派閥
一方その頃、オストマルク帝国
「内務省高等警察局」
それは、かつてオストマルク帝国に存在した秘密警察であり……ベルクソン事件と資源省の不正横領事件を機に解体が決定された組織である。
なまじ大きな組織であったため、帝国において良くも悪くも影響力を持っていた。そして組織が解体されても、その組織に存在していた人間たちは存在し続け、新たな組織に入った。
ある者は民間の商会に入り、ある者は貴族に仕え、またある者は新設された行政機関に配属された。
その新設された行政機関、オストマルク帝国情報省。国内の情報機関を統合して出来た行政機関。当然、内務省高等警察局も情報省に吸収され、不正事件に関わりのなかった「とされる」一部の人間を迎え入れて活動を開始した。
その活動は多岐にわたる。
東大陸帝国を始めとした仮想敵国への諜報活動、シレジア王国を始めとした友好国への情報支援、国益に反する者の暗殺など、設置1年弱で既に多くの結果を残している。
そんな活躍目覚ましい情報省であるが、問題がないわけではなかった。
まず第一に、多くの省庁や民間企業から人員を確保したために、所謂「派閥」が形成されたこと。特に元内務省高等警察局職員は厄介だった。
第二に、情報省の長たる情報大臣が、前内務大臣と対立関係にあった現外務大臣クーデンホーフ侯爵の義理の子供で、現外務大臣秘書官クラウディア・フォン・リンツの父親であること。つまり事情をよく知らない者から見れば、クーデンホーフ侯爵の血縁者が国家を牛耳ろうと策謀している……というように見えるのである。
実際そうでなくとも、全ての人間が全ての情報を把握しているはずがないため、そのような誤解が生まれる。
元内務省高等警察局職員という派閥、クーデンホーフ侯爵の陰謀という虚像は、「情報省」という組織を機能不全する瞬間にまで陥らせたのである。それがシレジア王国において起きた大公の叛乱事件を手助けしたのは言うまでもない。
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オストマルク帝国情報省の長、情報大臣ローマン・フォン・リンツ伯爵がシレジア王国で発生した事件、急激な歴史の転換期を知ったのは9月2日のことである。リンツ伯爵はすぐさま関係各所に情報収集の命令を出し、2日後の9月4日には断片的な情報ながら事態を把握することができた。
「で、調べはついたのか?」
「はい。8月31日には、元々、国王派クラクフスキ公爵の饗宴会が開かれる予定でした。国王派筆頭の貴族主催ということもあって、多くの国王派が警戒もせず会場入りしたとのことです。ですが……」
「まさかそのクラクフスキ公爵が大公派に寝返るなど、想像もしなかったと……」
「左様です。また饗宴会に参加したヴァルター殿下も大公派に与することに賛同しており、また殿下と婚約したエミリア王女も、ヴァルター殿下の説得に応じて大公派と共同歩調を取ることにしたそうです」
「クソッ、あの変態皇子め……勝手な事を」
この時、リンツ伯はヴァルター皇子の奇行と特殊性癖を完全に把握していた。
だがヴァルター皇子は政治的には中立的であり、第7皇子ということもあってさして皇帝家や貴族社会ではあまり重要視されてこなかった人物である。
しかしこの瞬間、彼は歴史の舞台において重要な登場人物となった。彼の能力に見合わない役であった事は間違いないが。
「ヴァルター殿下は元々帝位を継ぎにくいという立場もあって、碌に勉強もせず遊び呆けていた人間だ。そんな奴をシレジア王家が婚約者に選んだと言う情報を得た時点で調べることをしなかった私にも落ち度があるが……一体、奴は何を考えてこんな暴挙を」
リンツ伯は、自分の失敗に歯噛みするしかない。
キリス第二帝国と戦火を交えている今、シレジア王国の叛乱に介入している余裕はない。いやだからこそ、大公はこの時期を狙ってきたのだろうということ。
「とにかく情報が足りん。在シレジア帝国大使館との連絡は取れないのか?」
「出来なくはないですが恐らくは不可能に近いかと。王都は現在、宰相権限による戒厳令と夜間外出禁止令が布告されております。また王都行政区画、貴族区画は完全に軍が掌握しており、市民区画も厳戒態勢が敷かれているので……」
「打つ手なしか……。クラクフも同じか?」
「在クラクフ帝国領事館が占拠されたと言う情報は入ってきておりませんが、領事館員は全員、総督ヴィトルト・クラクフスキより禁足を命じられているようです」
「……そうか。では民間ルートを通じて情報を集めるしかあるまい。至急手筈を整えてくれ。それと、前線に行っている情報省第一部所属武官フィーネ・フォン・リンツ中尉に帰還命令を、同時に王国軍ユゼフ・ワレサ少佐並びにサラ・マリノフスカ少佐に連絡をしてほしい」
「了解しました」
リンツ伯としてはそれ以上の命令を出しようがなかった。全くもって嫌なタイミングで起きた話である。外務省のトップは現在隣国神聖ティレニア教皇国におり、すぐに対処できない。しかもあろうことか自国の皇族が関わっている事件でもある。迂闊な真似が出来ないのである。
しかもリンツ伯がこの時発した命令は、何一つ外に漏れることはなかった。情報を文書にし外部に送る者の中に、元内務省高等警察局職員がいたからである。
内務省はかつて、分割派と呼ばれていた。
それは外務省が掲げる宥和と同盟ではなく、シレジア王国を滅亡させてその領地を得るための政治工作を行う派閥だからである。
高等警察局解体後も、彼らの政治的目標は変わらなかった。
変わったところがあるとすれば、それは自分たちを窮地に追いやった外務省派と、そして彼らに協力した人物、即ちシレジア王国の王女一派を恨む心が芽生えたことだろう。
その王女一派の1人、ユゼフ・ワレサ少佐がクレタ沖にてキリス第二帝国海軍を打ち破ったのは、その4日後のことである。
これからちょくちょく場面転換があるので許してくださいなんでも書きますから




