孤立状態
情報共有も終わり、宰相府を出た時には夕暮れ時だった。
エミリア殿下やマヤさんはそんな時間になっても、まだ宰相としての仕事があるらしい。
「世界で最も忙しい王女ですね、あの方は」
と、フィーネさん。
彼女の言う通り、王女殿下であるのにも拘わらず、俺より年下にも拘らず、エミリア殿下は働き詰めである。社畜という言葉がよく似合っている。
あそこまで働いてしまえば、いつかは過労で倒れるかもしれない。マヤさんがいるから大丈夫だとは思うけれども。
「なら手伝ってあげたらどうですか、大佐?」
「フィーネさんも知ってるでしょうけれど、私は事務仕事が苦手なもので」
これがラデックあたりであればよかったんだろうけれど。
「ユゼフ大佐は相変わらずダメですね。どうしてそんなに出世できたのかわかりませんよ」
「たぶん、シレジアじゃなかったら大尉が限界だったでしょう」
それだけに、シレジア王国軍の人材不足は深刻なのだ。
内戦時において臨時採用した士官の多くは、そのまま軍に入隊したと言う。論功行賞もままならない中で臨時に編成された軍隊の事務的処理など、膨大じゃないわけがない。
だから何とかしなくてはならないけど、枯渇する人的資源を回復させるのには年単位の時間がいる。そう簡単に解決出来たら、今こんなことしてなかっただろうし。
そんなことに思いを馳せながら、既に日が落ち、人気もまばらで静かな王都を、俺とフィーネさんは二人きりで歩く。
傍から見ればデートかもしれないけれど、そんなにロマンチックな散歩と言うわけでもない。
内戦の爪痕がまだ残っている。エミリア殿下を救出した時に多少戦闘が起きたらしく、その跡がまだあるのだ。修理しようにも、それをするだけの金や物資に余裕がない。
「……カロル大公は、何をしようとしているのでしょう」
王都のその惨状に至らしめた直接の原因を作った彼のことを、フィーネさんはポツリとつぶやいた。
何があって国王と別の道を歩むことにしたのかは知らない。何故エミリア殿下を暗殺しようとしたのかもわからない。そしてどうして、国を裏切ったのかもわからない。
だが彼らが今東大陸帝国にいるという情報は、マヤさんの兄からの情報によってわかっている。
となると「何をしようとしているか」というフィーネさんの質問には答えられる。
「カロル大公は、東大陸帝国の威を借りてこの国を、シレジアを滅ぼすつもりなのでしょうね。恐らく年内には」
「そして東大陸帝国の庇護下に入る、ですか? でも庇護下に入るだけであれば他にも方法はあるはずです」
情報省勤務のフィーネさんらしい疑問だ。
確かに、色々方法がある。エミリア殿下をセルゲイ・ロマノフに嫁がせ共同統治者に据えて、彼らの子供に東大陸帝国皇帝とシレジア王国国王の座を与える。同君連合という方法で、ぶっちゃけオストマルクも似たような方法でシレジアを支配下に置こうとしている。
あるいは経済的な侵略を行って基盤を揺るがし、世論や収入と言った面から圧力をかけて併合を迫るという長期的なやり方もある。
だが戦争によって併合するのも、一つの手だ。彼我の国力差を考慮すればこれが一番手っ取り早いし、楽でいい。
「ではカロル大公らは何をしに彼の地に?」
「これも推測ですが、大義名分を作るためでしょうかね」
「……大義名分が作るものとは驚きですよ」
いや、別におかしくない。
例えば「帝国が指名手配する国事犯誰某がシレジアに逃亡した。シレジア政府に引き渡しを要求したが『そんな人物はいない』との一点張りだ。しかしながらシレジア政府は国事犯誰某がシレジア国内にいない証拠を提示していない。と言うことはシレジア政府は国事犯誰某と共謀しているに違いないのだ。これは戦争類似行為に相当するから、我が国は貴国に宣戦布告する」と言う手がある。
そんな無茶な、と思うかもしれないが似たような手法を使った国は結構あるのだから笑えない。
「今回の場合は……恐らくは『正当な手段によって国王となったカロル・シレジアを、エミリア王女派が武力で以って追放した』と言って、カロル大公が東大陸帝国に『自身が正当な国王であるから、失地回復のための協力を要請する』とでも要請すればいいです」
「国王自らが皇帝に嘆願して軍隊を招き入れれば、もう『侵略』ではありませんね」
「名目的にはそうなります」
あとは東大陸帝国軍がシレジアに居座って占領状態に置けば、保護国と言う名の併合に至るわけだ。その統治が苛烈なものになるのか、温和なものになるかはセルゲイ次第だが……。
「どうなると思いますか?」
「……セルゲイの今までの成果を見る限りでは、併呑直後の多少の混乱期を脱すれば安定な統治を達成できるかもしれませんね」
なにしろ腐敗した東大陸帝国において守旧派貴族の権威を失墜させ大改革を実行して帝国を若返らせた皇帝である。帝国内における統治の公正さは、彼の国に忍び込ませている諜報員からの情報によって得ている。それにカールスバート内戦時に、苛烈な思想を持った民族主義者を排除しているようだし。
あの国の皇帝の世界戦略、いったいどうなっているんだか。
「でも、東大陸帝国では公正でもシレジアに対しては苛烈であるかもしれません」
「違いありませんね。だからこそ、我々は戦わなくてはなりません」
それは軍事という面だけでなく、政治や外交という面でも戦わなくてはならないと言うことだ。
オストマルク帝国は国内問題で介入できない。
キリス第二帝国はグライコス地方を失って再興の途中。東大陸帝国と事を構えている暇はない。
カールスバート復古王国も内戦が終わったばかりだし、国力はシレジア王国と大差ない。
となると、残りはリヴォニア貴族連合か……。
「フィーネさん。確かリヴォニア貴族連合の筆頭公爵家のひとつ、ヘルメスベルガー公爵家はオストマルク帝国皇帝家の傍系なんですよね?」
「はい。歴史学上、正確な表現をするのであれば、オストマルク皇帝家がヘルメスベルガー公爵家の傍系なのですが」
「どっちもいいですよ。どこまでやれるかわかりませんが、働きかけてくれますか?」
「……あちらはあちらで、まだ反シレジア同盟を堅持しようとしています。難しいでしょうが、なにか彼らに益があるでしょうか?」
「東大陸帝国の膨張を防げます。その事情は、オストマルクと同じはずです」
確かにリヴォニア貴族連合は、現時点においては敵だ。
だが東西に敵に挟まれて独立を保っていられる程シレジアは強くないのだ。
「……わかりました。お父様に……いえ、お祖父様に提案してみます。ですがあまり期待はしないでくださいね」
「わかってますよ」
「では、明日大使館経由で報告します。――でもその前に大佐、ひとついいですか?」
フィーネさんがそう言うと、彼女は少し頬を赤らめながら左手を俺の右手に絡みつかせた。フィーネさんの少し控えめな胸が、腕に当たる。というより、当ててきている。
「この世界は等価交換、ですよね?」
「……まぁ、そうですね」
俺がそう答えると、フィーネさんは周囲に誰もいないことを確認してから、そっと唇を重ねてきたのである。
……どうやら今年は、刺激的な年になりそうだ。
女の子二人とイチャイチャして幸せそうなユゼフくん(もげろ)ですが、恋人同士の幸せな日常というのは殊戦記においてはどういう意味を持つかと言うと……ね?




