公爵家の未来
9月5日、クラクフスキ公爵領クラクフ総督府。
家族の様子を見に戻るとカロル大公に宣言して、そして宣言通りに戻ってきたクラクフスキ公爵。彼が真っ先に会いたがったのは、「私の愛の全てを捧げよう」と神とカロル大公に誓った妻オティリアである。
「……あなた」
「あぁ、オティリア。心配いらないよ。王都に君以上の女がいるはずないさ」
「そうではありませんわ……。確かに昔のあなたはそれは節操はありませんけれど、今はその心配はしておりません。私が問題にしているのは、カロル殿下のことです」
「……それも心配いらないさ。混乱はしばらく続くが、すぐに終わる。」
カロル大公のこと。
言うまでもなく、彼が実行したクーデターである。王都防衛師団を始めとした軍の一部の支持を得て実行された政変は、それを予測していなかった政敵に反撃する隙を与えなかった。
「カロル殿下のお人柄はよく知っています。その能力も。あなたという素敵な男性と結婚できたという恩もあります。でも……それでも、エミリア殿下に相談なくこのようなことをして……」
「そうだな。王女殿下には悪いことをしてしまったよ」
だが鳴らした鐘の音は二度と戻ってこないのだと、彼は呟いた。
彼自身後悔の念が全くないわけではない。だが全ての事象情報事柄を考慮し、大公派と国王派を天秤に掛けた結果……彼はカロル大公を選んだ。カロル大公との友誼もあるが、それがなくとも公爵は大公を選んだかもしれない。
公爵の治める領地においては、事前に政変実行を伝えていた長男ヴィトルトや次男ステファンの手によって国王派は排除乃至拘束された。国王派協力者の多いオストマルク帝国領事館もその監視下に置かれている。
そしてそのような事情は、身内において唯一の「王女派」だった彼女も含まれる。
「マヤはどうなった?」
「ヴィトルトが説得してたようだけど……やっぱりあの子は変わらなかったわ。『自分はエミリア殿下に忠誠を誓った。だからそれ以外の者には忠誠ではなく泥をくれてやる』って」
「……あいつらしい。まぁ、3人兄妹の中で1人くらいは王女派がいてもいいかもしれんな」
それはもし万が一、大公派が賭けに失敗した場合である。
国王派を裏切って大公派に与したクラクフスキ公爵家は無事では済まない事は目に見えている。その際家族全員が大公派だったら、家は潰れるだろう。だが1人だけでも国王派がいれば、その者が公爵家を継げることができるだろう、と。
公爵はそう考えるも、しかし大公派の策謀が成功する算段が大きいことも知っている。
計画の最大の障壁だった、近衛師団第3騎兵連隊の隊員が不正に手を染めていることを偶然知り、それを利用して事を重大に見せかけた。
実際には大した事件ではなかったのだが「組織ぐるみでの不正」ということもあって部隊権限剥奪・武装解除を合法的に、かつ正当に実行できたのだ。しかも最も信頼できる部下からの報告というおまけつきである。
故に計画は今現在順調に進んでいる。
だからマヤの身はなんとしても管理下に置かなければならない。もし下手な事をして計画を滅茶苦茶にされたら、そうでなくともマヤの身に危険が及んでしまえば……。
「マヤはどうなっている?」
「地下室に監禁させたわ。看守もつけてね。ヴィトルトは自室に軟禁でいいって言ってたけど、私がそう指示したの」
「……随分厳重だな。どうしてだい?」
公爵が疑問に思うと、オティリアは夫が惚れ込み、娘にも受け継がれた紫色の目を涙で輝かせながら、努めて笑顔で答えた。
「だって、マヤはあなたに似て剣術バカですもの。『自室に軟禁』程度じゃ、窓から飛び降りてしまうわ。怪我したら大変よ……」
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クラクフスキ公爵家地下牢。
ここ十数年使用されていなかったこの地下牢に、ここ数日使い道が出来た。
「……もう、あの日から5日か」
公爵家三子長女、マヤ・クラクフスカの監禁である。
しかし地下牢に監禁と言っても、囚人のそれとは違う。鉄格子の扉と壁紙も何もない、採光窓があるだけの煉瓦造りの壁以外は公爵令嬢の自室と言ってもいいくらいには物が充実していた。
寝台、家具、照明、本、そして近侍。そしてたった今出された夕食に関しても、使用される材料・食器も公爵令嬢の使うそれである。
なんとも豪華な地下牢だ。
「……これで看守と手枷さえなければな」
そう言って、マヤは鉄製の手枷に邪魔されながら銀製スプーンで丁寧に食事をする。よく煮込んだ野菜と鉄の臭いが、彼女の鼻腔をくすぐる。
彼女が武術の達人であるために、看守2人と手枷がつけられているがために彼女は素敵な地下牢で素敵な日常を過ごすことができなかった。
しかも看守の1人は男である。いくらマヤという女性が男らしくとも、好きでもない男にトイレや着替えの時間以外ずっと見つめられているのは流石にストレスが溜まるものである。トイレと着替えの時でさえ、女性看守の監視下にあるのだ。
これではリラックスできたものではない……が、この情勢下ではリラックスしようがないが。
「おい看守。エミリア殿下は今どうなさっている」
「…………」
しかも、雑談相手もいない。
近侍の方も、必要最低限の言葉を喋らぬよう、マヤの父親から命令されている。
(もしエミリア殿下が拘束下にあった場合、どうなるだろう。兄上の言葉が本当なら、ヴァルター皇子がオストマルク帝国に連行を……いや、それでは帝国情報省あたりに勘付かれる可能性がある。謀殺した可能性も低い……となると安全に殿下を見張れ、かつ逃亡を防止できるのは王都の賢人宮か宰相府あたり……)
そう頭の中で「エミリア殿下奪還作戦」を立案しつつ、彼女はパンをかじる。
目下、一番の問題は看守と近侍である。1人ならまだしも3人もいるとなると、逃亡は難しい。これをどう突破するかが第一関門であった。
どうしたものか、とマヤが考えていた時、鉄格子の向こうにある階段から足音が聞こえてきた。そこから現れたのは、彼女の兄、ヴィトルト総督の弟、公爵家次男ステファンである。
「久しぶり、マヤ」
「お久しぶりです、兄上」
マヤは食事を中断し、鉄格子を挟んで実の兄と会話をする。
「親父が帰ってきたよ」
「そうですか。元気でしたか?」
「親父が調子悪くしているところを見たことはないよ。……ただ、酷く疲れてはいたようだが」
それを聞いて、マヤは安心した。
そうか、如何に父と言えど裏切りに際しては体力的・精神的な疲れを覚えるのか、と。
「もう若くないのですから、無理はしてほしくなかったです」
そう言って、マヤは父親の裏切りに関して遺憾の意を示した。だがステファンとしては、たった一人の妹がこちら側についてくれなかった事に関して残念に思った。
「僕はマヤの未来が心配だよ。親父は大公殿下を説得して咎め無しとしてほしいと言っていたが……」
「恐らくその前に、私は私の義を果たすさ。どんな形であれ、な」
そのマヤの言葉には、2つの意味があった。
大公の策謀を必ず潰し、エミリア王女への忠義の程を見せるということ。そしてもう1つは……失敗が確定しエミリア王女の未来が閉ざされたとしたら、自分は自分の手によって未来を閉ざすだろう、と。
「……そうならないように、改心してくれることを祈るよ」
恐らくは無理だろうけれど、と彼は小声で付け足した。
実際、彼女の忠義はこの絶望的な状況下でも消えていないのだから。
それはエミリア殿下に幸せな人生を送ってほしいという、マヤの願いがある。
「マヤ。明日、親父がお前と面会するそうだ。それまでに、よく考えてくれ」
そう言って「じゃあな」と手を振って階段を駆け上る兄。その姿を見ながら、マヤは頭の中で呟いた。
よく考えてくれ、というのは無茶な話だ。
考えるまでもなく、私の命はとうの昔にエミリア殿下に捧げているのだから。




