落ち込む理由
エミリア殿下の様子が変だ。
まぁ、こういう時は慌てない方が良い。なにせこちらには我らがマヤさんがいる。彼女も秘密会議に出席していたのだから事情は知っているはず。そう思って彼女に聞いてみた……のだが、
「……うん、その、私にも一応守秘義務があってな……」
「……はい?」
マヤさんは目を泳がせながらバツの悪そうな顔をしていた。こんな彼女の顔を見るのは久々な気がする。暫くそんなマヤさんを眺めて無言の真相追及をしたおかげか、彼女は「やれやれ」と言った風で首を振った。
「そんな見つめないでくれ。惚れてしまいそうになるだろ」
「冗談言う暇があるってことは、まだそんなに状況は逼迫していないということですか」
「ま、そういうことだな」
肩を竦めながら、マヤさんは「だが」という逆接の接続詞を置いた。
「状況はやや危険でね」
「……というと? まさか捕虜の件がばれたとか?」
「そういうんじゃないさ。もっとこう……私的と言っていいのかな」
「私的?」
いまいち要領を得ない回答だった。マヤさんもどう説明したものか、みたいな顔をしていたけれど悩まなくていい。いっそ直球に言ってほしい。理解できなかったら嫌だし。
「……つまりだな」
「はい」
マヤさんは息を2、3回大きく吸ってから答える。
「セルゲイ・ロマノフ宰相閣下が……その、したのだ。求婚を」
「……誰にです?」
半ばこの時理解できてはいたが、聞く外なかった。もしかしたらほら、セルゲイくんがゲイって可能性も微粒子レベルで存在するじゃない?
「…………エミリア殿下に、だ」
なかった。ちっともなかった。
そうか、あの若き帝国宰相閣下がエミリア殿下に告白したのか。
…………………………うん。
「えっ?」
もう一度マヤさんに聞き返したが、答えは一緒だった。
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翌4月26日。
次の本会議、つまり「第四回本会議」の開催は、東大陸帝国側の都合により4月28日になる旨が通知された。昨日の秘密会議で早々にこちらの草案に了承が得られたので、後は第三国の出方次第……。まぁ表立って反対する理由はないだろうから、第四回、あるいはその次の第五回本会議で決定されるだろう。あとは締結と批准をするだけ。
ということは、早ければ5月の半ばには戻れるわけだ。会議開催が4月20日だから、やっぱりどんなに急いだところで1ヶ月はかかるものらしい。
まぁ、それは今はいい。「どうでもいい」と言っても良い。今俺が問題としているのはそこじゃない。というのは、シレジア王国外交使節団が宿泊しているホテルをあてもなくうろついているときに出くわした腕である。
比喩でもなんでもない。生身の人間の腕だ。
あ、別にホラーやサスペンス的な意味はないよ。ただ廊下の角からエミリア殿下が上半身だけ出して「ちょっとこっち来てください」のジェスチャーをしているという意味だ。
……どっちにしろ意味不明である。いや、かわいいけどさ。
「どうしたんですか殿下、こんな……」
こんなところで、と言いかけた時、思い切り腕を引っ張られた。エミリア殿下にこんな力がどこに、と思ったがこの方は士官学校剣兵科三席だった。実技壊滅の俺が敵うはずもない。
あれよあれよと引き摺られ、ようやくエミリア殿下が止まったと思ったらそこは豪華な部屋だった。所謂「超ウルトラハイパースウィートルーム」である。つまりここはエミリア殿下にあてがわれた部屋と言うことになり……つまりどういう状況だ。
困惑する俺を余所に、エミリア殿下は頭を下げた。綺麗な最敬礼、つまり腰の角度を45度に傾けている。王族がそんな頭を下げちゃまずい、と忠告しようとした時、もっと事態を混沌とさせることをエミリア殿下が言ったのだ。
「ユゼフさん、お願いします! 付き合ってください!」
……うん。わかってるわかってる。大丈夫大丈夫。
「…………あの、殿下」
「お願いします。私にはユゼフさんしか……」
「とりあえず殿下、頭をあげてください。王族たる者、私のような賤しい身分の人間相手に簡単に頭を下げてはいけませんよ」
「は、はい」
殿下はそう言って頭を上げ、頭を下げたときの勢いで軽くボサボサになった髪を手櫛で整える。
「それで殿下、『付き合う』というのはいったい……?」
まぁここでは「殿下と俺が男女関係的な意味で付き合ってほしい」という意味ではないのは確定的に明らか。そんなのはラノベで散々読んだ展開だ。ページ捲ったら主人公が落胆する場面から事が始まっているまでがテンプレ。うん、大丈夫大丈夫。そういう展開だってわかってるからこそ落ち着け……、
「ユゼフさん、私と逢引してください!」
おおおおお落ち、落ちちちちちちち落ち落ち落ち着つつつつつ着けけ、俺! 落ち着いて素数を数えろ! 1、2、3、5、7、9……ってこれは素数じゃなくて奇数……いや偶数も交じってる! とりあえず落ち着け!
「で、殿下。あの、最初から、順序立てて説明していただけると嬉しいのですが……」
「す、すみません、その、慌ててしまって……」
エミリア殿下も事の重大さを理解したのか急に顔を赤くして手をわたわたさせている。ふむ。その反応を見るにどうやら男女関係的なアレではないようだ。
よかった。危うく理性を失う所だった。
エミリア殿下は1回小さく咳き込んだ後、事情を説明してくれた。
「……マヤから、その、昨日の会議の内容の事は聞いていますか?」
「えーっと……それは、セルゲイ殿下からの……アレですよね?」
「はい。その、求婚の件で……」
求婚、という単語を口にした時の殿下の顔は、恥を忍ぶ、という感じではない。どちらかというと困惑といった感じで、エミリア殿下自身にその気はないということなのだろう。
でも、政治的な意味を考えるとなるとどうなのだろうか。まさか古代の君主みたいに「結婚しない? んじゃ戦争」とか言い出さない……と思う。そもそもセルゲイ・ロマノフはやっている政策から考えてもそういうことを言い出す人間ではない。でも理性と感情は別か……まぁいい。ここは考えても仕方ない。
「それが、どうしたのですか?」
「はい、その……えっと、先程セルゲイ殿下からの使者が参りまして『次回本会議まで時間があるので、ゆっくりお茶でもいかがですか』と……」
と、殿下は両手を胸の前で動かしながら説明した。
ふむ。話が見えてきた。
つまりエミリア殿下に求婚を受ける気はさらさらない。しかし政治的な事を考えると無碍にはできない。断るにしろ受けるにしろ、ここで誘いを断るのは愚策というものだ。
「でも、いきなり2人きりでというのは不安ですので、その、ユゼフさんについてきて欲しいのです。護衛と言いますか、付添と言いますか」
「なるほど」
まぁ、如何に私的な話とは言え護衛も何もなしに本当に2人だけで密会というのはあり得ない。どっちにしても相手は仮想敵国の人間だ。注意すべきことではある。けど、密会の場に過度な警備をつけることは相手の心象を損なうだけ。だから護衛は1人か2人、そして今回の場合は1人ということらしい。
「……しかし私でよろしいのですか?」
「ユゼフさんが良いのです。恐らく、今回の密会は政治的な要素を含む……と、思いますから」
最後の部分だけちょっと自信なさそうに、エミリア殿下はそう言った。
そう言う理由があるなら、こちらとしては拒否する理由はない。道中の警戒としてサラとマヤさんをつければ戦力的な問題はないだろうし。
「わかりました。お受けいたします」
「ありがとうございます、ユゼフさん! では早速参りましょう」
その瞬間、エミリア殿下は俺の手を掴み、そして再びどこぞへと連行し始めた。
「えっ? 殿下、あの、どこへ?」
「セルゲイ・ロマノフ宰相閣下の下へ、ですよ」
今日だったんかい!
ま、待って! 心の準備が!




