2人きりの
12月25日13時15分。
サラからデートのお誘いがあったので受けてみたら、なぜか彼女は要塞の外で馬を連れていた。そして脇にはもう一頭馬が用意されていて、サラは「早く乗りなさい」と急かした。
「じゃ、行くわよ」
「……どこに?」
「あそこ」
彼女がそう指差したのは要塞から北東の方向にある山だった。
「……何しに行くの?」
「決まってるでしょ」
彼女はそう言うと、馬に跨りながら、当然と言わんばかりにそれを告げる。
「偵察よ」
久しぶりに乗る馬は少し不安だったが、なんとかうまく操ることができた。自転車とか泳ぎ方とか垂直離着陸戦闘機と一緒で、馬も一度乗ったら忘れないようである。
「偵察なら紛らわしい事言わずに正直に言えば良かったのに」
「……仕方ないじゃない。私の休暇、昨日だったから」
何がしかたないのかは知らないが、そういうわけで俺とサラの2人で偵察任務だ。おかしいな。今日は俺休暇のはずなのに……。
「別に偵察だったら、他にもいるだろ? なんで俺?」
「どうせユゼフ暇でしょ?」
「仰る通りで」
まぁ、女の子と2人きりで乗馬しながら大自然を駆けるのはある意味デート……でもないか。相手はサラだし、ここら辺の景色は見慣れちゃったし。
そして要塞から出て数十分後。当初の目標である山の麓に到着した。この山――いや、丘と言った方が適切かもしれない――は標高は高くなく傾斜は緩やかだが、鬱葱とした森が広がっている。そのため騎兵での侵入は不可能。迂回するか、あるいは降りるしかない。
「どうする? 森を迂回するか?」
「……降りる。降りて頂上まで登って、そこから周りの様子を観察するわ」
「了解」
俺とサラは、適当な木に馬を繋いで山を登る。休日に冬山登山をすることになるとは、つい数時間前までは思いもしなかったことだ。冬装備で防寒着着用、雪が降ってないし、標高が低いこともあってそんなに苦ではない。でも早く帰りたい。
「……ここで良いか」
山を半分程登ったところで、突然サラがそんなことを呟いた。頂上までまだ大分あるし、何が良いの?
「ね、ねぇ、ユゼフ」
「ん?」
「な、なんか暑いわね?」
「……えっ?」
12月25日。つまり真冬。カールスバート共和国はシレジアよりはマシだが、それでも寒い。石畳の路面が凍結するくらいには寒い。
それを暑いって言うなんて、もしかして風邪か? よく見ればサラの顔面が真っ赤だし、熱があるのかも……。
そう思い、俺は手袋を外してサラの額に手を当ててみた。
「はぅっ!?」
「あー、動くな。測り辛いだろ」
サラが手を振り回して慌てているが殴りかかってくる様子はない。興奮してさらに赤くなっているようだが。
……うーん、周囲の気温が低いせいかすぐに手が冷たくなる。おかげでサラが本当に熱出てるのか、俺の手が冷たいだけなのかが判断つかない。
仕方ない。少し恥ずかしいけど直接測るか。
そう思って、今度は俺の額をサラの額に直接当てて調べる。
「ちょ……ちょっと!?」
「だから動くなって」
額同士をくっつけて体温を測る。少女漫画みたいな話だが、割と有効な方法だ。自分の体温が正常なら、自分と比較して熱があるかないのかを調べられるし、前世でも額で体温を測ることができる体温計っていうのがあった。
……問題は、男女でやると本当に恥ずかしいことだが。でも脇に手を突っ込むよりはマシな方法だ。
サラは、額をくっつけた直後は抵抗をしていたがその後は顔を真っ赤にしながらも、特に目立って嫌がるような態度は取っていない。時々力弱く俺を押し退けようとするだけだ。
鼻がぶつかっている距離なので、息がかかる。サラも恥ずかしいのか興奮しているのか、少し過呼吸気味になっているのがわかった。
「……ふむ。ちょっと高いかもしれないけど、問題ない……かな? サラ、調子悪いとかあるか?」
「な、ない……わ」
「本当に?」
「本当よ! 私は冗談嫌い、だから!」
そうか、なら大丈夫かな。
体温を測り終えた俺はサラから離れ、先ほどの意味不明な発言を追及することにした。
「でもなんで急に暑いって言ったの? 防寒着の着すぎ?」
「ち、違うわよ! ちょっと間違えただけ! 寒いって言おうとしたの!」
「あ、そうなの。なら納得だ」
確かに寒い。気温計がないからわからないけど、多分氷点下になるかならないかの気温だと思う。昼間だけど、俺らの上空には覆いかぶさるように針葉樹林の葉があって、太陽の熱と光を遮断している。このままだと、たぶん本当に風邪ひきそうだ。
「サラ、一応偵察は適当なところで済ませて要塞に……」
戻ろう、と言いかけたところで俺の口は止まってしまった。
なんでって、サラがなぜか上着を脱ぎだしたからだよ。
「サラ!? 何やってんの!?」
既に彼女は上着を脱ぎ捨て、軽装と言っても良いほどの格好になっている。春や秋なら問題ないが、12月にそれはやばいですよ!
「え、あの、寒いから、その、脱ごうかと思って」
「前の文と後ろの文が繋がってないけど!?」
寒くて脱ぐ。この時俺の脳裏に思い浮かんだのが「天は我々を見放した」という、有名な台詞である。これを今思い出したのは、きっと気の迷いではないだろう。
「サラ、落ち着いて服を着るんだ。そのままだと寒さで発狂して全裸になって冬山をはしゃぎ回ることになる」
「は、発狂なんてしないわよ。ただ、その、寒い時は人肌で暖め合った方が良いって聞いたことあるから!」
そう言うサラは顔面真っ赤、所々呂律が回っていないし、なんか頭と目がぐるぐるしてる。やばいやばい。末期症状だよこれ。
俺の心配をよそにサラは何回目かの脱衣を試みているようで、俺はその腕を掴んで必死に止めつつ自分の上着をサラの体に掛ける。このままだと風邪どころか凍死するぞ本当に。
必死の努力が実ったのか、サラは脱ぐのをやめてくれた。よかった。それ脱いだら殆ど下着姿になるからね。うん。
と思ったのも束の間。今度はサラが、俺に突進してきた。予想だにしない攻撃に俺は倒れて、後頭部に鈍い痛みが走る。岩があったらたぶん死んでた。いや、サラなら安全を確保したうえで押し倒して……押し倒して?
押し倒された!? え、どういう状況!?
「サラ、どうした!」
「ひゃ、ひゃから、ユリアが妹か弟が欲しいって!」
落ち着け! ユリアはそんなことを言う子じゃないぞ! たぶんあの子はサラが居れば他に何もいらないとか本気で思ってる子だぞ!
俺は迫ってくるサラの体を必死に退けようとするが、いかんせん筋力の差がありすぎる。そりゃそうだね、俺は一介の参謀でサラは精鋭部隊の隊長さんだもんね。勝てるわけがない。
サラの表情は、逆光のためか窺い知ることはできない。だが首筋まで赤くなっていることはわかった。
あぁ、なんて光景だろう。いや、ある意味において幸せかもしれない。美少女に押し倒され組み敷かれてなんかむにむにした感触が俺の体に伝わってくるんだから。相手発狂してるけど。
って、そんなことを考えてる場合じゃない。いくらなんでも意識外でやっちゃったらまずい。さっさとサラを落ち着かせないと。
でも筋力に勝る相手にどうやって勝てばいいの?
俺が少ない知識から有用になるかもしれない知識を動員しようとしていた時、静かなはずのこの森で俺ら以外の音が聞こえた。
「サラ、サラさん」
「な、なによ! 怖気づいたの!?」
「違う、落ち着けって。あと殴らないでお願い」
ぽかぽかと弱々しく殴ってくるサラの両腕をなんとか掴み、サラの耳元で先ほど聞いた音の情報を小声で伝える。
「音がした。サラから見て10時の方向。何の音かはわからない」
「……!」
途端、サラの顔に正気が戻った。顔も赤くないし、目も真剣だ。
……よかった。死ぬかと思った。
サラは、俺を押し倒したままの姿勢で目を瞑ると、集中してその音の正体を探っている。なるべく音を立てないよう、俺も身ひとつ動かさずに彼女の言葉を待つ。
「……人ね。枝を踏む音、話し声もする。たぶん、2人。あとユゼフ、10時の方向じゃなくて11時の方向だったわよ。報告は正確にして」
「こりゃ失礼」
そう謝りつつ、俺は懐から懐中時計を取り出す。正確な時計じゃないけど、だいたいの時間さえわかればいい。
現在時刻は、14時20分。
サラの背後に見える太陽の位置と、オルミュッツ要塞の緯度から計算すると……その人がいるのは西北西の方向。国粋派2個師団が集結している、シュンペルクがある方向だ。
「……とりあえず、その『人』が敵なのか味方なのか、あるいは民間人なのか。それを見極めよう」
「そう、ね」
そう言うとサラは身なりを整えつつ、万が一に備える。
俺も彼女から防寒着を返してもらってから準備する。サラとの実力差から見ると足手まといなのは変わらないが、かと言って1対2で戦わせるわけにはいかないからね。
すると、サラは俺に聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
「こんな時に、空気読みなさいよ……全くもう……」
「ん? 何が?」
「な、なんでもないわよ!」
サラは対象にばれないよう小さな声で怒鳴りつつ、俺の額を小突いた。
うん。いつものサラで安心した。
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一方その頃のオルミュッツ要塞では、オストマルク帝国からの観戦武官でありエミリア師団の情報参謀であるフィーネ・フォン・リンツが、キョロキョロしながら要塞内を歩いていた。
それを不審に思った補給参謀ラスドワフ・ノヴァクが、彼女に話しかける。
「どうしました、リンツ嬢」
「あ、ノヴァク大尉。あの、その、ユゼフ少佐を見かけませんでしたか?」
フィーネは、ユゼフを捜していた。
理由は、彼女が今日休暇であり、そして同じく今日休暇であるはずの彼に会って色々するためである。
「ユゼフを? なんかまた新しい情報でも?」
「え、えぇ、似たようなものです」
似たようなもの、という彼女の言葉は嘘ではない。実際、些細なものだが新しい情報が手に入り、それをユゼフの元へ届ける、という口実で会おうとしていたのだから。
ラデックの方も特にフィーネの言葉に疑問を持つことはなく、彼女の質問に素直に答えた。
「ふーん……。確かユゼフは、マリノフスカ嬢……あぁ、いや、マリノフスカ少佐殿と一緒に偵察行動に出てるって話だ」
「えっ……」
「まぁ、驚くよな。少佐2人で偵察なんて、普通はありえないし」
ラデックの言う通り、フィーネは確かに驚いた。だが、その驚愕の種類はラデックの考えていることと少し違っていた。
今日何をするのかを昨日考えていたのに、いざ休日本番となると彼の姿が見えない。
そして彼の友人であるラデックから告げられたその言葉によって、フィーネはユゼフに再会してから何度目かの敗北感を味わう羽目になったのだ。驚きもするだろう。
そんな事情を知らないラデックは、フィーネに話しかける。
「あ、そうだリンツ嬢。帝国からの補給物資の件についてなんだが……」
だが、その時には既にフィーネはラデックに背を向けて歩いていた。一応は階級も年齢も上であるラデックに対しては無礼な行動だったが、当の本人はそれどころではなかった。
「…………あの人があんなに肩を落としてるのを見るのは初めてだな。ってまさか」
と、ここでようやく彼は気付いた。
今日の日付が12月25日。同年代の男性を捜し求める女性の姿。そして、その男性が別の女性と仕事とはいえ2人きりで外に出たと聞き、肩を落とす。ラデックは気付いた。
「……気付かないふりしておこう」
なんだか面倒なことになっている。彼はそう思い、何も見てないことにした。
大陸暦637年12月25日。
その日付は、フィーネ・フォン・リンツが初めてサラ・マリノフスカに対して情報戦で負けた日として、後世の歴史家に語り継がれることに……は、当然ながらならなかった。
だが、当の本人たちにとっては、忘れられない日になるのは確かだろう。




