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大陸英雄戦記  作者: 悪一
第60代皇帝
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間話:ある婚約者の話 その1

 ラスドワフ・ノヴァクの実家は「ノヴァク商会」と呼ばれる、シレジアではそれなりに有名な商会である。

 シレジア王国内の、特に宝飾品の卸売・販売を担っているノヴァク商会はの歴史は浅く、現会頭、つまりラデックの父親が1代にして商会の規模をここまで大きくした。会頭は独自のコネと知識と、宝飾品の目利きの才能、そしてたゆまぬ努力で這い上がった実力者。

 無論、平坦な道ではなかった。新興勢力の台頭を鬱陶しく思う既存の商会やそれに賛同した貴族の妨害の数は両手の指の数では到底足りず、それによって失った硬貨は彼の髪の毛の数より多い。

 それでも彼は諦めず、地価が高い王都に居を構え、ついにはシレジア王家との取引も勝ち得た。ついでにその間に美人の妻を迎え入れ、2人の子を儲けることもできた。長子は父から経営学を学び、次子は軍とのコネを作る目的で士官学校へ送った。


 そんな調子の良いノヴァク商会に目を付けたのは、隣国オストマルク帝国の勅許会社「グリルパルツァー商会」だった。

 グリルパルツァー商会の社長がある日、ノヴァク商会会頭の元へ訪れ、そして突然こんなことを言った。


「御社を買収したい」


 と。

 当然、会頭は驚いた。だがそこで怒ったりせず、冷静に理由を尋ねた。するとグリルパルツァー商会社長は答える。


「現在、我がグリルパルツァー商会の貴金属・宝飾品部門は低迷しています。そこで宝飾品卸売業で名を馳せている貴社に目をつけたのです。また貴社を通じて、シレジア王国市場への参入を視野に入れています」


 社長はそう正直に、そして誠実に答えた。その返答を聞いた会頭と言えば、その申し出をその場で即受け入れた。無論社長は驚き、今度は社長が会頭に理由を尋ねた。すると会頭は臆面もなく、


「私はあなたのことが気に入った!」


 とだけ答えた。会頭の剛毅な声と大胆な回答を聞いた社長は、暫し言葉を失った。


 当たり前だが、他に理由がなかったわけではない。当時会頭は、事業の拡大を目論んでいた。具体的には宝飾品以外の商品の卸売・販売・流通をしたい、シレジア王国だけではなく他国でも事業を展開させたいと。

 しかしそれらを実行するためには大きく2つのものが必要だった。資金力とノウハウである。その2つは、当時のノヴァク商会には用意できなかった。

 だがそんな時に、オストマルク帝国屈指の大企業たるグリルパルツァー商会から上記の申し出があったのだ。受けぬ理由はなかった。


 その後彼らは具体的な協議に入り、どのような形で合併するかが決まった。形としてはノヴァク商会がグリルパルツァー商会の傘下に入ることとなるのだが、その経営方針は今まで通り会頭にある程度自由な裁量権が与えられることになった。

 そしてこの協議の最終段階、今後の互いの信頼関係を築く上で互いの子供同士を結婚させてはどうか、という提案が社長から持ちかけられた。聞けば、彼には年頃の独身の娘がいるとのことだった。そして会頭にも、年頃の独身の息子がいた。


 こうして半ば自然の流れとして彼らの子供の婚約が成立した。


 そして2人が初めて出会ったのは、ラスキノ独立戦争終結後間もなくの頃、大陸暦636年11月4日のことである。

 その日、ノヴァク商会会頭の次男ラスドワフ・ノヴァクは父親から呼ばれ、そしてこう言われた。


「ラデック、お前に婚約者ができたぞ」

「……はぁ」


 父親のその言葉に対して、ラデックは別段驚きはしなかった。今や有名資本家となった父親の息子としての自覚が彼にはあり、いずれそういう話が来るだろうと思っていた。だからこそ、彼は士官学校で女性の士官候補生と関係を持つことは控えていた。

 そして時は来た。こうなれば彼に選択権はない。たとえ相手が自分の好みではないような顔・体格・性格であったとしても受け止めなければならないだろうと。

 しかしそれはまだ先の話だと思っていたことも確かで、その点で言えば彼は確かに驚いていた。だが、それ以上の威力を持った言葉を彼に放った。


「幸運なことに、今日その婚約者が来てる。だから会うぞ」

「……はい!?」

「どうした、早く準備をしろ。面倒だからその士官学校の服で良いとして……まぁ、相手は格式高い人だから礼節を弁え」

「いやいやいやちょっと待て!」


 ラデックは人生で初めて父親を本気で止めた。彼の父親は決して冷静に事を運ぶ人物ではないが、ここまで雑な段取りをする人物でもないはずであるから。


「どういうことだ。婚約者がいるのは、まだいい。けどなんで今いるんだ。しかもその口調だと今この家に居るってことだろ!?」

「お、正解だ。士官学校でしっかりと学んできたようだな」

「士官学校はそういうのを学ぶところじゃねーよ! じゃなくて、なんでいるんだよ」

「ふむ。まぁ話せば長くなるが、ちょうど先方の父親が仕事で王都に来ていてな、まぁついでにということだ」

「長くなるとか言って1行で終わってるじゃねーか……」

「まぁそう言うな。そんなことより女性をあまり待たせるものではないぞラデック。さっさと行くぞ」

「ちょっと待てまだ聞きたいことが」

「いいから来い」


 ラデックの些細な抵抗を余所に、父親は強引にラデックの腕を引っ張って応接室まで連行した。その部屋の前まで来たときは流石にラデックも暴れるのはやめたが、それでも不安な気持ちは晴れない。

 相手は一体誰なのか、どんな人物なのか。せめて顔だけは合格点でありますように。そう祈りながら扉を開けた。


 そこに居たのは、相手の父親であると思われる40-50代の男。そしてその隣に座るのが自分の婚約者だ、と

すぐに理解できた。しかし死角になっていたため、扉を開けた直後はその顔は見えなかった。


「グリルパルツァー殿、これが例の息子のラスドワフだ」

「……はじめまして。ラスドワフ・ノヴァクです」


 そう言って、彼は頭を深く下げる。グリルパルツァーという言葉を聞いたことがあるからだ。オストマルク帝国の大企業グリルパルツァー商会、その社長で、そして自分の記憶が正しければ男爵位を持っていた人物であるはずだとラデックは思ったからである。


「おぉ……似ていますな。っと、こちらも紹介せねばならんな。リゼル」

「はい、お父様」


 凛と、そして澄んだ声が聞こえた。声だけで判断すれば、間違いなく美女である。思わずラデックは顔を上げた。

 声に似合った容姿を持つ女性、プラチナブロンドの髪と翠色の瞳を持つ美女がそこに居た。彼女は貴族令嬢らしく、ドレスの端を持って挨拶をした。


「リゼル・エリザーベト・フォン・グリルパルツァーです。以後、お見知りおきを」


 そのリゼルと名乗った女性の美しい仕草に、ラデックは一目惚れしてしまったのである。


 挨拶を終えたリゼルは、その時初めてラデックと顔を合わせた。そして、ラデックとほとんど同じ状況に陥った。

 目の前に立つ婚約者に見惚れ、そして一目惚れしたのである。


 彼女は、今回の縁談はあまり気乗りしていなかった。小国の、グリルパルツァー商会と比べて小さな商会の会頭の次男。どうせ微妙な男に決まっていると高をくくっていた。

 だが、違った。目の前に立つ男は自分の好みど真ん中だったのである。


「……これから、よ、よろしくお願いします」

「…………は、はい!」


 2人はややぎこちなく挨拶すると「後は若い人だけで」と彼らの父親はそう言い残して部屋を出た。そしてその日のうちに、彼らはファーストキスまで経験することになるのだがそれはともかく、こうして両者納得の元、婚約が成立したのだった。




---




 そして、大陸暦638年3月20日。


「……はぁ」


 シレジア王国王都の郊外、ノヴァク商会現会頭が住まう家を前にして、会頭の次子であるラスドワフ・ノヴァクは本日13回目の溜め息を吐いていた。

 溜め息の理由は明白だった。彼は先日、父親になった……いや正確に言えば、父親になってしまったのである。


 彼自身、それは不幸なことだとは思っていない。子供が生まれると言うこと自体は吉事であったにちがいないのだから。問題は、リゼルの婚約者として、夫としての自覚と覚悟が生まれる前に父親になってしまったことである。

 色々な段取りをすっ飛ばして父親になったラデックは、しばしば子作りの神――が実際居るかはともかく――を呪った。今回の場合は事に及んでしまった彼にも責任がないわけではないのだが。


「…………はぁ」


 本日14回目の溜め息。今にでもしゃがみこんで鬱屈しそうになるラデックを支えたのは、彼の隣に立ち、彼の妻として、そして数か月後には母親となる予定の人物だった。


「ラデックさん。気持ちはわかりますが、行きましょう」


 リゼルは努めて優しく声を掛けた。ラデックはこの時普段あまりしない表情をしていたため、余計リゼルを不安がらせていた。


「わかってる……わかってる、大丈夫だ。うん」

「本当ですか?」

「たぶん、な。でもいつまでも立ち止まってちゃダメだ。とりあえず突撃する」

「……はい、お供します」


 こうして2人は、久々にノヴァク家の本邸へと突入した。まずは呼び鈴を鳴らし屋敷の扉を開け、そこに居るであろう出迎えの人間に対してどう言葉をかけるか、敷地を跨ぐときは右足からか左足からか、それもラデックはシミュレートした。

 しかしそれは徒労に終わる。屋敷の玄関で待っていたのは、執事でも近侍でもなく、ラデックの父親だったことからである。


「…………」

「…………」


 あまりにも意外だったため、2人は言葉が出てこなかった。「ただいま」という帝国語を忘れるくらいには、記憶を失っていた。

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