第三応接室
拒否権はなかったように思える。いや拳をボキボキ鳴らしながら「ちょっと付き合え」って言う人間に対して頑と拒否できる人間が果たしてこの世にいるだろうか。いるとしてもそれは俺ではない。
俺の執務室で話すようなことじゃないから、と連れてこられたのは第三応接室。軍事査閲官エミリア殿下の執務室の隣にある応接室ではなく、ちょっと外れた所にある秘境みたいな部屋だ。普段あまり使っていないためちょっと寂れてる感がある。
まぁでもそこは天下のクラクフスキ公爵領総督府。第三応接室のソファもちゃんとした素材のものだった。
下座に俺、上座にマヤさんが座る。
果たしてどんなことを言われるのか。いやどんな説教をされるのか、と言ったところかな。割と酷い事をしているというのは自覚がある。
「本題に入る前に、いくつか質問いいかい?」
「なんです?」
「私の……じゃないな、我が公爵家の別邸を貸してくれ、と言っていたのはなんだったんだい? 機密だなんだと言っていたが、そろそろ貸主である私に何かあっても良いんじゃないかと思うんだ」
あー。
うん。まぁいいだろう。結局あれはただの人騒がせだとわかったのだ。機密解除とは言わないが、マヤさんには話しても構わないはず。ダメだったら後でエミリア殿下に謝っておこう。
というわけでカクカクシカジカ。事の次第をマヤさんに話した。
「……私の知らないところで重大事件が起きて、かつ変な解決方法を見出すのが君の得意分野なようだね?」
「褒めてるんですかそれ」
「半分な」
やや呆れた口調で肩を竦めながら、マヤさんはそう俺を評価した。
「軍略や謀略という類ならそれでもいいだろう。ただ人の気持ちというのはそこまで屈折してはいないのさ。実際に屈折している人間は相当な変人か、あるいは目が悪いだけだ」
「……マヤさんにしては遠回しな言い方ですね」
「君はそう言うのは好きだろ?」
「時と状況によりますかね。今結構疲れてるんで、色々と」
本来ならばさっさと仕事終わらせて家に帰って寝る予定だったのだ。今相当疲れてる。それに精神的にも、だ。
「なるほど。まぁ人騒がせな亡命一家のことは君のせいではないだろうが、まだ原因はあるだろう? まさか君程の人間が、たかが敵国の皇族が亡命してきたことくらいで疲れるわけなかろうに」
俺をどんだけ変人だと思ってるんだろマヤさん。いや確かに他にも理由はあるけど……。
どうにも言い返せないでいると、マヤさんはまた「やれやれ」と言った風で肩を竦めた。出来の悪い人間でごめんなさいね?
「やはり使わざるを得ないか……」
え? なに? 今なんて言った?
黙っている俺に対して「使わざるを得ない」ってなにやら悪い予感しかしない。真実告白剤? それとも拷問? やだ、まだ死にたくない!
と思ったらマヤさんはどこから持ち出したのかは知らないが、瓶を取り出してきた。
シレジア蒸留酒、アルコール度数40を超える強い酒の瓶である。
「……まさかマヤさん、酒で俺を吐かせようってわけじゃないですよね?」
「君が、真実と胃の中のもの、どちらから先に吐くか私は大変興味があるんでね」
なんと趣味の悪い……。
マヤさんは高そうなグラスに、蒸留酒を入れ、そして俺の手元に差し出した。
「さ、どうぞ」
「いや『どうぞ』じゃないです」
酒があまり飲めない俺としては蒸留酒はハードルが高いレベルの話じゃない。素っ裸でエベレストを登頂しろと言っているようなものだ。
「古来より、『酒は人類の友』と言う。そして友は他人の悩み事に耳を傾ける。君も少しは友、もとい酒の力に頼った方が良い」
「……私にも友を選ぶ権利はありますよ」
「馬が合わないのかな?」
「そんなもんです」
「……そうか、なら無理強いはしないよ。だから君にはこっちを上げよう」
そう言ってマヤさんが取り出したるは、また酒だった。ただし限界まで度数を下げた果実混成酒で、酒に弱い俺でも飲める奴だ。って、最初からこれ出せばよかったんじゃ。もしかしてその蒸留酒はマヤさんが飲むためのものなの?
マヤさんは、俺に差し出した蒸留酒をストレートで一気飲みすると、空いたグラスに果実混成酒を入れて俺に差し出してきた。いわゆる間接キスだ。俺はそういうの気にしないけど。
「ま、とりあえず飲みたまえ」
「……いただきます」
飲むと、アルコールの味はそんなにしなかった。酒と言うよりは酒風味で、本当に限界まで度数を下げている。
その後しばらくは、マヤさんと黙って酒を飲むだけで時間が過ぎていく。俺はちびちびと、マヤさんは割と豪快に。でもまぁ飲んでいけば自覚せざるを得ない程には酔いが回ってくる。そこに至って、やっとマヤさんが口を開いた。
「さて、あまり時間もないし、本題に入るか」
「時間?」
「あぁ、客人が待っているからね。まだ余裕があるが、あまり長すぎると怒られる」
いやその前に客人に会うのに何グビグビ酒飲んでるんですか。マヤさんのことだから大丈夫だという判断なのだろう。なにが大丈夫なのかわからんが。
「本題というのは紛れもない。あの2人に対する君の気持ちさ」
「…………なんのことだかわかりませぬ」
「隠さなくていいさ。君とサラ殿とフィーネ殿がクラクフ商業区で一悶着していたのは知っている。ここをどこだと思っている? 私の父の領地だぞ?」
「もうマヤさんが特別参与になればいいと思います……」
クラクフを牛耳る人物を父に持つ巨乳で美女な士官マヤ・クラクフスカの諜報記録とか絶対人気出ると思う。書籍化決定やな。
「遠慮しとくよ。今回の場合はたまたまだからな」
本当にたまたまなら良いけど。
「さて、と。話を戻すと君が2人をどう思っているかについて、だ」
「……いい親友だと思っています」
「それだけか?」
「戦友とも思っています」
嘘じゃない。これは本心だ。
サラさんもフィーネさんも、掛け替えのない友人であることは間違いないし、失いたくはない人間だと思ってる。
「やれやれ。私にはそう見えないのだがね」
「そう言われても、事実ですし」
「そうなのかな? ではなぜそのことを2人には言わないんだい? 『俺は君のことを恋愛感情で見ていない。でもいい親友だと思っている』、これで済む話だと思わないか?」
「…………」
まぁ、その、うん、それはそうなんだけど。
「君は何に遠慮しているんだろうね? それとも怖いのかな?」
「怖い?」
「あぁ、私の直感だが、君は怖いんだと思うよ?」
「何が怖いって言うんですか」
「簡単さ。『どちらかを選べば、もう一方の人間に対する関係がすべて失われるんじゃないか』と思っているんだ。自覚していなくても、心の中ではね」
「それは……」
……そこから先の言葉は出てこなかった。
そういう気持ちはない、と強く言えるだけの度量がないのもそうだが、概ね事実に即しているからというのが主な理由だ。
「どちらかを失うのが嫌だから、どちらに対しても返答を濁してなるようになる。と言ったところかな。どちらも選ばずに2人の気持ちが冷めるのを待って、元の鞘に戻れば良し、とね」
マヤさんはグラスをやや強くテーブルに叩き置いて、何杯目かわからない蒸留酒を注ぎながら「だが」と続ける。
「こんな言葉がある。『抜かれた剣は血塗られずして元の鞘に納まるものではない』と。君が何をしようにもまず、2人の方から状況を変えてきたのだ。何かしらの結果が得られない限り、この剣が鞘に戻ることはない。あるいは本当に、血に塗れるかもしれない」
「……えらく詩的ですね。文芸家に転職すればいいんじゃないですか?」
「茶化すな。真面目な話をしているんだ」
ごめんなさい。
「サラ殿とフィーネ殿は剣を抜いた。現実に即した言い方をすれば『2人は君に思いを伝えた』ということ。剣の対象である君は、それに対して何かしらの結果を生み出す義務と責任がある」
「義務と責任ですか」
「あぁそうだ。別にやらなくていい類の義務と責任だが、放置した場合は現状剣を抜いている人間が戦い始めるかもしれない……いや、既に戦っているのだろうな。その第一幕が、件の商業区の諍いさ」
「…………」
「少し前に私が助言したのを少し後悔しているよ。アレのせいで状況がややこしくなったんじゃないか、とね。だからこうして今、おせっかいを焼いている」
それはアレだろうか。「どっちも選ぶことは女にとって悪夢だからやめろ」と言う話だろうか。でもあれは俺は賛成の立場だ。どっちも選ぶなんて、要はただの浮気じゃないか。
「ユゼフくん。難しい話はここではしないことにしよう。男の夢だとか女の悪夢だとか、誠実がどうの不誠実がなんだという話をしてばっかじゃちっとも前に進まないだろう」
「いやでも、そこはやっぱり一線を画すべきじゃないですか? いくらなんでも……」
「この前と言ってることが違うぞ。『両手に花は男の夢』とか言っていたくせに」
いやそれはそうだけど、一般論であって実行するとは言ってないし。
「そういう理論は今は良いのさ。先程の亡命一家の件もそうだが、世の中すべて理屈と理論で成り立っているわけじゃない。時には感情でのみ話さなければならないときもある」
「……いや、でも、あの」
だからと言って大事な部分を突き抜けちゃまずいんじゃないかって本当に思うの。でもそのことを言う前にマヤさんは手でそれをやや強引に制した。
「反論はいいから、君の率直な気持ちが聞きたいんだよ。ユゼフくんは誤解しているようだが、この問題の前提は『両手に花は不誠実』という話ではない。『ユゼフ・ワレサの本当の気持ち』さ」
「……」
「言ってみろ。この場にはユゼフくんと私しかいない。言いにくいのなら、酒の力でも借りればいいさ」
そう言って、マヤさんは自身のグラスに入れた飲みかけの蒸留酒を差し出してきた。
……確かに感情は重要かもしれないけど、でもこれを言ったら俺絶対嫌われると思う。恋仲どころか友人関係も終わってしまいそうだ。
でも、目の前にいる女性士官はそれじゃ納得しないんだろうな。俺が本音を言うまで酒を飲ませるのをやめないつもりだ。それこそ俺がゲロか真実を吐くまで。
ええい、ままよ。もうどうにでもなれ。
「マヤさん、ひとつ条件いいですか」
「なんだい?」
「……このことについて、外に漏らしちゃダメですよ? 国家機密ですよ? サラの相談みたいにホイホイ言っちゃダメですよ?」
「エミリア殿下とこの蒸留酒に誓って、言わないと宣言しよう」
マヤさんは酒瓶を持ちあげながら、かすかに微笑みながらそう言った。
……まぁ、どこまで信用できるかはわからないが言質は取れた。さっさと終わらせよう。それにゲロを吐くのも嫌だ。
そう決意して、俺はマヤさんに差し出された蒸留酒の入ったグラスを豪快に呷った。
300話達成です。




