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大陸英雄戦記  作者: 悪一
第60代皇帝
264/496

王笏座

 東大陸帝国宰相にして帝位継承権第一位のセルゲイ・ロマノフが、シャウエンブルク公国首都エーレスンドの土を踏んだのは4月15日のことである。シャウエンブルク公国の元首アルブレヒト・フォン・シャウエンブルク大公は直接港に来て、帝国の若き宰相を出迎えた。


 その後彼らは外交使節団らしく公国の閣僚と面会し、対談し、あるいは密約を交わし、本来の目的であるシレジア王国との講和会議への準備を始めることが出来たのは4月17日の午後であった。


「ったく、なんで俺はあんな能無しのジジイ共の相手をしなきゃならんのだ。あいつらの話を聞くだけで眠くなる。よく眠らなかったもんだと我ながら思うよ。もう帰りたい気分だ」


 東大陸帝国と言う超大国を実質的に支配している次期皇帝は、彼の友人にして親衛隊長のミハイル・クロイツァー准将しかいない部屋で、盛大に文句を言っていた。


「そう仰られないでください。帝位継承権第一位の次期皇帝、帝国宰相という地位があるのです。彼らにして見れば『もし軽い扱いをすれば自分たちの安全にかかわる』と思っているでしょうし」

「それはわかるが……それにしても、どうにかならんものか。いい加減作り笑顔を振りまくのに飽きてきたのだが」

「どうにもならないと思いますよ。閣下が現在の地位職責をお捨てにならない限り」

「ふんっ、バカ言え」


 そう言って、クロイツァーはセルゲイにコーヒーを渡しながら彼の対面に座った。クロイツァーはセルゲイのような輝くような銀色の髪とは正反対の、漆黒の髪を持つ。性格もやはり正反対で、セルゲイが毒を持った鋭く尖った言動をするのに対し、クロイツァーのそれは温和なものだった。だからこそ彼はセルゲイの唯一無二の友人でいられたし、そして気苦労の絶えない日々を送っている。


「まぁいい。クロイツァー、会議の日程はいつからだ?」

「公国外務省の参事官から先ほど連絡がありました。既にシレジア、リヴォニア、カールスバート、オストマルクからの外交使節団は公都に到着しています。閣下に特別な異存がなければ、4月20日に公都港湾地区にあるカステレット砦にて会議を開催する、とのことです」

「……ふむ、了解した。『異存はない』と、そう伝えて欲しい」

「承知しました。早速公国に連絡を……」


 そう言ってクロイツァーは立ち上がろうとしたが、その直前になってセルゲイが何かを思い出したかのようにその動きを止めた。


「クロイツァー。公国への連絡が終わったら、19日までは休みで良いぞ」


 突然そんなことを言い出したセルゲイの言葉に、クロイツァーは腰を微妙に浮かした状態で固まってしまった。セルゲイの言葉の意味を掴み兼ね、彼は眼だけで「何事か」と訴えていた。


「何、思えばお前に休みをやったことがなかった。折角の機会だ、少しは公都観光でもすればいい」

「はぁ……。しかし、私は別に休みなどは……」

「そう言うな。どうせ20日以降は俺もお前もクソみたいに忙しくなるんだからな。今のうちに休んでおかんと体が持たんぞ?」


 セルゲイの口は悪いどころの話ではなかったが、それは彼なりの友人への感謝の気持ちであったことは確かである。だがそれをクロイツァーが潔く受け止められるかと言えばそうでもなかった。むしろこんな品のないセルゲイを1人置いて自分だけ休暇というのはどう考えても心が休まらないだろう、というわけである。

 無論、それを本人に直接言えるはずもなく、いつもの柔らかな口調で休暇を拒絶することしかできなかった。しかし、セルゲイはやや頑固だった。


「じゃ、帝国宰相として命じる。休め。じゃなきゃクビだ。退職金も出ないぞ」

「……」


 そう言われてしまうと、クロイツァーは休むしかなかった。彼は不承不承と言った感じでセルゲイから与えられた休暇を「ありがたく」受け取ったのである。




---




 4月18日。

 俺が立てた「可愛い女の子がいる居酒屋を巡って店員と仲良くなってベロベロに寄った帝国外交使節団の情報を抜き取ってしまおう」作戦は、予想外の効果をもたらした。


 東大陸帝国の使節団が来たのが15日、そして翌16日には貴族ではない外交使節のメンバーが歓楽街に出没し酒に女に食い物にといろんな意味でやりたい放題し、当然俺やサラと仲良くなった店員がいる店にも彼らが来た。

 彼らというか、1人だけど。物凄く無礼講というか破天荒というかハチャメチャな人がいるのである。後から知った話だが、こいつは東大陸帝国国務省の部長級ポストに居る人間らしい。酒を飲むとベロベロになってあることないこと色々喋ってくれるのだが大半は愚痴である。


 中間管理職って大変そうよね、うん。

 彼は出現一日目にして公都の新名物となった。「外国から来た偉い人が居酒屋を梯子している。しかも金回りが良い」とかなんとか。


 そして俺らが仲良くなった可愛い女の子の店員が働く居酒屋にも当然来た。これでいろいろ話してくれたら万々歳、なんならそっと近づいて誘導尋問すればいいかなって思った。


 ……のだけど、ちょっと予想外の事態……でもないか、予測できたはずなのにその可能性を無視していたというのが正しいかも。

 つまりなんだ。「考えてみればサラも結構可愛いよね」ってことです、はい。


 21時20分。

 公都歓楽街にある大衆居酒屋「王笏座シェプタ」でその事件は起きてしまった。


「よぉねぇちゃん、綺麗だなァ! ヒック」

「ど、どうも……」


 何杯飲んでるか知らないがベロベロにりしゃっくりが止まらなくて息が臭そうな帝国国務省の官僚と、それを明らかに嫌がるサラがそこにいた。わかり易く言うとナンパです。

 そしてそれを、俺とフィーネさんが近くの席で他人のフリをしながら観察していた。一言一句聞き漏らさないように……。


「名前なんてぇの?」

「さ……サラーコヴァ、です」


 と、サラは事前に決めておいた偽名で自己紹介した。これなら咄嗟に「サラ」と呼んでしまっても、サラーコヴァの短縮形ということにしとけば何とか言い訳は立つ。たぶん。


「サラーコヴァちゃんかー、てことはヒック、カールスバートだな! おじちゃん知ってるぞー!」


 おじちゃん、もといあの官僚の言う通りサラーコヴァはカールスバート女性にある姓だ。あの国の女性の姓は末尾に「ヴァ」がつくのが特徴だからね。「凄いだろ!」って顔してるけどそんなんでもないよ? その国務省官僚は「バザロフ」と名乗った。


「なに、観光にきたの?」

「え、えぇ」

「そうかー、おじちゃんはねー、ヒック、仕事さ!」


 そう言ってサラに過剰なスキンシップを実行するオッサン、もといバザロフ。その勇気は買うがサラ相手にそれは高度に周到な自殺だと思います。とりあえず鳩尾を1発殴られ、飲んだもの食ったものを床にぶちまけるだろうな。


 と思ったのだが、


「…………ッ!」


 顔を怒りで真っ赤にしながらも、なんとサラは耐えたのである。凄いけど、凄いけど無理しないで! その顔見ると堪忍袋の緒が切れた時酷いことになると思うから、嫌なら去っていいんだよ!?


 でもサラはサラで情報収集をしようとしているらしく、怒り心頭の表情のままでバザロフに「な、なんの仕事してるんですかぁ~?(裏声)」と質問を投げかけた。


 おいオッサン、死にたくないなら素直に答えた方が良いぞ。いやマジで。


「んー、聞きたい? 聞きたいかなー?」

「は、はい……」

「だめー、聞きたいならおじちゃんに『いいこと』してくれないとなー?」


 ボキッ、という音が響いた。

 音の方向がしたのはサラがいる場所ではない。俺の手元からだった。持っていた木製スプーンが折れてしまった音である。当然スプーンが自壊したのではない。サラの前に俺の堪忍袋の緒が切れてしまったということだ。


 屋上行こうぜ……久々に、キレちまったよ……。


 だが立ち上がろうとした俺の手を、目の前にいた女性に掴まれた。掴まれたと言うよりは手を添えたという感じだったが、意図するところは明白だ。彼女は俺を止めようとしているのだろう。

 確かにその判断は間違っていない。あのバザロフはまだ何も喋っていないのに、ここで手を出したら意味はないということだ。


「らしくないですよ」

「……らしくあるための限界を超えてしまったんですよ」

「気持ちはわかりますが、彼女の限界はまだです。そして目的も達成されてません。本当にダメそうなら、彼女の方から手を出すでしょうし、それをできるだけの実力が彼女にはあります」


 酷く冷淡に言う。女性に対する最悪の行動を今あのバザロフはやっている。それはフィーネさんだってわかっているだろうし、サラの気持ちもわかっているはず。なのに、その声は冷静そのものだった。


「…………すみません」

「大丈夫ですよ。彼女はまだ、平気らしいですから」


 そう言って、フィーネさんは目だけを動かしてサラを見た。俺もつられて彼女の方を見ると、サラは先ほどよりも冷静な顔をしていた。俺がキレている間に何かあったのか、バザロフのセクハラ発言を受け流しつつ、彼の仕事とやらを聞いている。相変わらずスキンシップは過剰だが。


「俺の仕事は国を動かす仕事でなぁー。今度の会議でシレジアとかいうアホみたいな名前の国と交渉すヒックのさ」

「どんなふうにですかぁ?」

「そうだなぁー、まぁとりあえずあいつら偉そうに『土地寄越せ』つってるからな。別にあんな辺鄙な地域いらんのだけど、我らが宰相閣下はまだ国内に敵が多いからな。そこを俺の力でなんとかすれば、ヒック、もう出世もんよ!」


 アルコールが脳にまで達しているバザロフはベラベラと喋っていた。重要なことも、そうでないことも。

 今のは重要な情報だった。東大陸帝国の譲れない点は「領土割譲を認めない事」らしい。宰相閣下、つまりセルゲイはまだ国内平定が万全ではないから、皇帝派貴族に「弱腰だ」と批判される恐れのある領土割譲は回避したい。そういうことだろう。


 それが聞ければ、とりあえず大丈夫だ。さっさと撤収して……、


「なぁサラーコヴァちゃんよぉ。ここまで言ったんだから、良いだろぉ?」

「あの、ちょ、待っ」

「ちょっとくらいいいんじゃんかよー!」


 そう言って、バザロフはサラに迫った。具体的に言うと口をタコみたいな形にして且つサラの両腕を掴んでその口を押し付けようとしている……って、解説してる場合じゃねぇ!? 唇の押し付ける速度がサラの反応速度を超えてる!? セクハラ能力に長けてるのかあのオッサン! なんて無駄な能力だ!?

 このままじゃサラの初めての相手がオッサンになるよ!


 なんとかして止めたかったのだが、距離があった。遠くはないけど、強制猥褻をすぐに止められる程近いわけでもなかった。間に合わな……、


 と、その時、オッサンがひっくり返った。

 サラが反撃したのかと思ったが、彼女は唖然とした表情をしていた。彼女自身も状況を掴み兼ねてはいなかったようだ。当然俺も、フィーネさんもわからなかった。


 わかっていたのは、オッサンをひっくり返した張本人。黒い髪の優しそうな、甘いマスクを持つ美青年だった。彼はオッサンの腕を掴んで、警察が容疑者逮捕するときのように身柄を拘束している。


「大丈夫かい、御嬢さん?」


 痛い痛いと泣き叫ぶバザロフを尻目に、黒髪の男はサラに話しかける。やってることと優しい声のギャップが凄まじい。


「……え、あの。ありがとうございます……」

「ん、大丈夫。でも今度からは嫌だったらちゃんと抵抗してね。毎回良い人が助けてくれるわけじゃないから」


 そう言って、彼は腕が変な方向に曲がっているバザロフのオッサンを担いだ。バザロフは声にならない泣き声で嗚咽を繰り返している。とりあえず「ざまぁ」とだけ言っておく。


「あと、君も助けるなら早く動いてね」

「えっ、あ、はい!」


 黒髪の彼が急に俺に話しかけてきた。どうやら、俺が動こうとしたのも見ていたらしい。あの状況下でオッサンだけでなく俺の方にまで注意力を割いていたのか。


 ていうか、柔らかな声+優しそうな顔+一瞬でバザロフを拘束できる身体能力でなんというか店に居る女性全員がもう彼に惚れているのがわかった。黄色い声が店内から漏れているし。でもその気持ちはわかる。俺も危うく惚れる所だったから。危ない危ない。


 その惚れている女性の1人、例の可愛い女の子の店員が勇気を出して「あの、お名前を聞かせてください!」と詰め寄った。黒髪の男は顎に手を当てて「うーん、言っても大丈夫かなー……」と悩んでいる様子。その仕草がまた絵になるので、またしても店内から控えめな歓声があがった。


「まぁいいか。俺はクロイツァー。ミハイル・クロイツァーだ。じゃ、また会える機会があったら会おうか、御嬢さん方」

「は、はい!」


 そう言って彼は勇気を出した女性店員に、自分とバザロフの料金と迷惑料と称して多めの金を渡して店を出た。去り方までもが女性たちのハートを射止めたようで、彼が居なくなったあとも呆けた声がちらほら聞こえた。


 そしてそれはフィーネさんも同じだったようである。


「ミハイル……クロイツァー……」


 彼女は、黒髪の男の名を繰り返し呟き、心ここにあらずと言った感じになっている。あれならいくらフィーネさんでも惚れもするか。

 まぁいいや。俺は、今回の被害者であるはずのサラーコヴァさんの状況を確認することにした。


「大丈夫?」

「あぁ、うん。なんとか……」


 サラの顔は、ちょっと元気がない感じだった。まぁキモいオッサンにセクハラされて元気でいられるはずもない。すんでのところまでオッサンの顔が差し迫ったんだから怖いトラウマもんだろうよ。


 とりあえず店を出るとしますかね。


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