騎兵突撃。テンションが最高に昂ぶったサラの騎兵突撃を止めるものなど、この世に果たして存在するのだろうか。
第3騎兵連隊と最初に接敵したのは、帝国軍右翼騎兵連隊。数は同数なれど、練度においては天と地ほどにあっては、彼らに出来たことは敗走と、司令官への状況報告のみ。
「雑魚ばっかね! このまま敵騎兵隊を追い散らして、そのまま右翼歩兵陣地を突破するわ! こんな相手にヘタこくやつはウチにいないでしょうね!?」
「いるわけないですよ、隊長!」
「なら安心だわ!」
突撃し、暴れ、蹂躙する。
「左翼から来る奇襲を待ち構えていたら右翼から奇襲を受けた」との報告を受けた司令部は混乱した。
「て、敵は左から来るんじゃなかったのか!?」
「右翼騎兵連隊は壊滅、敗走していきます! クソ、右翼が攻勢正面だとすれば予備軍もない状況では部隊が持ちません!」
「チラチラと丘の向こうに見えていた王国軍は陽動だったんだ。こちらの戦力バランスを崩すための……やられた!」
右翼指揮官からの悲鳴に似た報告に、シロコフもまた狼狽する。
だがその狼狽も、一時的なものとして冷静さを取り戻した手腕は、彼の優秀さを示すものであるかもしれない。
「狼狽えるな! 確かに敵に裏をかかれたのは事実だ。しかしこちらは戦力で上回っていることを忘れるな! 予備軍と抽出した右翼部隊、それと左翼部隊の一部を回すんだ! 俺も前線に出て混乱を治める! 軍旗を用意しろ!」
シロコフは、一指揮官としての責務を果たそうとしている。
シレジア最強の騎兵連隊が出てきたとなれば、それは危機でもあり、好機でもある。ここで潰してしまえば、戦局全体を動かすことになる。
「よし、直ちに右翼への救援に向かう! 右翼部隊は側背を突かれぬように適宜戦線を伸ばし、数の利を生かして包囲殲滅を試みるんだ!」
彼の叫びがこだまする。
右翼の危機を救わんと戦場を駆ける。
しかしその時の彼は、致命的なミスを犯したことにまだ気付いていなかった。
時刻はまだ朝の6時40分。
戦いは始まったばかりである。




