捕虜と条約
「帝国は再興する。それは既定路線と言っても良い。問題は私たちがどうするべきかです」
フィーネさんは、飲み終えた紅茶のカップを指先で叩きながらそう言った。カツカツと鳴る陶器の音が、静かなオストマルク大使館応接室に響き渡る。
「どうするって……妨害すればいいんじゃないの?」
と、サラさん。「ユゼフならできるでしょ?」みたいな顔してるが、いやそんな簡単に言わないでほしい。
「妨害するにせよ、あるいはもっと情報収集するにせよ工作員が必要だよ。現状シレジア――いや、エミリア殿下の派閥は、かな――は東大陸帝国に工作員を送り込めていない。送り込もうとすれば大公派が妨害するか、帝国に通報するだろうね」
俺の言葉に、エミリア殿下も補足する。
「加えて言うのであれば、私達には信頼できる人材というのが少ないです。なまじ帝国に人を送り込めても、その人間が大公派、皇太大甥派に裏切って二重諜報員となってしまう可能性もあるのです」
「……そっか、ダメなの」
サラさんがしょぼんとした。そして膝に乗っかているユリアに頭をなでられている。なにこの光景。
まぁそんなほのぼの親子(?)はさておき。
「んー、ダメではないんだよな。正確に言えば『妨害する工作員を送り込めない』ってだけだから、妨害策が否定された訳じゃない」
「そうなの?」
「うん。信頼出来て、かつ大公派に怪しまれない形で工作員を送り込めれば良いのさ」
「……できるの?」
「…………どうだろう」
自分で言っといてなんだが、割と不可能な気がする。可能ならば俺自身が東大陸帝国に乗り込んでも構わないけど、オストマルクの時と違って出世しちゃったし、なにより目立っちゃってるから確実に怪しまれる。
ユゼフ・ワレサは静かに暮らしたい。割と本気で。
まぁ、この情勢じゃ無理か。どう頑張ってもあと数十年は平和な時代は来ないんじゃないかと思う。
とりあえずは数十年後の平和を願うより明日の戦いを終わらせる方が先だ。シレジアが工作員を送り込むのが不可能なら、オストマルクが、あるいはオストマルク経由で送ればいい。
と思ってフィーネさんに提案したのだが、彼女は苦い顔してこう言った。
「……難しいでしょうね。皇帝官房治安維持局――これは東大陸帝国唯一の政治秘密警察なのですが――の長であるモデスト・ベンケンドルフ伯が活発に動いているようです。恐らく内部の不穏分子の摘発、皇帝派の監視を行っていると思われます」
「つまり、内務大臣も調査されてオストマルクとの関係も浮き彫りになりつつあると?」
「そういうことです。現状、内政改革に勤しむセルゲイが我が国に宣戦布告することはないでしょうが、我々に対する監視も強化されるでしょう」
「なるほど」
シレジアもオストマルクも無理となると、あとはカールスバートかラスキノあたりか。でもカールスバートは内戦終結直後で国内はまだまだ不安定、ラスキノは小国過ぎて無理。
あれ、詰んでない?
エミリア殿下もその結論に達したのか、深く溜め息をついていた。
「はぁ……。となると、我々にできるのは条約の締結に意見するくらいですか。どれほど聞き入れてくれるかわかりませんが……」
……ん? 今なんて言った?
「条約って何よ?」
「えーっと、東大陸帝国との講和条約です。一応勝者は我々ということになっているので、ある程度有利な条約となると思います」
「んー、でもそれってセルゲイ? に効くの?」
「セルゲイがどういう人となりかわかりませんが、ギニエ休戦協定を無視することはできないと思いますよ。国家の信頼に関わりますし、元首が変わってもこういう条約や協定というのは無効にならないんです」
「へー……」
そうそう、たとえ東大陸帝国で共産主義革命が起きて赤と黄色い星と鎌と鎚が描かれる国旗な国になっても条約は無効にならない。それは両国間の交渉でのみ破棄できる。
って、そうじゃない。重要なのはそこじゃない。
「エミリア殿下、その講和条約に我々はどれほど意見が出せるのですか?」
「えっ? あの、えーっと、まだ何も交渉は始まっていませんし、講和条約の草案は外務省で作られます。口を出せるとしたら、お父様経由でと言うことになるので、草案の段階では難しいと思います」
草案では無理か。でも草案で盛り込まれる内容は、旧シレジア領の割譲、捕虜の解放、賠償金の支払いなど。そのうちどれが呑まれるかは帝国との交渉次第だが、でも確実に呑まれる事柄がある。それを利用すればいい。
「……また、悪い事を考えている顔をしていますよ、少佐」
「悪い事とは聞き捨てならないですね。至極真っ当な事です」
「ふーん? なんですか?」
「いえね、捕虜を使って情報収集をしようかと」
「…………はい?」
フィーネさんが固まった。「何言ってんだコイツ」って顔だ。
「ユゼフ少佐」
「はい」
「今更あなたの識見を疑うわけではありませんが、具体的に言ってくれませんか?」
フィーネさんらしくもなく直球で聞いてきた。
エミリア殿下も不思議に思ったのか、質問を投げかける。
「捕虜を工作員にする、というのは常道ですが、今の帝国にそれが通じるとユゼフさんはお考えで?」
「はい。できると私は思います。何せ我がシレジア王国は春戦争の時に大量の捕虜を獲得しましたから」
「しかし捕虜が我が国の言うことを聞くでしょうか。農奴兵は何もしなければ帝国の改革の恩恵を受けますし……」
確かに農奴兵をスパイにすることはできない。そもそも農奴じゃ収集できる情報は限られるから。
「農奴ではなく、貴族の方です」
そう言って、俺の思っていることを話す。まだ頭の中の計画というか妄想の段階だが、でも上手く行けば大公派も、そして皇太大甥セルゲイ・ロマノフの目も誤魔化せる。
それをすべて説明し終わった時、エミリア殿下、フィーネさん、そして話の半分はわかってないだろうサラさんまでもが「うわぁ……」って顔をしていた。な、なんですか。そんなに変ですか!?
「ユゼフ」
「な、なんでせう」
「私、あんたの話してること良くわかんないけど、これだけは言えるわ」
サラは一呼吸置いた後、こう言った。
「あんた、もしかすると誰よりも外道な人間よね?」
ひでぇ。




