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大陸英雄戦記  作者: 悪一
第60代皇帝
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大公の思惑

 東大陸帝国帝位継承権第2位のヴィクトル・ロマノフⅡ世。彼の腹違いの姉マルセリーナ・パヌフニカ侯爵令嬢が、カロル大公と結婚した。


 これを話した時のフィーネさんの顔は、珍しくわかりやすい顔をしていた。目を見開いて、飲もうとしていた紅茶のカップがその途上、空中で停止している。どう見てもビックリしてます。

 数秒、その態勢を保っていたフィーネさんは紅茶を飲むのを諦めて静かにテーブルに置き、この情報の意味するところを考え始めた。


「要するに、この国の宰相はロマノフ皇帝家の外戚となったわけですか」

「そういうことです」


 まぁ、さすがは伯爵令嬢と言ったところかな。こういう血筋に関する事がどういう意味を持つのかをすぐに察知できてる。

 それができないのは、貴族とは名ばかりの騎士(カヴァレル)の彼女くらいのものである。うん、すごい悩んでる顔してるんだもの。これ何度か見た事あるよ。士官学校の筆記試験のときの顔だ。ちなみにサラの膝の上に座るユリアは舟を漕いでいる模様。かわいい。


「ね、ねぇユゼフ?」

「なんだいサラさん」

「さん付けす……あぁ、もうなんでもいいわ」


 サラは一瞬拳を握りかけたが、フィーネさんが初めてクラクフ総督府にやってきた時のことを思い出したのかすぐに拳を引っ込めた。ちょっと面白い。


「それで、どうしたのサラ」

「あー、うん、その。意味が分からないのよ」

「何が?」

「カロル大公が、ヴィクトル? の親戚になった意味が」

「あぁ、うん。今から説明するよ」


 普通に考えたらただの大公の醜聞(スキャンダル)だ。貴族社会じゃどこぞの王侯貴族の娘を貰って血縁関係を持つなんてよくあることだけど、それが敵国の、しかも帝位継承権を持つ人間となると色々ややこしくなる。


「まずカロル大公がパヌフニク侯爵令嬢と結婚した政治的意味は簡単。大公がロマノフ皇帝家の外戚となるためさ」

「それだけ?」

「たぶんね。もしかしたら両者の間には愛があるかもしれないけど、それ以上に血筋は重要」


 爵位を継がない貴族の娘に生まれた瞬間、その娘は政治的道具にされる運命にある。というかそれが仕事みたいなものだ。今俺の目の前にいるフィーネさんにしても、いつかはそうなるのだろう。問題は、彼女の父親なのだけど。いや今はその話は良いか。


「サラ。カロル大公じゃなくてもっと普通の……そうだな、俺が名のある皇帝家や王家と関係を持ったらどう思う?」

「……えっ? あんた名のある王侯貴族と結婚するの?」

「例えだよ、例え話!」

「あ、あぁ、そうだったわね……」


 なにちょっと絶望的な顔してるのさ! 農民出身の俺が王侯貴族と結婚なんて普通ありえないでしょ!?


「つまりユゼフ・ロマノフとか……あの、その、ユゼフ・シレジアになる、ってことよね?」


 ユゼフ・シレジアの名を若干言い淀むサラ。いやいや、そこは別に深く気にする必要はないよ。例え話だし、エミリア殿下はもっと高貴な方と結ばれる方ですし……。まぁそれは置いといて。


「そこに何の意味があると思う?」

「えーっと……、箔がつく? シレジアって姓を持つだけで、結構すごいし」

「はい、正解」

「え?」

「それが答え」


 俺がそう言うと、彼女はポカンとした。


「……それだけ?」

「勿論、最終的な目的は違うけどね」


 今回のカロル大公の結婚の場合、パヌフニク侯爵のことは考慮に入れずとも良い。問題は、やはりロマノフ皇帝家の外戚になったことによって箔がついたことだ。


 そしてそれまで優雅に紅茶を飲んでいたエミリア殿下が、俺の言葉を引き継ぐ。


「王侯貴族の親戚となる。たとえ外戚であったとしても、それだけで権威や発言力が高まります。亡国の宰相と言うよりも、皇帝の外戚にして宰相という方が良いに決まっていますから」

「で、でもそれって帝国の中ではでしょ? シレジアじゃ意味はないんじゃ……」

「サラさんの言う通り、シレジアでは実質的な意味はありません。むしろ『仮想敵国の皇帝家と関係を持った』ことを糾弾されても文句は言えません」

「なら、なんでそんなことを……」


 サラは一層混乱した。確かにこのままではカロル大公は「俺の知り合いに暴走族の人いるから」とか微妙な脅迫をする田舎のヤンキーにしかならない。

 だが、ここにある条件を加えると不吉な予感が漂うことになる。エミリア殿下もフィーネさんもそんな予感がしているのか、眉間に皺を寄せて深く考え込んでしまっている。


 その2人の思考を、俺が代弁しよう。


「確かにシレジア国内じゃ意味がない。じゃあシレジアが、帝国にとって国外でなくなったら?」

「それって……つまり、シレジアが帝国に滅ぼされたら、ってこと?」

「うん」

「そんなこと……」

「あるわけない?」

「……わからないわ」


 サラはそう言うと、唇を噛んだ。まぁ、王国滅亡の話をしているのだ。暗くもなる。

 だからと言ってこの話題を遠ざけるのもダメだ。それは大公派の策略に乗ってしまうことと同義。今は考えなければならない。


「もし東大陸帝国がシレジア王国を併呑(へいどん)した場合、問題となるのは旧シレジア王国領の統治の仕方だ。ひとつふたつの貴族領ならば、そこに居た旧シレジア貴族に引き続き統治させるなり、帝国中枢から役人を派遣するなりできる。でも王国全土となるとそうもいかない」


 東大陸帝国の最終的な目標は大陸の再統一。だとすれば、シレジア王国の併呑なんてものは通過点に過ぎない。その後はリヴォニア、オストマルク、キリス第二帝国と言ったシレジアとは比較にならない強国と戦わなければならない。

 となると、シレジアの地政学的意味は大きくなる。キリス第二帝国はともかく、リヴォニアやオストマルク、カールスバートを滅ぼすための中継地点として、あるいは東大陸帝国を守るための盾としてのシレジアという「地域」は重要な価値を持つ。


 そんな重要な地域を、雑多な旧シレジア貴族に任せるのはダメだ。そして最初から直接統治をするのも問題だ。シレジア人の反発を招き、暴動が頻発したら意味がない。


 シレジア併呑後の統治の初期段階では、実力があり、かつ帝国に従順で、そして帝国貴族が納得できる人物に名目的な権力を与え旧シレジア領を統治させるのが良い。つまり、傀儡かいらい国家にするのだ。


「シレジアを間接統治下におけば、ある程度はシレジア人の反発は抑えられる。名目的にはシレジア王朝家に名を連ねるものが旧シレジア領を統治するのだから。名付けるとしたら『シレジア大公国』かな」

「そしてそのシレジア大公国を統治するのがおじ様、つまりはカロル大公となりますでしょう。シレジア王朝家に名を連ね、かつロマノフ皇帝家にも関係があるのは大公だけですから」


 大公がロマノフ皇帝家の外戚となる意味は、考えられる中では2つある。


 1つ、東大陸帝国の各貴族への言い訳が立つ。

 単なるカロル大公がシレジアを統治するとなると、仮にも旧敵国の王族の人間を要職に就かせるのはまずいのではないか、という声が上がるかもしれない。でもロマノフ皇帝家の外戚であると言い訳が立てば、ひとまずそれで反発は収まるもの。

 なぜなら名目が立てば、貴族たちは表立って反対はできないのだ。反対する理由がなくなるからね。


 貴族社会では、こういう「名目」というのは大切な話だ。時には実質的な価値より名目的な理由を求めるのが面白い所である。


 そして2つ目の理由は、フィーネさんが話してくれた。


「滅んだ国の王族というものは、普通は処刑はされません。貴族や国民の反感を買う恐れがありますから。ですので、目の届く場所に連行し、幽閉するのが定石です。そうすれば王族を担ぎ上げて蜂起を促す、などという事態を防げます。シレジアの場合、フランツ陛下とエミリア殿下を帝都ツァーリグラードにまで連れていき、適当な城か宮殿で一生を過ごすことになるでしょう。それなりの礼節でもって、自由を奪われ、そして数十年間籠の中の鳥であることを強制される人生の始まりです」


 フィーネさんは、やや冷淡にそう説明した。

 当の本人たるエミリア殿下と言えば、それを悲痛な面持ちで聞いていた。

 士官学校に入る前のエミリア殿下は、まさに籠の中の鳥であったのだと、かつてマヤさんが言っていたことだ。その状態に逆戻りになる、いや逆戻りよりさらに酷い事態に至るというのは、殿下にとっては耐えられない事だろう。


 エミリア殿下は、俯いたまま。心配したサラが「エミリア?」と問いかけるが、反応はない。

 そして十数秒後、そのままの体勢でポツリと言ったのだ。


「……ずっと、不思議に思っていたことがあるのです」

「えっ?」

「叔父様が本気になれば、私や、父のことなんてとっくの昔に葬れるはずなのに、なぜそれをしないのだろうと……」


 確かに、エミリア殿下の言う通りである。

 シレジア=カールスバート戦争のときが、カロル大公にとって簒奪には絶好の機会だっただろう。彼が本気で簒奪を試みるのであれば、フランツ陛下を暗殺し、貴族の中では大勢を占める大公派貴族の賛同の下、まだ幼いエミリア殿下の王位継承権を返上させて王位に就くことができた。


 コバリや、あるいはクラクフでの、あんな回りくどい策謀をしなくても、機会はいくらでもあったはずであるのに。


「する必要がなかったんですね。最初から。叔父様にとって王位は別に必要でもなんでもない、そして私のことも、私の努力も……」


 王位に就くことがカロル大公の目的ではなかった。東大陸帝国に併呑された後に生まれる、シレジア大公国の大公という地位を狙っているのだと。

 そしてエミリア殿下の生死には興味がなかったのかもしれない。居たら居たで何らかの妨害をしてくるので、警告の意味で多少の暗殺計画を実行しただけ。成功すればめっけもの、失敗したら別にどうでもいい。その程度の認識だったのかもしれない。


 まるで、自分の努力が児戯の如く扱われている。そんな風に思うと、確かにやるせない気持ちにもなる。

 エミリア殿下は、今にも泣きそうだった。でも、まだだ。


「エミリア殿下、まだ泣くのには早いですよ」

「……ユゼフさん?」

「まだ、これは私たちの勝手な予想です。今後どう転ぶかは、カロル大公も知らないはずです」


 この予想自体、なんら物的証拠のあるものではない。単なる推測であって、もしかしたらカロル大公の大ポカである可能性が、ある、かも?


「よしんば予想が的中していたとしても、それを黙って見ているエミリア殿下ではないでしょう?」


 エミリア殿下は結構我が儘な人だ。国王陛下の反対と説得を撥ね退けて士官学校に入学してくるくらいはね。

 そんな人が、ここで諦めるのは可笑しい。


「そうよエミリア! こんなところでベソかいてたらユゼフに笑われるわよ!」

「え、待ってサラ。それ俺が死んでるみたいなんだけど」

「死んでるじゃないの! 軍人としての能力が!」


 ひでぇ。でも反論できない悔しい。

 そしてなぜかこのコントにフィーネさんも参戦してきた。


「そうですね。確かにユゼフ少佐はもうちょっと鍛えた方がいいと思います。その体は少佐ではありません。二等兵からやり直してください」

「いやいやいやこう見えても私士官学校卒業しましたから! あとちゃんと鍛えてるんですよ、脱ぎましょうか!?」


 元農民の筋力舐めるな! クワとかスキくらいなら持てるよ!


「気持ち悪いです。あとその子が起きますので静かにしてください迷惑です」

「あ、はい、すみません。自重します」


 あぁもう、ユリアの寝顔に免じて許してあげよう……でもユリアは俺にまだ懐いてない。悲しい。

 などというコントをしていたら、いつの間にかエミリア殿下は笑っていた。


「ユゼフさんもサラさんも、昔から変わりませんね」

「エミリアもね!」

「あら、そうですか?」

「そうよ! 例えば……」


 こうして暫くシレジア王国の運命とは別の方向に話が進んだ。カロル大公のことなんて、サラはもしかしたら忘れているかもしれない。殿下の方もフィーネさんとの会話を楽しんでいるみたいだし、なんだか女子会みたいになっている。


 でもまぁ、やっぱりエミリア殿下は笑顔が似合うからね。ずっと沈鬱な表情をしてたら気が滅入って仕方ない。

 だから、暫くはこのままでいいか。

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