ヘレス海峡海戦 ‐猛撃‐
2話同時更新です(1/2)
「二等巡防艦『イスバルタ』被弾、左舷に傾斜!」
「一等巡防艦『エルメネクⅢ』より信号。『援護を求む!』」
キリス黒海艦隊とオストマルクグライコス艦隊は、敵艦乗組員の表情がわかるほどの至近距離で交戦を開始。
元々、乗員の練度にかなりの不安がある我がグライコス艦隊にとっては、練度の差が出にくい乱戦とは言え非常に不利な状況だ。
「なんとしても奴らを突破させるな! 魔術は『海神榴弾』のみ使用し、敵艦隊中央に位置する指揮艦と思しき戦列艦のマストを破壊してその継戦能力を奪え!」
ライザー准将は、手際よく艦隊と、グライコス艦隊唯一の戦列艦「オルランⅣ世」を指揮している。
でも艦隊唯一の戦列艦だからこそ、敵の集中攻撃を受けている。
「上甲板に被弾! フォアマスト炎上!」
敵の火系海戦用上級魔術「海神榴弾」によって、火災が幾度となく発生し、それを魔術によって消して……の繰り返しだ。
そのため俺は司令官や艦長の下を離れ、艦内で応急対策の指揮をしている。
あまりにも損傷箇所が多いため、どこを優先的に修復するのか、どの負傷者を切り捨てるか。どうやって艦を長く浮かせられるかを考える。
「応急対策班、消火急いで! 治癒魔術士は、砲門魔術兵の怪我の回復に努めるんだ!」
「了解!」
「ワレサ少佐、左舷艦底部に破孔確認! 浸水しています!」
「ええい面倒な!」
恐らく、波が高くなった時に敵側から艦底部が見え、その隙に貫徹力の高い「海神貫徹弾」を食らったのだろう。そこから浸水が広がれば、船は浮力を喪って沈没する。
「破壊されたマストや艦部品、家具、角材その他諸々使える物全部使って浸水を止めるんだ。どうせ錨を下ろしているから速度低下とかそういうのは気にしなくていい!」
「はい!」
練度が低い低いと言われていたが、やる気はあるようだ。
何をすればいいかわからないし手際も微妙に悪いが、こちらが命令すれば仕事をしてくれる。
その勤労さに、今は感謝だ。
「少佐! メインマストに海神榴弾が命中しました!」
「ええい敵の勤労さが憎い! マストが倒れる前に消火しろ!」
ったく、黒海艦隊は聞きしに勝る練度の高さだ。
東大陸帝国艦隊や、オストマルク艦隊と睨み合っているだけのことはあるのか。
「ライザー閣下、戦況は!?」
「不利という坂道の傾斜は益々きつくなっているよ少佐。このままでは、敵に余力が残ったまま壊滅する。少佐、艦の様子はどうだ?」
「腐っても戦列艦。艦底部の浸水以外は大きな損傷なし。しかし海戦が長く続けば魔術投射量で我々が不利な分、長くは持ちません!」
「わかった。なんとかしよう。――全艦に伝達。『目標、各艦に最も近い敵艦』!」
ライザー准将の命令は、簡易的な文章にされたのち信号弾や手旗信号と言った形で各艦に連絡される。
准将の目的は、敵の頭を刈り取ることだった。
敵の戦力を削って突破を食い止めるのではなく頭を潰して敵を混乱させる。
しかし敵の指揮艦もやはり「腐っても戦列艦」なのだ。
なかなか沈まないし、指揮艦に手こずっている間他の敵艦から攻撃を受けて損傷する艦も増えている。
敵艦隊の損害と疲労を蓄積させて撤退に追い込む長期戦への移行。
成功すれば、たとえこちらが全滅しても戦略的には勝利……だけど。
「友軍巡防艦『レムノスⅡ』が戦列を離れます!」
「何をやっている! 後退命令は出していない、すぐに戻させろ!」
こちらも乱戦になって、指揮系統が混乱しているということ。練度の低さは、やっぱり深刻だ。
「ダメです! 『レムノスⅡ』炎上中! これではたとえ戦列に復帰しても……」
「クソッ!!」
現在のグライコス艦隊の被害は、巡防艦2隻が戦闘不能、1隻が中破。その他の艦も全て何らかの傷を負っている。
一方、キリス黒海艦隊は――。
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苦戦するオストマルクグライコス艦隊だったが、キリス黒海艦隊も数的・質的有利を生かせないでおり、思いもよらない苦戦を強いられていた。
「二等巡防艦『アイオス』、マスト全壊につき航行不能!」
「一等巡防艦『チェリクテンⅡ』より、戦域離脱要請!」
丁字不利の状況から海戦に挑み、舵が言うことを聞かない海域で必死に足を踏ん張って戦う黒海艦隊は、その慣れない戦場に苦戦していたのである。
また、相対するグライコス艦隊を当初「練度が低い雑魚艦隊」としか認識していなかった将校が多く、油断していたところに損害が重なり士気の低下を招いていたのである。
「『チェリクテンⅡ』に『撤退は認めない』と伝えろ! もしやったら軍法会議だ! 『アイオス』はその場に踏みとどまって攻撃を続行させろ!」
「ハッ!」
複雑な風は火を煽り、敵味方に火災による損傷を広げていく。火の粉が隣の艦に飛んで延焼すると言う事態も多発し、戦場は地獄となる。
そしてさらに悪い報せが、ラバーゼ中将の下にもたらされる。
「戦列艦『レバントⅢ世』より緊急連絡! 『我、竜骨破損。これ以上の戦闘は不可能と判断し、総員離艦する』、以上です!」
「なんだと!?」
竜骨。
それは、帆船に限らず、ほぼすべての艦において生命線とも呼べる箇所である。
竜骨は、船が船でいられるために必要不可欠な構造材であり、艦首から艦尾にかけて文字通り「骨」のように通っている。
この骨が破損するということは、それは船にとっては重大な危機である。これがなければ船は自然と――
「閣下、『レバントⅢ世』が沈没します!」
「なっ……畜生ッ!」
自らの持つ力に耐えられなくなり、自壊する。
竜骨破損という、船にとって最大の悲劇が起きた理由は、グライコス艦隊旗艦「オルランⅣ世」が左舷艦底部に破孔を生じさせたのと同じである。
複雑な風と狭隘な海峡によって生み出された巨大な波が「レバントⅢ世」を持ち上げ、艦底部を露出させそこにありったけの魔術を撃たれたのである。
竜骨はその猛撃に耐えられず、破損した。
「閣下、このままでは損害が増すばかりです。たとえ目の前の艦隊を倒せたとしても、そこで我々は継戦能力を喪います! そうなれば、イズミルへ行けません!」
参謀が血相を変え、悲鳴に近い声で叫ぶ。
イズミルへ行けなければ、それはキリスの敗北という未来が確定する。
このまま戦えば、戦略的に敗北する。
逃げることは、当然できない。であれば、ラバーゼに残された選択肢はそう多くない。
「敵の戦力を出来るだけ削って突破と考えていたのは私の誤りだった。――全艦隊に連絡! 敵戦列艦に向け集中攻撃!!」
ラバーゼは、敵戦列艦を撃破乃至撃沈して敵の指揮系統を混乱させ、その隙に突破することに決めた。
敵艦隊の余力を残してしまえば、その後の追撃戦等によって更なる損害によって無力化されるかもしれない。しかしここで自分たちがやられるよりはマシだと、だったら賭けに出るべきだと彼は考えたのである。
「弾種はそのまま『海神貫徹弾』を使用し、敵の砲門を叩いて戦闘能力を奪うぞ!」
砲門から攻撃を行うと言う戦列艦の構造上、そこを破壊されると攻撃が不可能になるか、あるいは魔術兵を守る壁がなくなって全滅するという事態が発生しかねない。
そのため戦列艦の側面は防御力を高めるなどして対応しているのだが、それでも限界はある。
「全艦、右舷魔術砲戦一斉射撃用意。目標敵戦列艦! ――撃て!!」
黒海艦隊旗艦一等戦列艦「ペイギ・ザフェル」の艦長の号令によって、上級魔術の群れがグライコス艦隊旗艦「オルランⅣ世」を襲った。その半分が側面に命中、流れ弾が前後の巡防艦にも命中する。
「複数命中確認、第二射用意!」
黒海艦隊の猛撃を受ける「オルランⅣ世」は、第一斉射、続く第二・第三斉射によって左舷の砲門のほぼ全てを損傷していた。
砲門が塞がれ射撃ができず、一部は露出して海水が流入。魔術兵も露わになっている。既に数十名の兵が戦傷しており、「オルランⅣ世」は戦闘に耐えかねていた。
「艦長! 左舷上・中・下甲板大破! 最早修復不可能です!」
「我が艦は継戦能力を喪っています! 撤退しましょう!」
応急修理班の悲鳴が、艦尾甲板にいた士官らに伝わる。
艦長も、「オルランⅣ世」の状況はわかっていた。しかしだからといって、彼らは退くわけにはいかない。
「ここで我々が退けば、黒海艦隊がエーゲ海に侵入し友軍が――いや、祖国が危険に晒される。不退転の決意でもって、ここを死守する!」
「しかし艦長! 既に我が艦は継戦能力を喪っているのです。これ以上は犬死、錨を揚げ海域から離脱しましょう! 戦列艦も1隻沈めましたし、戦果は十分のはずです!」
「ならん!」
艦長も、艦隊司令官ライザー准将も怒鳴るように「死守命令」を繰り返す。
彼らが言い争っている間にも、敵の第四斉射の準備は着々と進んでいる。
グライコス艦隊の殆どは、中破以上の損傷を負っており、戦闘に耐えられる状態にない。
左舷の防御能力を喪っている今、黒海艦隊の次の一手は、魔術兵を最大限に殺傷することができる「海神榴弾」であることは間違いなかった。
もしそれが放たれれば「オルランⅣ世」は最早軍艦ではなく、木棺となる。
司令官以下乗組員全員、そして黒海艦隊旗艦「ペイギ・ザフェル」の乗組員までもが、そう思った。
……ただ1人を除いて。
「撤退は不可能……錨……海峡……もしかしたら……」
「……ワレサ少佐?」
不審に思ったライザー准将が話しかけようとした瞬間、ユゼフが叫ぶ。
「艦長殿!」
「な、なんだ?」
彼は、持てる限りの声で張り上げた。
「私の合図で、艦尾の錨鎖を切ってください!」




