小さな王女の大きな悩み 中篇
翌日、ヴァルタさんに事の次第を話した。エミリア様が何か変だと。そしてそれは当然のことながら、ヴァルタさんも承知していた。
「私自身、何かしたい気持ちはあるのだが……」
「何か問題でも?」
「あぁ。エミリア様自身がそれを話してくれないのだ」
うーむ……結構根が深いかもしれない。
いじめってのはなかなか把握しづらいと言うけど、その最たる原因が「被害者が口を閉ざす」ことなのだ。親や友人に相談したら迷惑がかかるのではないかとか、いじめられてるのは自分が悪いのだ、とかね。
……べ、別に経験があるわけじゃないし。いや、本当に。泣いてないし。
「どうした?」
「いえ、ナンデモナイデス」
「そ、そうか? 悩み事があるなら聞くぞ?」
「いや本当に大丈夫ですから……」
みなさん、こうやっていじめは表に出てこないんですよ。というよくわからないお手本を見せたところで本題に戻る。
「私の事はともかく、エミリア様の方が優先です。あのままじゃ大変なことになりますよ」
「そうだな……。ワレサくん、明日は暇か?」
「授業が終われば、私はいつでも暇ですよ」
なんてったって友人が……いや、もうこの話はやめやめ。俺が鬱になる。
「そうか、では少し付き合ってもらおうか」
「何をです?」
「決まっている。尾行だよ」
……えっ?
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3月21日の放課後。
俺とヴァルタさんは、なぜかエミリア様のストーカーをしている。どう見ても変質者で、周囲の人間は俺らを見た途端目を逸らして可能な限り距離を取っている。帰りたい。
でも今日の相棒役であるヴァルタさんは気にしてない模様。これは忠誠心の表れなのか、単純に彼女がバカなのかは判断がつかない。
この変質者2人組に気付いてないのは、尾行対象のエミリア様だけだ。なんと異様な光景。俺が当事者じゃなかったら絶対教師か警務科に通報してる。
「ふむ。今日は一段と酷いな。顔が沈鬱どころか足元も覚束ない様子だ。きっと今日は何かあるに違いない」
「そうですね……」
もうヴァルタさん1人に任せようかな、って思わなくもない。でもエミリア様がもし本当にいじめられてたら一大事だ。放っては置けない。
「右に曲がったぞ。行くぞワレサくん」
「あ、はい」
でもそれはそれ、これはこれ。いっそ本人に突撃して事情を洗いざらい聞き出したい気持ちでいっぱいなのだ。ヴァルタさんの隙をついてそれを実行しようかとも迷ったが、前回の試験で剣兵科首席の成績を取った彼女に隙なんてあるだろうか……。
ヴァルタさんについていき、俺はエミリア様の後を追う。そして角を右に曲がると、エミリア様はふと窓の外を見ていた。
太陽は今日の仕事は終わりだと言わんばかりに地面に潜り始めており、外は既に暗くなりかけている。街灯なんてあるはずもないこの世界、月齢にもよるが陽が完全に没する前に寮に戻らないと本当に真っ暗になる。
そんな世界を、エミリア様は溜め息を吐きながら悲しげな表情でじっと見ていた。
「美しい……」
あの、ヴァルタさん何言ってるんですか。確かに物憂げな表情をする金髪ロリ王女様の御尊顔は大変美しいとは思いますけど、今はそれどころじゃないでしょう。いや、でも本当に良いなあの表情。なんでこの世界にはカメラがないんだ。この際フィルムカメラでもいいから欲しい。現像の仕方知らないけど。
エミリア様は暫しその場を動かず、じっと窓の外を見ていた。
その後1分程してからようやく動き出した。俺とヴァルタさんは、エミリア様の視界に入らないように追跡する。エミリア様は再び右に曲がり、そしてある部屋に入って行った。
「ヴァルタさん、あそこは……」
「あぁ。……女子化粧室だ」
……ふむ。
「ヴァルタさん、私が中を調べますので貴女はここで待機を」
と言いかけた時、なぜかヴァルタさんに思いきり頭を叩かれた。今や懐かしの漫才師のツッコミのごとく、綺麗に「スパーン!」と音が鳴った。勿論痛い。
俺はエミリア様に聞こえないよう、小声でヴァルタさんに抗議する。
「何するんですか急に!」
「言わなきゃわからないか! なんで君が女子化粧室に入るのだ!」
「それは、ほら、ヴァルタさん背が高いですし、目立つじゃないですか」
「男の君が入っても同じことだと思うぞ?」
チッ、バレたか。まぁ仕方ない。聖域への侵入は後日改めて行うとして……。
「冗談はさておき、これからどうします?」
「私には冗談には聞こえなかったが……、まぁ君の言う通り私が入っても目立つだけだからな。ここで暫く待機しよう」
そう言って俺らはトイレの入り口が見えて、尚且つ死角となり得る場所でエミリア様のアレが出るのを待つ。
ここで、ふとエミリア様が見ていた窓の外の様子が気になった。単に景色を見ていたのか、それとも何か特別な物が見えたのか。俺はちょっと気になって窓に近寄って外を見た。と言ってもさっきまでエミリア様が見ていた窓とは方角が違うから映る景色はちょっと異なる。
俺が見ている窓はどうやら南向きのようで、ガラスの右側には綺麗な橙色に染まるシレジアの空が映し出されていた。「この世界の夕陽は美しい」と言いながら缶コーヒーを飲みたくなるね。
でもそれ以外の景色は特に何も変わっていない。窓を開けて、先ほどまでエミリア様がいた方向の景色を見てみるが、やはり特に何もない。あるのは練兵場くらいだ。
うーむ……やっぱり何か特別なことがあったわけじゃないのかな。もしかして「今ここから飛び降りれば楽になるかな……」とか考えていたとか……。いやいやそれはない。国王陛下に向かって啖呵を切ったエミリア様がまさか……ね?
だがその時、ちょっと切羽詰まった声が後ろから聞こえた。
「おい、ワレサくん!」
その声を聞いて、俺は慌ててエミリア様がいた方向を見る。いや、正確に言えばヴァルタさんがいた後方に振り返ろうとしたのだが、エミリア様がいたはずの方向を見た瞬間、その動作が止まったのだ。
そこにいたのは、トイレから出てきたエミリア様。そしてそのエミリア様の前に立つ、1人の少し恰幅の良い男がいた。どっかで見た事があるような、ないような。
エミリア様とその男は会話をしている様子。どちらも小声なのか、俺とヴァルタさんの耳には内容が全く入ってこない。
「犯人だな」
「いやヴァルタさん、決めつけるのが早いです」
「なぜだ。大抵の本ではここで現れる謎の男が犯人である場合が多いだろう」
いや架空の世界の話を持ってこられても困りますよ。あと、俺の知ってる推理物語じゃ犯人っていうのは全身黒タイツの変態だって相場が決まっているものだ。あんなハッキリと色がついている男が犯人のはずないだろうに。
「ともかくこのまま様子を見ましょう。話はそれからです」
「そうだな。だが事によっては私の手で直接……」
「やめましょうか」
場合によっては死人が出る。
そんな俺とヴァルタさんのコントが繰り広げられているのを知らないエミリア様と謎の男は会話を続けている。だがエミリア様の表情は一段と暗くなっており、それが何かよからぬ事態が起きる予兆だとしてもおかしくはなかった。
ヴァルタさんもそれは同じようで、先ほどから顔を顰めている。悪い予感がするのだろう。
そして予感というのは不思議なもので、良い予感というのは殆どアテに出来ない代物である。それは逆説的には悪い予感は結構当たることの証左でもある。今回もその説が残念なことが証明されたようだ。
「おい!」
エミリア様に話しかけていた謎の男がいきなり叫んだ。見ると、そこには乱暴に肩を掴む男の姿がある。ヴァルタさんが慌てて駆け付けようとしたが、さらに事態は進行する。
エミリア様が、その場で崩れるようにして倒れたのだ。
「何をやっている!」
気づけばヴァルタさんは謎の男に肉薄し、思い切り胸倉を掴んでいた。背中しか見えないから彼女の顔は想像するしかないが、たぶん男には鬼の表情が見えているだろう。
ヴァルタさんが本気で怒ったら結構怖いのよ? その場に居合わせたことないけどさ。
一方の男は、慌てた様子で「違う、俺は何もしてない」と言っていた。本気で怖がっているようで、言葉の端々が震えていた。
って、そんなことを考察してる場合じゃないか。
俺はエミリア様に駆け寄って抱き起す。どうやら失神してるようだ。目立った外傷はないが、倒れるときに頭を打った可能性もある。
とりあえず医務室に運ぼう。でも非力な俺じゃ運べない。ヴァルタさんに手伝ってもらいたいが、主君が急に倒れた反動なのか前後不覚に陥っている様子でエミリア様の介抱ではなく容疑者の詰問に終始している。
「お前ら何やってるんだ?」
と、そこで聞き慣れた声が背後から放たれた。振り返ると、そこにはラデックの姿があった。さすがイケメン、いいタイミングで来るね。
「ラデック、エミリア様が倒れた!」
「本当か!?」
「あぁ、医務室に運ぶから手伝ってくれないか。俺だけじゃ無理だ」
「ったく、だから『鍛えろ』って言っただろう!」
そう文句を言いつつ、ラデックはエミリア様をお姫様抱っこして近くの医務室まで運ぶ。こんな時になんだけど、イケメンが王女様を抱き上げるという凄い絵になる光景が、そこにはあった。




