反撃の嚆矢
「……ユゼフさんがあと3人、いえ2人欲しいです」
天に向かって実現するはずのない願いを呟く、そんな王女がいる執務室。その王女を補佐・監督する役目を背負った女性はそれを否定することはなく、
「確かに。彼が欲しいところですね」
と、同調してみせたのである。
国土の過半を占領され、滅亡への坂道を転がり続けるシレジア王国であっても、エミリア王女とその腹心であるマヤ・クラクフスカの仕事は減ることはない。むしろ人材を次々と失う戦時においては指数関数的に増え続けるのみである。
だからこそ、あの器用な男が欲しいと感じるのである。
「前線で作戦を練り、後方で戦略を考え、敵地で諜報活動を行い、そして王宮で殿下の補佐を行える男です。なぜユゼフ・ワレサが一人しかいないのかと神を恨みますね」
「全くです。それに彼が抱えている女性問題も、彼が複数いればここまでこじれることもなかったでしょうに」
「いやはや、その通り。彼が3人もいれば1人ずつ均等に与えられるのに」
「えぇ……って、2人で十分な気がしますが」
「殿下の隣にも必要でしょう?」
マヤは笑う。対するエミリアは、
「仕事の手伝いとしては必要ですよ」
と肩を竦めるのみ。
それ以上の詮索は、エミリアの好むところではないのでマヤは黙って笑う事しかできない。その笑いも、エミリアからしてみれば「不貞腐れる」十分な理由となるのだが。
「はぁ……。もう、マヤと言う人は……」
「申し訳ありません、殿下」
「本当にそう思ってますか?」
エミリアの本気の疑問に、マヤはあいまいな答えを返すのみである。
「そんな噂のユゼフくんから連絡です。オストマルク政変に対応する戦力をカールスバート王国軍から抽出、且つ前線にいる部隊からも引き抜きたいとのことです」
「……時間的に、それは事後報告じゃないですか?」
「仰る通りですね」
マヤは再び笑い、エミリアは溜め息を吐く。
王女で、主人であるはずの自分を飛びえて戦略決定する男というのはこの大陸どこを探してもユゼフしかいないだろうという溜め息だった。
「……でも、ユゼフさんのことですから正しい事なのかもしれませんね……それに、これを云々する権利も時間も、我々には残っていないのですから」
「では、承認しておくと?」
「それ以外選択肢はありませんからね。私たちはこの戦争に他国が介入しないように精一杯のことをするのが限界です」
言って、エミリアは手元の紙を見る。リヴォニア貴族連合の動向である。オストマルクの政変に続き、あの国がこの戦争に便乗することとなればシレジアは滅びる以外の道を断たれる。そのためにもオストマルクを元の道へと戻す必要がある。
だがそのためには、複雑に絡まった糸は切らぬように丁寧、且つ迅速にほどかなければならない。
「……それをできるのはユゼフさんただ一人……彼が成し得ることが出来ぬというのなら、他に誰ができるというのでしょうか」
その疑問に答えられる者は、この国にはいない。
「マヤ、ユゼフさんには『委任する』と伝えてください。それが最善と私は信じます。……それとこれは重要な事ですから、証人として使者を送りましょう」
「わかりました。誰に?」
マヤに聞かれ、エミリアは暫し悩む。
けれどこの国において、エミリアとユゼフ両方から信頼される者など、そう多くはない。
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「……で、来たのがランドフスカ先輩ですか」
「そういうことよ! いえ、こういう口はダメですよね、『大佐』」
「あなたに敬語を使われるのは少し背中がむずむずしますよ……」
というわけで、イリア・ランドフスカ先輩である。内務尚書ランドフスキ男爵の娘にして、内務省高等警察局と協力して諜報活動を行っていた人だ。
「そう? なら元通りに」
「そうしてください。……それで、エミリア殿下はどうでしたか? あの人のことですから、きっと無理しているんじゃないでしょうか?」
「んー、そうね……無理しているとは言えばそうかも。でもマヤちゃんがずっとついてるから大丈夫じゃない?」
「だと良いんですが」
エミリア殿下は責任感が強い人だ。そう言う人がこういう追い込まれた状況に陥ると、どうなることやらわからない。過労死でもされたら困る。
「そんなに心配ならシロンスクに行っちゃう?」
「……遠慮しておきますよ。ここで私が行っても何かできるわけじゃありません。自慢じゃありませんが、私はたとえ私があと3人いたとしても殿下の半分の事務処理能力しかありませんから役に立たないでしょう」
エミリア殿下が凄いだけとも言うが。
「そんなことないんじゃないかなー……ま、ユゼフくんがあと3人いたらそれはそれで女の子たちが大変なことになるでしょうけど」
「なりそうですね」
でもそうなった方がサラさんとフィーネさんの妙ないさかいに巻き込まれなくて済む……。
その後、一通りの無駄話をした後にイリア先輩は言伝と文書を俺に渡してきた。内容は衝撃的なものである。
まさかの『委任状』、エミリア殿下、もしかして自棄になっているんじゃないだろうか。
「ユゼフくんは信頼されてるということよ」
「たかだか大佐に御過分な……と言いたいところですが」
「皮肉? 君、今まで何やって来たか自覚ある?」
「……まぁ、ありがたいところです。これで作戦が始められます」
俺がそう言うと、ほらねと言わんばかりに肩を竦める先輩である。
オストマルクで囚われの身になっているフィーネさんらを助けるための作戦である。まぁ彼女のことだから今でもピンピンしてるだろうけれど。
「作戦って?」
「ああ! ……コホン。作戦と言う程でもないんですけれど、オストマルク救援の為にはカールスバート王国軍だけでは不足です。その他にも、我々シレジア王国軍からも戦力を抽出する必要性があります」
「そうね。でもそうしたら、帝国軍は機を逃さず攻めてくるんじゃない?」
と、イリア先輩。間違ってはいない。元より、それがあるから帝国軍はゆっくりしていられるのかもしれない。だからこそこちらが策を弄さないと。
「故に、我々はこれより限定攻勢に出ます。地の利とこの天候を活かして、帝国軍に出血を強いて彼の国がこれ以上の侵攻を思いとどまらせるために」
「はぁ……具体的にサッパリわからないけれど」
「それはまぁ、あとのお楽しみという事です」
具体的な作戦案はヨギヘス閣下にも伝わっている。あとは、上手く事が運ぶように祈るだけだ。




