悲願
大陸暦638年2月28日。
俺は今、占領した首都ソコロフの防衛司令部にいる。
長らく共和国の国旗がはためいていたこの防衛司令部は、今は旧カールスバート王国の国旗が掲げられている。銀色の獅子を模した紋章の上に王冠、その紋様を菩提樹の葉が囲んでいるという、なかなかカッコイイ国旗だ。
ソコロフが陥落したのはハーハ大将暗殺が起きた2日後、2月22日のこと。
王権派の軍勢がソコロフの入城を果たした時、市民は歓呼の声でこれを迎えた。悪辣な独裁者の手から解放したカレル陛下の好感度は今や天井知らずだ。
うんうん、よかったよかった。ラデックを説得して王権派が持つ物資食糧の一部を開放して市民にばら撒いた甲斐がある。その代わりラデックの仕事は増えたけど、市民の好感度を上げるために犠牲になってほしい。やっぱりばらまき政策は鉄板なんだなって。
ともあれ、俺たちは首都を占領した。今はまだ名目的な政権移譲が行われていないから共和国のままだけど、カレル陛下曰く、明日3月1日に正式に王政復古の令を出すという。新たに生まれるこのカールスバート第二王政、あるいはカールスバート復古王朝はシレジア王国とオストマルク帝国の政府承認を受けることになる。そうすれば、リヴォニア貴族連合が介入してくる心配も完全に消えるし、何よりシレジア王国は南部国境地帯を憂慮する必要はなくなるのだ。
ところでカレル陛下って戴冠してもカレル・ツー・リヒノフを名乗るんだろうか。リヒノフってどっかの地名なんだよね? リヒノフを治めるカレルさんじゃなくなるから、カレル・ツー・カールスバートとでも名乗るんだろうか。まぁ、いいか。
にしても、ここまで来るのに結構時間がかかっ……たと思ったけどそんなことはなかった。内戦勃発が10月29日だから、まだ4ヶ月しか経ってない。3年くらい戦った気がしないでもないのだが。
あぁ、ユリアどうしてるだろうな……。あと両親もどうしてるだろうか。書類上は生きていることは確認してるけど、前回会ったのがシレジア大使館着任前のことだから、元気にしてるかどうかはわからないのだ。
「ユゼフ少佐」
色々考えていた時、今回の内戦の最大の功労者の1人であるフィーネさんに声を掛けられた。
「あ、今回はどうもありがとうございます。フィーネさん」
「……いえ、私は何も」
「謙遜しなくても良いんですよ。あの軍事演習をローアバッハで行うように仕向けたのはフィーネさんだと聞きましたが」
「たまたまです。祖父の領地があそこにあっただけですから」
彼女はそっぽを向きながら自らの功を否定する。でもリンツ伯やクーデンホーフ候の名前を出さなかった辺り、どうやらフィーネさんが場所を指定したのは間違いないらしい。俺は国粋派勢力圏内に近い場所で軍事演習してほしいと要請しただけだ。
それを指摘すると、フィーネさんは2度3度わざとらしく咳き込むと、手に持っていた資料のいくつかを俺に渡してきた。
「少佐。それよりも先ほど、共和国軍憲兵隊の情報が公開されました。例の大統領府放火事件の情報も手に入りました。こちらです」
共和国内戦における、最初の火種。大統領府放火事件。渡された共和国軍憲兵隊の捜査資料と、フィーネさんの憲兵隊員の尋問によって手に入れた情報が、その資料には書いてあった。
内容は、とてつもないものだった。共和国軍憲兵隊と、そして共和国を統べる地位にあったハーハは当然これを知っていただろうし、当然例の人物も知っていたはずだ。
だとすると、俺たちにはやり残したことがある。
内戦は、まだ終わっていない。終わったことにはなっているけど、このままでは終われない。フィーネさんもそれが分かっているようで、俺と目が合うと深く頷いた。
「少佐、最後の仕事しましょう」
また、エミリア殿下に報告をせずに事を運ぶことになりそうだ。事後承認でいいかしら。
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14時10分。俺とフィーネさんは、この内戦において際立って目立っていた男の下に居る。彼は、この首都防衛司令部の司令官執務室において、椅子に深く腰掛けて随分リラックスしている様子で座っていた。
「久しぶり、少佐」
「……こちらこそ、中将閣下」
首都防衛司令部司令官、そして元シュンペルク軍団司令官、エドヴァルト・ハーハ大将の幕僚、即ちヘルベルト・リーバル中将である。
「此度の帝国の軍事演習、仕掛けたのは少佐と聞いたよ。まったく、若さに見合わない武勲と度量だな」
褒められた気がしない。字面だけ見ると褒めているのはわかるのだが、彼の独特な見た目とその抑揚のせいで、どうも皮肉っぽく聞こえてしまう。
「お褒め戴きありがとうございます……が、暫定大統領暗殺という武功に比べれば、小官如きの武勲など大したものではありませんよ中将閣下」
これを推測したのは、俺じゃなくてフィーネさんだった。大統領暗殺の現場に、どうやらリーバル中将もいたことは国粋派の人間の尋問で明らかになっていた。
それに対して、リーバルは笑みを保ったままだった。否定をしないと言うことは、たぶん幕僚たちの不安を煽って暗殺をするよう促したのはリーバルだと言うフィーネさんの推測は正しかったのだろう。
「して、今回は何用かな。王国の若き英雄君」
「そんな大層なあだ名を頂戴した覚えはありませんよ。私はただ、最後の仕事をしに来ただけです」
俺がそう言うと、リーバルはいつもの不気味な笑顔のまま聞き返してくる。
「最後の仕事?」
「はい。この内戦を、より良い終わりにするために」
「ほほう。おかしなことを言うね。外を見てみるといい。内戦はもう終わったのだよ?」
「終わってませんよ。外のアレは、終わった気になっているだけです」
この内戦は、大統領府放火事件に始まった。そしてこの大統領府放火事件の真相を暴かぬ限り、内戦は終わりではない。
「中将閣下、あなたの現在の地位は?」
「そうだな、首都防衛司令部司令官と暫定大統領軍務補佐官と言ったところかな?」
「そう、あなたは首都防衛司令部司令官だ。であれば当然、首都の憲兵隊のこの捜査資料についても知っていたはずですね?」
そう言って、俺は先ほどフィーネさんから渡された共和国軍憲兵隊による大統領府放火事件の捜査資料を、リーバルの執務机に叩きつけた。その捜査資料には、リーバルのサインもちゃんと書かれている。知らないはずがない。
一方のリーバルは、その資料に一瞥もくわえずに相変わらず気持ち悪い笑みを浮かべている。
「この資料には面白いことが書かれていましたよ。『消火の終えた大統領府を捜索すると、東大陸帝国の人間の焼死体が発見された。死体の傍には、放火に使われたと思われる道具もあった』と。つまりあの大統領府放火事件の主犯は、東大陸帝国だったということでしょう?」
東大陸帝国が、本気でエドヴァルト・ハーハを暗殺しようとした。そのために工作員を潜入させて、大統領府を燃やしたのだ。その時犯人自身が焼死したのは、東大陸帝国が証拠隠滅を図ったためでもあるのだろう。
リーバル中将が最初に要塞にやってきて俺らに降伏した時「御存知でしょう」と言ったのは恐らくこれが原因だ。
カロル大公は親東大陸帝国派閥。そしてカールスバートを放火したのも東大陸帝国。そこに王権派を支援する謎のシレジア人集団。普通なら俺らをカロル大公派だと考えるだろう。だから「御存知でしょう」と言ったのだ。「東大陸帝国がこの国に火を着け、そして帝国の意思を確認したあなた方カロル大公派がこの国へとやってきたのだから、御存知でしょう」ということだ。
リーバルはそれを最初から知っていた。当然だ。首都の憲兵隊の指揮権を握っているのは彼だから。
だがリーバルは、この放火事件を共和派弾圧のための道具として利用した。些か性急すぎる判断だったために共和派の蜂起がしばらく続く羽目になった。でも、おかげで東大陸帝国の陰謀だと気づく者はごく一部の者に限られたのである。
それを指摘した瞬間、リーバルの笑みがさらに酷くなった。万人が認める気持ち悪さと言っても良い。そしてその笑みを保ったまま、大仰な拍手を数回した後こう言ったのだ。
「御名答」
白々しく、そう言った。腹立つくらい白々しいが、腹を立てる暇はない。
この推理が当たっているらしい。だが問題が3つある。
1つは、なぜ東大陸帝国がハーハを暗殺しようとしたのかという点。2つ目は、エミリア殿下をカールスバートに派遣するように間接的に指示した外務省の意図が不明な点。そして3つ目は、王権派を支援することが東大陸帝国になんのメリットがあるのかという点だった。
その疑問に答えたのが、今俺の目の前に偉そうに座る男である。
「エドヴァルト・ハーハはこの大陸にとって害悪となる存在になった。だから排除しようとしたのさ」
引っ掛かる言い方だった。「東大陸帝国にとって害悪」ならまだわかる。だが「この大陸にとって害悪」とはどういうことだろうか。まるで、万国共通の敵みたいな言い方だ。フィーネさんも、困惑の表情を浮かべている。
だがリーバルはお構いなしに自供を続ける。
「大統領府放火事件のあの日、ハーハは演説をしていた。どんな内容か知っているかね?」
知らない。でもフィーネさんは知っていたようで、リーバルの質問に即座に答えた。
「確か、強きカールスバート、強きラキア人の復活でしたね」
「御名答、リヴォニアの御嬢さん。それが理由だ」
「御嬢さんなどと気安く……は? 今なんと?」
フィーネさんが混乱のあまりリーバルを二度見した。
演説の内容が、大陸の害悪だった。だから殺した。リーバルが言ったのはそういうことだ。
「オストマルクの人間なら知っているはずだ。『強きラキア人の復活』が、どういう主義なのかを」
そのリーバルの問いに対して、フィーネさんはハッとして気付いた。
「……民族主義、ですね」
フィーネさんが、声を震わせながらも答えに辿りついた。
俺も、次席補佐官としてオストマルクに居たからよくわかる。オストマルクでは、民族主義運動に運動に敏感だった。国内にそう言う動きがあれば、これを先制して叩き潰し、かつ全民族を公平に扱うことに血道を上げていた。
それと同じことを、東大陸帝国がやろうとしたのである。
オストマルクと異なるのは、国内の民族主義者を叩き潰したことではない。他国の民族主義者を叩き潰したのだ。属国とはいえ、他国の長を民族主義者だからと言って暗殺しようとした。
これが、カールスバートの民族主義を煽って内戦を起こして介入を図るのならまだわかる。でもカールスバートの民族主義の火を消す理由なんて、そう多くはない。
それをするなんて、理由は1つしか思いつかなかった。
リーバルは、俺とフィーネさんが同じ結論に達したことを表情から読み取ると、続きを話した。
「私が王権派を支持した理由はこれだ。私が求めるのは強きカールスバートの復活。だが、国粋派に与する限りそれは東大陸帝国の従属国となること。そして王権派に従えば、カールスバートの復活が成し遂げられると思ったのさ。もっとも、要塞に来たときにシレジア人を見かけた時は、少し冷や汗をかいたよ」
なるほどね。
リーバルが、王権派にシレジアが関与していると分かったのは要塞に来た時が初めてだったと言うことか。それと悟られず上手い嘘を積み重ねて、俺らも混乱させた。大公派による陰謀なのではないかというのも、恐らくはその場で考えたのだろう。
彼は、強きカールスバートの復活を求めている。当然それは、ラキア人の手によって。それが彼の目的だ。だが国粋派は東大陸帝国の言いなり、しかもハーハは王たる器もなく民族主義者で東大陸帝国から敬遠される存在。だから敗戦を悟って王権派に与したと。
東大陸帝国にしてみれば、民族主義者ハーハが死んでも国粋派が国内を牛耳ってた方が都合が良かっただろう。王権派とはコネがないだろうし、内戦勃発当時は勢力も小さかった。でも、最終的な目的の前には、それは些細な事だろう。
そう、東大陸帝国の最終的な目的。これが、この内戦の勃発理由。初代皇帝ボリス・ロマノフが成し遂げ、第33代皇帝マリュータ・ロマノフによって崩壊した帝国の悲願。
即ちそれは、全大陸の統一である。




