セレスの戦い ‐騎兵戦‐
サラ率いる帝国軍騎兵大隊が、彼女から見て左翼の方向に土煙が上がったことを確認したのは11時のことである。
「……だいたい連隊規模、と言ったところかしら」
敵陣の中を縦横無尽に駆けまわった後でも、彼女は冷静に戦場を見やることができたのは、それだけ彼女が優勢に身を置いていたからに違いない。
中央軍サロニカ守備隊は半壊状態。中央軍増援部隊は足止めを食らっている。
そんな中で、機動力を持つ騎兵隊のみが救援に駆けつける。悪い策ではない。もっともユゼフにしてみれば、
「逃げればいいのに」
というひとことで話が済む。
その言葉で話が終わらないのは、サロニカ、あるいはサロニカ守備隊を守らなければならない理由があるからだと彼は感じた。
実際の所は、理由などではなく執念と言った方が正しいのだが。
「でも騎兵連隊か。サラの部隊じゃ数的に不利。ここは一度攻勢を中断させて防御を固めさせよう」
ユゼフの進言を受け入れた、ヴィトゲンシュタイン准将の命によって陣形は再編される。防御への転換だが、その実は攻勢を中断しつつ敵に出血を強いるというものであった。
故に守備隊の損害は4割を超え、統制もとれず軍隊と呼べるものではなかった。
「ライフアイゼン閣下。敵サロニカ守備隊が敗走を開始しました。追撃しますか?」
「追撃は無用だ。我らにはまだ正面に敵が残っているからな」
帝国軍ライフアイゼン少将はサロニカ守備隊を追撃しようとはしなかった。追撃する余裕がないとも言いかえることはできるが、ともかく彼には戦果を拡張して武功を貪らせる理由はなかったのである。
他方、ティベリウス軍にとってはそうではない。
彼らにとっては勝利は誉れ高きこと、そして死も、忠誠心高き故の誉れ高きものという、ある意味では軍人らしい精神によって支配されている。
それは言い換えてみれば士気の高さである。疲弊していた彼らではあるが、それでもなお1個軍としての統制を保てたのはそれ故である。
そんな彼らの中で最も優秀で精鋭なる騎兵連隊、鐡甲重騎兵連隊は、文字通り身体に鎧などの防具を身に纏った重騎兵である。
魔術が相応に発達し、鎧という防具が消えて幾星霜。この手の兵科は大陸から消えてなくなったはずである。あったとしても、それは儀礼的な意味で残っているにすぎない。
しかしキリス第二帝国の軍中央は、何を思ったかその儀礼部隊を最前線へ増援として送ったのである。
だが某国の近衛騎兵連隊がそうであったように、彼らが無能だったと言うわけではない。使い道によっては、この重騎兵連隊は限定的ながら現役であることを証明している。
「敵重騎兵連隊、我が軍に向け突撃を開始しています」
「……サラの騎兵隊に対応させるしかない。重騎兵の正面突撃は魔術兵の不足する俺らじゃ無理だ」
前述のように、重騎兵は魔術の発達によって消えた。しかしユゼフらのいる帝国軍増援部隊には上級魔術兵が少数しかおらず、重騎兵連隊の突撃を止める術を持たないのである。
騎兵突撃に対する次善の策、槍衾と野戦築城による防御も、戦力不足と時間の都合でそれは不可能である。
となると、あとは騎兵隊による騎兵迎撃となるわけだが、
「マリノフスカ少佐の騎兵隊でも数的不利ですが?」
彼我の戦力差3:1では、どうしようもないということである。
「まぁそこは戦術とサラの腕かな」
「はぁ」
フィーネは眉を顰めるが、ユゼフは逆に自信満々と言う体だった。
11時10分。
鐡甲重騎兵連隊の連隊長フォカス大佐は、ついにその視界にサラ・マリノフスカの騎兵大隊を確認する。
「よし。あの騎兵隊を攻撃する。もし敵が逃げたら、目標を歩兵隊に変更だ」
フォカスは叫び、伝令代わりの喇叭の音が空に広がり、鋼鐵の鎧を身に纏う軍馬の足が大地を揺らした。
その圧倒的な威圧感は、歴戦の勇者たるサラの心臓を揺さぶる
「……でも、面白くなってきたわ!」
揺さぶられてもなお、彼女の闘志の炎は消えない。
そしてサラは振り返り、部隊に命令する。
「全員、長槍を装備! 機動力を生かすわよ!」
「「「応!」」」
サラの命令は単純であった。
リーチの長い槍と、軽騎兵故の優れた機動力を生かした戦い。騎兵に対する騎兵の策である。さらに彼女はその利を生かすために、さらに工夫して機動する。
ヴィトゲンシュタイン准将が歩兵隊を後退させて鐡甲重騎兵連隊と距離を取り、サラの騎兵大隊が、鐡甲重騎兵連隊につかず離れずの機動を繰り返すことによって、自分が囮になるように機動しつつ有利な場所へ引き摺り込もうとする。
その一方で、フォカス大佐も自軍にとって優勢となるように手綱を操るなど工夫を凝らした。
セレスの騎兵戦の特徴の一つとして、互いが有利となろうとひたすら戦場を駆け回って、それに終始したことがあげられる。
「敵もなかなかやる!」
「指揮官の顔が見てみたいものだな!!」
お互い顔も声も、性別や体格すらも見えない猛烈な砂塵の中でそう呟く。彼、彼女は、相手が優秀な騎兵指揮官であることを認め、そしてそれに敬意を払って最大限に戦場を駆けるのである。
数十分の、戦火を交えない騎兵戦が終了したのは11時40分のこと。
その猛烈な戦いに勝者として名乗りを上げたのは、フォカスではなかった。そして、サラでもなかった。
「大佐、4時方向!」
フォカスの隣で手綱を握る男が、そう叫んだ時にはもう遅かった。
「魔術兵隊、弓兵隊。攻撃開始せよ」
帝国軍少将にして武門の名門マテウス侯爵家の人間、ハインツ・アルネ・フォン・マテウスはそう命令を下した。
苛烈な遠距離攻撃を受ける中、フォカスは辛うじてその現実に気付いた。
「逃げて逃げて、我々を誘導したのは魔術攻撃の射点とはな! まんまと騙されたぞ!」
騎馬によって引き起こされた砂嵐の中で、現状を認識できるのは砂嵐の外にいる人間とサラ・マリノフスカという天性の才を持つものだけである。
そんな中、帝国軍諸将はサラが何を企んでいるかを見抜いたのである。
自分たちだけでは数的に不利で、真正面から戦うことは不可能。横からの突撃も躱される。であれば、他の部隊に頼むしかないと。
それを最初に悟ったのは、彼女と7年程の付き合いになるユゼフ、
「伝令の馬を出してサラに十字火力点を伝える。歩兵隊は対騎兵防御陣を取らせながら後退!」
そして巧みな連携攻撃と女の心を読むことに定評のある漁色家、マテウス少将。
「魔術兵隊と弓兵隊に連絡してすぐに配置につけと伝えろ。それと増援部隊との連携を確実にするために連絡を密に。騎兵隊は、外縁部で増援部隊の援護に努めるんだ」
彼らの無言の連携攻撃が、鐡甲重騎兵連隊を十字火力点に押し込んだのである。
フォカスはすぐに敗北を悟り、追撃を諦める。
彼は帝国軍の防御の薄い場所を見極め、そこに向かって突撃を開始。強引に突破してティベリウス軍との合流を図り、これに成功したのである。
しかし、ティベリウス軍にとってこれ以上の交戦は不可能に近かった。
麾下部隊の消耗と損失の度合いは激しく、最強の鐡甲重騎兵連隊の敗走は部隊の士気を大きく下げた。兵站事情が悪化し、彼らは窮地に立たされる。
そして決め手となったのは、翌10月3日11時40分のこと。
「……殿下」
ティベリウス・アナトリコンの友人にして、一番の臣下であったエル・テルメが重々しく事実を告げる。
「背後に帝国軍。数およそ1万……!」
この報告が、ティベリウス軍の命脈を断った。




