母校
短いです
王都のエミリア殿下より、王国軍全軍に達せられた命令は単純。
「……ヴィストゥラ川まで撤退、か」
予想通りの、そして最悪の事態である。
シレジア王国は国土の三分の一を、放棄せざるを得なくなったから。当該地域に住む人たちを疎開させる暇もないし、その中にはアテニ湖水地方周辺からの疎開民もいる。俺たちが必死になって疎開の時間を稼いだのに、それを全て無に帰されてしまった。
もしこれが皇帝セルゲイの戦略によるものだとしたら、相当頭がいい。俺たちの積み上げた戦術的な勝利を、たった1回の戦略的勝利によって全てひっくり返されてしまったのだから。
やんなるね。
しかし、どうあがいても状況は改善できそうにもない。対面する帝国軍の数は圧倒的で、別方面に展開していた帝国軍もそれなりの数だろう。
ここで立ち止まっても意味はない。
「……サラ、部隊を纏めて。下がろう。俺たちの仕事は終わった」
「…………うん」
覇気のないサラ、というのを戦場で間近で見ることになるとは、これはいよいよダメなのかもしれない。
11月8日。
敗残兵を合流したヨギヘス大将率いる軍は、無事ヴィストゥラ川に到着した。
ヴィストゥラ川は王国中央部を左に寝かせたSの字型に流れる大河である。川幅と水深は十分にあり、大陸の河川ということもあって流れは穏やか。それ故に、ヴィストゥラ川を利用した水運が発達している。
実際、この川は上流のクラクフに始まり、東部最大都市ヴィラヌフ、王国内戦時に激戦を繰り広げたトルン、王都シロンスクへの入り口たるブロンベルク、そして河口に港湾都市グダンスクがある。
んでもって、今俺たちがいる場所は、トルンとヴィラヌフの間にあるプウォツクという都市である。別段大きな都市というわけではないが、ここは俺たちにとっては馴染みの場所でもある。
「……まさかこんな形で、帰ってくるとはな」
「そうね。懐かしいわ。あの時はよくユゼフの鳩尾を殴ってた気がする」
「今でもたまに殴られてる気がするけど」
「もう鳩尾には殴ってないでしょ!」
かつての学び舎、王立士官学校はこの街の近くにあったのだ。
だが現在、士官学校には活気がない。
戦争中で多くの教官や士官候補生が引き抜かれていることもあるが、王国内戦の時に、大公派貴族と王女派貴族との争いが学校内にもあったからである。
故に、内戦終了後は学校としての機能を喪失してしまい、辛うじて残っていた候補生や教官も戦争に駆り出されてしまったのである。
もぬけの殻の士官学校は、どこか寂しかった。
しかし不幸中の幸いとして、この士官学校を仮司令部にすることができた。士官、下士官には士官学校に併設された寮の空き部屋や教室なんかを宛がわれた。
「……久しぶりに居残り授業でも開く?」
「嫌よ。ユゼフの話、ときどきわけわからなくなるんだもん」
「じゃあラデックに頼んで算術の――」
「ラデックは死ぬほど忙しそうだったけど?」
ごもっとも。負ければ負けるほど兵站事情が悪化していく。東部の生産地を失い、貯蔵されていた物資を敵に使われないよう泣く泣く焼く羽目になったのだ。
ラデックでなくとも泣く。
「……でも、今この国がどうなってるのか、よくわからないわ。作戦会議にも出たけど、ユゼフ以上に何言ってるかわからなかったし」
と、サラ。
もしかしたらこれは、居残り授業の成果はなかったのかもしれない。
「じゃあやっぱり、久しぶりの居残り授業と行こうか」
俺がそう言うと、サラは俺の手を引っ張ってどこかへと連行する。卒業からだいぶ経っても覚えているかつての学び舎の配置。サラの行きたい場所は、すぐに見当がついた。
「なら、ここでやりましょうよ」
そう言ってドアを開けると、そこはかつて俺たちが居残り授業をしていた、懐かしの教室だった。




