反撃
「帝国軍」と書くとややこしいと言う意見が意外と多くありました。
今回は、キリスは「中央軍」。オストマルクは「帝国軍」という風に統一させています。今更ですけれど。
サロニカ陥落と、東部戦域における敗北の報がキリス第二帝国中央政府にもたらされたのは10月5日なってからである。
この報告を受け取った時の、中央軍司令部や政府閣僚たちの衝撃は小さくなかった。
皇帝バシレイオスⅣ世の勅命によりグライコス地方に対する増援が派遣されたのは9月22日。アナトリコン地域を警備する部隊を再編成し、まさに反撃の矢を放とうとしていたのだから。
対オストマルク帝国戦線司令部が設置されているミクラガルドでは、この状況に際して如何なる対応をすべきかで激論が交わされていた。
「それで、どれくらいの兵が集まっているのかね?」
「10月1日の時点でミクラガルドに3個師団、ケペッツ、イズミルに各1個師団。さらに他地域から合計5個師団のが編成される予定です。10月末には完了するかと」
「……それではミクラガルドに肉薄されるぞ。いくらなんでも間に合わない」
彼らが一番問題にしていたことは、オストマルク帝国軍の進撃速度にキリス中央軍の布陣が間に合わないということだけである。
しかしそれは重大で、キリス第二帝国帝都キリスを凌ぐ大都市ミクラガルドを失うということは、グライコス地方全域を失う以上の損失を招くとも言われているからだった。
「ティベリウス麾下の師団が叛乱を起こした、という情報もある。奴らに正義の御旗を掲げられてグライコス地方全域が叛徒共の領域となれば事は厄介だ。政治的にも、軍事的にもな」
「過去6度の戦争で奪われたワラキア、モルダヴィア、バルカンの奪還など、百年は不可能になりますな」
グライコス地方の失陥と独立は、彼らにとっては単なる領土喪失に留まらない。
オストマルク帝国が台頭するまでの間、彼らが領有していた諸地域への足掛かりを半永久的に失うことを意味するのだから。
さらに今回の場合、もっと厄介なことがある。
「問題となるのはティレニア海軍が我が物顔でエーゲ海に遊弋していることだ。あれのおかげで、補給がままならん。アクロポリスやサロニカの失陥もアレが原因だ」
オストマルク帝国の同盟国となって、海軍を派遣し制海権をその手に掌握したティレニア。エーゲ海の入り口、南海東部権益の橋頭堡クレタ島を制圧した彼らは、間違いなく今回の戦争で最も成功した国と言える。
「一度制海劣勢となればそれを巻き返すことは不可能だ。戦列艦の建造は時間がかかるし、巡防艦では戦力にならん」
「となると、今度の攻勢作戦はミクラガルドからとなりますな。なにせ上陸戦ができないのですから」
「しかし、ただでさえ狭隘な地域だ。防御はしやすいが、攻勢に出ることは地形上制限が多すぎる。縦列となった我が軍を半包囲するだけで、彼らは自然と勝利を得るのだから」
議論は、そこで止まる。
制海権を喪失した中央軍にとって戦術的選択肢は少ない。
イズミルに残存する艦隊は、クレタ沖海戦で負った傷を全て癒してはいたものの、如何せん数において帝国軍・教皇軍連合艦隊に負けており、さらに港湾出入り口付近を封鎖されているために突破は容易ではなかった。
あたミクラガルドに集めた戦力だけでは陸路による反攻作戦に耐えうる不足しているとの見解が司令部参謀たちの共通認識であったために、現状「ミクラガルド」での籠城という形をとるしかなかった。
結局、ミクラガルド前線司令部において開かれた会議は長い時間を掛けた割には有効となる作戦を立案できず「ミクラガルドに籠城し敵の兵站の負担を強いて、それが限界になったとき反攻作戦を開始する」という至極真っ当な作戦を立てた。
しかし「籠城」というものにおいて問題となるのは敵ではなく、むしろ味方にあると言える。
10月8日、ミクラガルド前線司令部において籠城作戦の具体的な計画案が策定されている頃、キリス第二帝国中央、即ち叡智宮から連絡があった。
「『皇帝陛下は、一刻も早い事態打開を望んでいる』……だ、そうだ」
皇帝バシレイオスⅣ世による、戦果を求める書状。いや、勅令と言った方が適確だろう。
度重なる敗戦はバシレイオスⅣ世の地盤を危ういものしており、国内や各貴族の支持を維持するためにも「勝利」を求めているのである。
しかし前線司令部が決めたのは籠城。籠城戦はともかく時間がかかる。当然戦果は望むべくもなし。下手をすれば「ミクラガルドに押し込められている」というマイナスイメージもつく。
司令部の悩みは尽きなかった。
「……なんとも簡単に言ってくれるものだな」
皇帝陛下からの勅令を受け取っても、前線に居る者達の腰はそう簡単に上がるはずもない。代わりに上がるのは不満や不平である。
そして彼らは口に出さないが、こうも思ったのである。
『キリスに楯突いたティベリウスについた方が、いっそ楽なんじゃなかろうか』
と。
だがそんな理由で裏切るほど、彼らは薄情なわけではない。
参謀たちは議論を再び交わす。
目下の問題は制海権。これを再び奪取できれば、本国に多く残る陸軍を活用できるはずだと。
「黒海艦隊と、南大陸艦隊をエーゲ海に投入してはどうか」
ふと、誰かが思い出したかのようにそう発言した。何気ないようなひとことであったが、それが会議の転機となったのは間違いない。
しかし、その案が即採用されたわけでもない。
「……問題が3つある。1つは、エーゲ海艦隊と比べてそれらの艦隊は規模が小さい事。もう1つは、どうやってティレニア海軍の封鎖線を突破するかということだ。そして最後に黒海艦隊を引き抜けば、オストマルク黒海艦隊が行動の自由を得るだろうということだ」
南大陸艦隊が北上すればクレタにぶつかり、黒海艦隊が南下すれば狭隘なアルマラ海にぶつかる。
そこで優勢なティレニア海軍と遭遇すれば、全滅は避けられないはず。
縦しんば黒海艦隊をエーゲ海に投入できても、今度は黒海の制海権を奪われてしまう。
しかし、エーゲ海方面の艦隊戦力が少しでも欲しい彼らにとっては検討すべき提案だったこともまた事実。作戦如何によっては、突破は可能なのではないか。
侃々諤々の議論の末、ついに反撃作戦計画が完成する。




