水面下
首都防衛司令部の屋上から見るソコロフの風景は、全体的に黒ずんでいる。風が吹けば焦げた臭いがどこからか漂ってくる。共和派の一斉蜂起と、それの鎮圧のために盛大に火系魔術が使われたせいだ。
放火事件があった大統領府も、まだ修復も再建もされていない。白く美麗だった大統領府は、黒く醜悪な大統領府になったまま。
そんな風に屋上の欄干にもたれつつ首都の風景を楽しんでいた時、隣に長身の女性が俺と同じ姿勢で街を眺め始めた。
「エミリア殿下の護衛と補佐はいいんですか?」
「良いんだよ。護衛と補佐役はサラ殿がやっている」
マヤさんはこっちを向かず、声だけで答えた。
てかサラに護衛はともかく補佐は無理だと思うのだけどいいの? いや大丈夫だろうと判断されたから仕事を任せたのだろうけど。
「それよりも、らしくもなく君は黄昏ているのかい?」
「……いえ、ちょっと疲れたので休んでただけですよ」
いやほんと、今の俺はなんかもういろいろあって疲れている。
カロル大公派閥の陰謀で内戦が勃発したのかと思いきや、東大陸帝国の策謀だったとはね。カロル大公の時の話とは違って、共和国軍憲兵隊の捜査資料と言う確たる証拠もある。ほぼ間違いない。大公が企てたと言うよりも、東大陸帝国の策謀に大公が乗じたということなんだろう。そしてそれ以外にもいろいろと検討しなければならないことも多い。
さらにそれらをエミリア殿下にどう説明しようかと考えると、さらに疲れがこみ上げて……
「ふぅん……? ま、どうせ例の中将閣下のことだろう?」
「え、なんで知ってるんですか」
今の所、それを知ってるのはフィーネさんだけのはずだが。情報どこから漏れてるんだ。
「ただの当てずっぽうさ。そう答えたってことは、あたりってことでいいのかな?」
「……そうですよ」
当てずっぽうと彼女は答えただろうけど、実際はそれなりに確信があったのだろう。エミリア殿下辺りが俺の表情を見て悟ったのかな。そろそろなんとかして隠し事を表情に出さない練習をしないと。フィーネさんあたりに頼んで睨めっこでもしようかしら。
そんな風に考えていたら、マヤさんが割といい笑顔をこちらに向けながら割と核心的な事を言ったのだ。
「どうせ、あの男を暗殺するかしないかで悩んでいたんじゃないかな?」
「…………それも当てずっぽうですか?」
「いや、ただの推測だよ。復古王朝の秩序の安定のためには、旧弊を一掃してその手の人間を排除する必要がある。その筆頭は暫定大統領ハーハ、そしてあの男だ。違うか?」
マヤさんは言葉を濁したが、ほぼ間違いなくあのド外道中将閣下のことであるのは確定だ。ヘルベルト・リーバルは、レトナ国立公園の虐殺を例にするまでもなく危険な男だし、それは国民も理解している。だけど……。
「だけどユゼフ君はあの男を、いやあの男の能力を使いたい。そんなところかな?」
「はぁ……なんでそんなことわかるんですかね。正解ですよ」
陰謀なんてものが得意な人間は少ないし、時には倫理に外れる策を用いることができる勇気を持つ人間はもっと少ない。それをどちらも出来る人間は貴重な存在だ。感情的には国粋派も共和派も王権派も手玉に取ったリーバルを許せないが、その能力は確かなものだ。
「リーバルが要塞を抜けた時から、それを考えていたのかい?」
「……いえ、少し違いますね。最初は本当に殺そうとしたんですよ」
「そうなのか?」
「えぇ。ハーハから信頼されているリーバルを首都防衛司令部に戻す。そして彼を通じて中央の情報を得て、王権派を勝利に導く。それには成功し、実際スヴィナーで大勝利と相成ったわけです。そして全てが終わった時、リーバルを断罪する。そうすれば内戦には勝てて国民の敵リーバルは死ぬ、カールスバートはこうして平和になり万事めでたしめでたし、となる予定でした」
「なんとまぁ……」
マヤさんは、やや呆れた顔をしている。
本当、リーバルと俺はどっちが外道なのかと自分でも思うくらいだが、一応良心の呵責がないわけではない。さんざん利用するだけして全てが終わったらポイ捨てだもの。もしリーバルが絶世の美女だったら大陸中の男たちから非難轟轟となっただろうね。よかった、あいつがオッサンで。
「で、いつからなんだ? リーバルを生かそうなどと思い始めたのは」
「……つい先ほど。リーバルと会っていろいろ話した時ですよ」
俺は少し迷ってから、マヤさんにリーバルとの会話を明かした。所々エミリア殿下らに内緒にしていた部分についてはちょっと濁しておいて。
マヤさんの表情は真剣味を帯びていた。俺が全てを話し終えた時には、彼女は敵師団に切り込みを仕掛けるときの顔を4割ほど和らげたような顔になっていた。つまりちょっと怖い。マヤさんはその顔のまま、俺に質問をぶつける。
「ふむ……しかし、東大陸帝国が大陸統一の野望を持っていることなど考えるまでもないことだ。そのための行動を何かしらするのは当然ではないのか?」
「いえ、今回の場合は帝国の野望がどうのこうのが重要じゃありません、重要なのは、時機の問題です」
「時機?」
「はい。帝国が統一の野望を持っているからと言って、常日頃それに向けて動いているなんてことはないです。金もかかるし人員も割くし面倒この上ないですからね。小国の民族主義者の排除だなんて具体的な行動、普通はしないんですよ。そもそも大陸が統一できなきゃ意味のない陰謀で終わってしまいますから」
「だが、実際はそれをした……ということは」
マヤさんの表情が驚きに変わった。どうやら理解したらしい。
つまりそれは、今この時、帝国で具体的な大陸統一に向けた行動や陰謀が企てられているということだ。
ではなぜ今なのか。それも簡単だ。内戦勃発前、帝国で何が起きたのかを知らないシレジア人はいない。帝位継承問題に端を発する戦争、つまり春戦争が起き、そしてシレジア王国が勝利した。
あの結果、東大陸帝国皇帝イヴァンⅦ世を中心とした派閥はその権威を失った。代わって台頭したのは、陰謀家として有名な軍事大臣レディゲル侯爵らを含む皇太大甥セルゲイ・ロマノフ派閥。
「皇太大甥とやらが既に大陸統一に向けた計画を立て、それを実行に移しているのか?」
「私の予想では、たぶんそうです。もしかしたら準備はもっと前からやっていたのでしょう。イヴァンⅦ世の孫の懐妊発覚前なら、レディゲル侯爵とやらもそれなりに自由に動けたでしょうし」
「それが、春戦争で一気に……というわけか」
東大陸帝国が大陸統一のために具体的な行動を取っている、というのは憂慮すべき事態だ。なぜならば真っ先にその大陸統一の犠牲となるのは、国境を接しつつ軍事小国であるシレジア王国に間違いないのだから。
春戦争で祖国を守ったら、それが帝国の大陸統一の懸念を増やす結果になったというのは皮肉と言うかなんというか……。それを後悔しても仕方ないのはわかっているが。
「話をリーバルに戻しますが、そんなわけで彼を生かしておきたいのですよ。あいつは帝国の事情について知っていることがある。それがなくても、何らかのコネを持っている可能性がある」
「つまり、彼を諜報工作活動のために生かしておきたいと」
「そういうことです」
帝国の大陸統一に向けた計画がどの程度まで進んでいるのか、そしてどうやって統一するのかを調べる必要がある。そのためには、ここでリーバルを殺すのは躊躇われる。彼にはまだ利用価値がある。でも……
「でも問題はカレル陛下に頼んで彼に恩赦を与える、なんてことをしたら国民は納得しないことなんですよね」
「だろうな。彼は敵だ。今も、そしてこれからも。王国安定のための人柱として、最低でも公開処刑くらいはしなければならない」
マヤさんの言っていることは正しい。公開処刑なんて野蛮な……と思うかもしれないが、旧勢力の悪を排除したと強弁することは、新勢力の安定と秩序に繋がる。公開処刑は、そのための証人作りということだ。今回の場合は、王権派……いや、復古王朝が国粋派という悪を打倒したことを示す儀式となる。
さてどうしたものか。
俺が頭を抱えて悩んでいると、マヤさんが唐突に話題を変えた。
「そう言えばユゼフ君。この首都には有名な奇術師がいるそうだ」
「奇術師?」
魔術師じゃなくて、奇術師? え、手品がどうしたの?
しかしそんな俺の疑問を余所に、マヤさんは話しを進めた。
「首都解放の時、解放の祝いと称して大統領府前の広場で奇術を披露していたのだ。面白かったからそのまま見ていたが」
「はぁ……。あの、それが何の関係が……」
「その時披露された奇術のひとつに、断頭台を使ったものがあった。驚いたことに、彼は斬首され、首だけになった状態でもピンピンしていたよ」
「それは……おそらくそういう仕掛けが……」
うろ覚えだが、確か刃の形がちょっと変わっていて、刃を落としてもそれが回転して切れないというものがあったような……。あとは机の上に上手く首だけ出して適当に血糊を付けてそれっぽく見せ……あっ。
そこでやっと気付いた。
俺の分かり易い表情を確認したマヤさんは、わざとらしい声でこう言った。
「……どうだいユゼフ君、今度私とその奇術師の下に行かないか?」
10分後、エミリア殿下とサラが屋上にやってきた。どうやら俺たちを捜していたようだが、エミリア殿下が「ユゼフさんとマヤはいつの間にそう言う関係になったのですか」と茶化してきてちょっと大変なことになった。主にサラが。




