二度あることは
4月25日。
捕虜解放費用と称した賠償金支払いと領土割譲に関する話し合いの場が、カステレット砦にほど近いホテル「真珠星」に設けられた。
内容が内容だけにこの話し合いは非公式かつ非公開、そして出席者も少ない。
シレジア王国側の出席者は、首席のフランツ陛下とその秘書、エミリア殿下と補佐役のマヤさん、そして外務尚書ヴァルデマル・グラバルチクとその秘書官が参加。対する東大陸帝国側は、首席のセルゲイ・ロマノフ宰相、宰相の補佐役として皇帝官房長官と国務大臣、軍事大臣がこの秘密会議に出席する。
シャウエンブルクやオストマルク、リヴォニアやカールスバートなどの第三国からの出席者はいない。
そして俺と言えば、秘密会議が行われている部屋の隣にある控え室で、サラさんと東大陸帝国側の人間と待機している。
また会議に出席していないのか、とか言わないでほしい。一佐官が出る幕ではない。フィーネさんから「エミリア殿下の補佐をしてほしい」と要請されたのに全然補佐できてない状況に嘆いているんだから。まぁ、殿下は普通に物事を考えられる御方なので俺みたいな小物の補佐などいらないだろうが。
でも控え室にいる間も黙っているというわけではない。一応俺の目の前には東大陸帝国の人がいるし、結構話しかけてくるのだ。結構気まずくはある。いろんな意味で。
「捕虜解放が賠償金代わりか。我々の立場をよく考えてくれて嬉しいものだね。金銭で捕虜を交換していた時代のようだが、これが最適解だと私も思うよ。メイトリックスくん」
「あの、もうその名前はやめてください……」
俺の目の前にいる人間、居酒屋「王笏座」でサラを颯爽と助け帝国国務省官僚を担いで何処かへと消え、と思ったらその翌日に喫茶店「マルグレーテ」で盛大な溜め息を吐いていたイケメン。
帝国軍少将ミハイル・クロイツァー。帝国宰相セルゲイ・ロマノフの侍従武官である。
そんな人間に偽名を使ったあげく重要な外交会談で再会。今すぐ窓を開けて飛び降りたくなるくらいの失態である。あの時フィーネさんが意味ありげに彼の名を呟いていたのは、もしかしてこのことを知っていたからかもしれない。
「気にすることはない。お互いに立場や任務というものがあるのだし、それに私自身世話になったしね。そちらの御嬢さんも、元気そうでなによりだ」
「……どうも」
と、これが気まずさの理由である。わかってくれるかこの空気。
今の俺はジョセフ・メイトリックスくんだし、助けられたサラもなんて返事して良いのかわからないのかそっぽ向いてるし、でもクロイツァーさんは気にせず話しかけてくるしで何とも言えない空気となっている。
殿下! はやく会議まとめて!
「それでは、メイトックス改めワレサ少佐。この条約改訂案を考えたのは、エミリア王女殿下ですか?」
「……いえ」
ここでもう1度嘘を吐く度量は流石になかった。嘘を吐かなければいけない理由も特に見当たらなかったし。むしろ下手に嘘を吐いてこれ以上関係を悪化させたくもなかった。
「では、誰です?」
「私です。正確に言えば、私が提案し、エミリア殿下が改良を加えたものです」
「なるほど。その年で大したものですね」
そうクロイツァーさんは褒めた。皮肉という言葉を知らなそうな彼の優しそうな顔から察するに、それは本当に褒めている……と思う。その裏でとんでもなく俺のことをバカにしているのかもしれない。
シレジア王国・東大陸帝国講和条約改訂案。
改訂したのは賠償金と領土割譲に関する項目の削除。そして新たな項目の追加。それこそが、今回の秘密会議の目玉と言って良いだろう。
「領土割譲要求を放棄する代わりに『緩衝地帯』を設定か。考えたものだね」
クロイツァーさんは、良いとも悪いとも言わず、俺が提案した条文をそう評した。
具体的な条文は次の通り。
東大陸帝国側両国国境地帯に、幅100キロメートルの緩衝地帯を設定し、当該地域における東大陸帝国軍の駐留及び軍事施設の建設を認めないこと。なお、当該地域における治安維持目的のための最低限の兵力を駐屯させることは例外として認める。当該地域の非軍事性が遵守されているかどうかを監視するため、シレジア王国から当該地域に武官を派遣すること。この条文は、双方の平和的な会談の場においてのみ変更が可能であり、両国の承認なしに変更することは認められない。
その後に細々とした条文が続くわけだが、今回は割愛。
「この緩衝地帯があれば、たとえ我が国が貴国を再び侵略しようとしても、貴国には時間的余裕が生まれます。100キロメートルあれば5日から1週間程度は時間が空くし、その間に情報収集や防衛体制の構築が叶うということですね」
「……そういう解釈もありますね」
そういう解釈も何も、それを想定しての条文である。
この緩衝地帯があれば、どこからどれだけの軍隊がやってくるのかを正確に測ることができるし、それだけ防御側が有利に働く。次に起きる戦争が、春戦争のように事前の情報収集が完璧にできるとは限らない。また軍事施設の建設も認められていないので、緩衝地帯に補給基地を建設できず、侵略に際しては兵站の問題が出てくる。
即ち、侵略しにくく、かつ防衛しやすい地帯を意図的に作るのだ。
でも、東大陸帝国側にもメリットはある。あくまで当該地域は緩衝地帯であってシレジア領ではない。軍事的空白地帯という意味を持たせただけで、その地域の主権は東大陸帝国にある。
つまり、東大陸帝国はヴァラヴィリエもルドミナも放棄しなくていい。これならば皇帝派貴族の反感は小さなもので済むはずだ。
問題は……これが呑まれるかどうか。呑まれるにしても、100キロという長さが認められるか、賠償金問題との兼ね合いがどうなるか。その辺の議論がたぶん隣室で行われているはずである。
でも、この控え室に来てからはその問題は考慮しなくなった。もっと大きな問題を見つけてしまったような気がするからだ。
それが目の前にいる男、ミハイル・クロイツァーである。
「これでシレジア王国は、平和を手に入れることができる。そういうことですね」
「……」
裏に何もない言葉だとは感じた。
でもなぜか「お前のやっていることは無駄なのだ」と言われた気がしたのだ。
これで大丈夫なのか、少し不安になった。
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1時間程した後、隣室の扉が開き、中からエミリア殿下らが出てきた。エミリア殿下の表情は、ちょっと暗い。
クロイツァーさんはセルゲイ・ロマノフに駆け寄り、俺とサラはエミリア殿下に近づく。一通りの挨拶を済ませ、東大陸帝国外交使節が離れたことを確認した後に殿下が申し訳なさそうに口を開いた。
「……非武装緩衝地帯の設定は、50キロメートルということになりそうです」
「そうですか……いえ、でも大きな収穫アリだと思います」
確かに100キロから50キロは随分減ったが、それでも非武装緩衝地帯を設定できたこと自体は大きい。あとは運用次第でどうにかなる。
「捕虜解放の件は?」
「そちらは大丈夫です。ただあちらの言い分としては『緩衝地帯設定も考慮して戴ければ』とのことでして、具体的にどうなるかは……」
「まぁ、それも仕方ないでしょう。気に病むことはありません」
「……はい。ありがとうございます」
そう言いつつも、殿下は元気がなかった。
「エミリア、大丈夫?」
「…………」
サラの問いかけにも、暫く反応がなかった。サラが再び「エミリア?」と声を掛け、ようやく反応を見せた。
「大丈夫です。少し、疲れただけですから」
「……本当に?」
「はい。本当です」
けどその日、エミリア殿下は一日中元気を取り戻すことは終ぞなかった。
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https://twitter.com/waru_ichi/status/670199023362424832




