情報戦
12月20日。
王権派幹部たちの数回の作戦会議の結果、シュンペルクとヴラノフに対する攻勢は延期された。こちら側の戦力が国粋派に比べてあまりにも少ないからだ。
1ヶ月前の、エミリア殿下やフィーネさんの陰口を堂々と言っていた頃の王権派幹部なら、攻勢作戦を強硬に主張しただろう。
だが俺らシレジアからの派遣軍がフラニッツェでバレシュ少将の部隊を破り、オルミュッツ要塞を陥落せしめたことで、彼らも少しは身を弁えるようになったようだ。おかげでこっちの意見を冷静に聞いてくれるし、理性的な反論もあった。良い傾向である。
だが内憂外患の内憂が除去されても、まだ外患が残っている。
王権派の現有戦力は全5個師団、対して国粋派のそれはヴラノフ駐屯3個師団、シュンペルク駐屯2個師団と拮抗している。
でも、それはいつまでも拮抗状態のままであるはずがない。今は共和派勢力による散発的な暴動や蜂起が共和国で起きているため、国粋派の戦力がそれの鎮圧に吸い取られているからだ。
もし共和派が全滅したら、国粋派の残存戦力16個師団が共和国東部なだれ込んでくる。さすがにその数を防げるほど戦力に余裕はない。
敵に反撃の隙を与えず先手先手を打って勝利を掴み取る。これが王権派の基本計画で、その結果オルミュッツ要塞を落とすことには成功した。でも国粋派が要塞周辺に5個師団を集めた時点で、もう戦術的な手がない。
……なら、戦略的、あるいは政治的な攻勢に出るしかない。問題は、どうやって戦略的優勢を手に入れるかだが……。
などということを考えながら要塞内をウロウロしていた時、後ろから急に声がした。
「ユゼフ少佐。少し、よろしいでしょうか」
振り向くと、そこにはフィーネさんがいた。いつの間に背後に回り込んだのか、ニンジャかな?
にしても最近はよく背後を取られてる気がする。俺が気付いてないだけでもしかしたら1日に30回くらい誰かが後ろに居るかもしれないな。今度転生するときは背中にも目を付けなきゃ。
「フィーネさん、どうしました?」
「情報を持ってきました」
「早速成果が出たんですか?」
「そうです」
彼女はそう言うと、俺に資料を渡してきた。
これは、俺とフィーネさんが協力して構築したカールスバート共和国内の情報網の一端である。
内戦が激化するにつれ、オストマルク帝国大使館やグリルパルツァー商会の情報収集活動がやりにくくなっているようで、近頃は情報が手に入りにくくなっていた。
そこで王権派……というよりエミリア師団の、新たな情報調達手段が必要となったのである。
共和国東部を支配下に置いた王権派は、各地に臨時の治安機構として自治組織を築いた。その自治組織を経由して住民との繋がりを得て、情報収集を図る。
町や村というのは独自のコミュニティを持っている。そしてそのコミュニティは町同士、村同士で繋がっている場合が多い。交易による交流、情報のやり取りでそういう繋がりが自然とできるのは当然のことで、それを阻止することはできない。
国粋派が共和国中央及び西部を支配下に置いているとしても、そういう独特の情報網というのは完全に把握できないものだ。
まさか辺境の農村でも軍用伝書鳩による情報交換が行われているとは思いもしなかったよ……。
さらに国粋派は、人心を掌握できていない。恐怖政治の弊害と王権派勢力圏内の統治の良さが合わさり、それは加速度的に悪くなっている。だから、東部の住民は喜んで情報をこちらに提供してくれるし、国粋派勢力圏の情報を集めてきてくれる。
そうやって手に入ったのが、今俺の手元にある情報だ。
「これを足掛かりに、エミリア王女殿下直属の情報機関を設立するのが少佐の構想、ということですか?」
「よくわかりましたね」
「えぇ。少佐はわかり易い顔をしていますから」
……俺ってそんな表情に出やすいのかね。思えば次席補佐官時代もフィーネさんにそのこと指摘された気がする。
実際彼女の言う通り、これはシレジア版CIA設立構想(勝手に命名)の最初の1歩だ。トップは無論、エミリア殿下。
「なんなら、無表情の練習に私が付き合ってあげましょうか? 帝国士官学校直伝の表情の作り方、読み方を教えてあげますが」
「いえ、結構です」
フィーネさんの教育方針がどういうものなのかわからないけど、失敗するたびになんかネチネチ言うのが容易に想像できたので遠慮しておく。
一方の彼女は「残念」と呟くと本当に残念そうな表情をしていた。何が残念なのかは知らないけど私の精神衛生上フィーネさんとの授業は……いやでも年下の美少女と授業というのはそれはそれで良いのか?
いや、今はそんな場合じゃないか。そういうのはやることやってから後でじっくり検討して拒否しておこう。うん。
俺はごまかすように咳を1回した後、そんなことよりも、と前置きして本題の続きをする。
「現在は東部、それもオルミュッツ要塞周辺の自治組織を中心に動かしています。これを国粋派勢力圏内へと浸透させ協力者を得るために、次の手を打たねばなりません」
「次の手、ですか。しかし国粋派勢力圏内への人員の派遣は難しいですよ?」
「別にこちら側から派遣する必要はありません。国粋派勢力圏内の人間が自発的にこちらに協力するようにすればいいのです」
「……具体的には?」
「そうですね。たとえば王権派が何か戦術的な勝利を得て、そして共和国全域に情報をばら撒くんです。『国粋派、王権派に惨敗。死傷者多数』とかね」
「なるほど。それによって民衆蜂起を促したり、協力者を得るということですか」
「そういうことです」
情報網の構築はまだまだ始まったばかり。これからどうにかして協力者の輪を広げて、首都ソコロフにまで手を伸ばしたい。
ただ、フィーネさんはそれでも少し不安なようだが。
「問題は集まってくる情報は玉石混交、しかも軍ではなく民生に関する情報ばかりということですね」
「それは仕方ないでしょう。軍事政権下の中、軍中枢の協力者を得るなどということは容易ならざることですから」
最終的な目標としては、首都ソコロフの防衛司令部に諜報員を送り込むことだけど、でもそれは難易度は高そうだ。
そもそも、防衛司令部に送り込んだ人材がハーハ大将に信頼されるかが問題だ。あるいは視点を変えて、ハーハに信頼されている人材をこちら側に寝返れば良いかもしれない。方法は思いつかないが……。
「ま、それでも有用な情報はありますけどね。これとか」
そう言って俺は、この情報を集めた当本人であるフィーネさんにそれを見せた。
それは12月15日のこと。
オルミュッツ要塞から西北西、首都ソコロフとの中間地点から少し東に位置しているポルナーと言う名の小さな町でこんな事件が起きた。
「国粋派の軍隊がこの町にやってきて、やや強行な方法で町の倉庫から食糧を徴発したという情報です。これによって町は食糧難の危機に……は、ならなかったそうですが」
俺がそう言うと、フィーネさんが頷いた。
「こういう時勢では公営倉庫と国からの徴発を免れる隠し倉庫が別にあるのが常ですからね、それで備蓄があるのでしょう」
「俺もそう思います。ですが重要なのはそこではないんですよ」
「というと?」
「えーっとですね。この事件から得られる情報は2つあります」
フィーネさんが首を傾げた。
ということは、まだフィーネさんは情報の収集と取捨選択しか才能が目覚めてないのかな。情報を細かく分析する能力ってのがまだないのだろう。
……いや、目覚められても困るかも。本当に俺の立つ瀬がなくなる。
ま、まぁ、将来のこととしておいて。
「1つ目は、おそらく共和国全域において国粋派への忠誠が失われつつあるということです」
「なぜそうなるのです?」
「えーっと、ここですね。『物資供出を渋る住民たちに対して、軍が強行に徴発を実行した』という部分です。もしも住民が国粋派に従っている人間だったら、物資供出を渋ったりはしないでしょう?」
「確かにそうですが……しかし国粋派は武力で住民を抑圧しています。多少の不満は出すとは思いますが?」
「そうだとは思います。ですが、そんな不満をあからさまに軍の前で出すと思いますか? 少なくとも、軍の前では大人しく従順なフリをしておくものですよ。さもないと命に係わりますから」
国粋派に従順なフリをしておいて、裏で舌打ちをするのならまだわかる。
あるいは国粋派に積極的に協力して「持ってけドロボー!」状態であっても不思議ではない。
でも住民たちは一度渋り、そして軍による強行的な徴発を受けている。渋らなければそんな暴力的な事態にはならなかっただろうに。
「国粋派からの人心が離れていることの良き事例、ということですか」
「そういうことです。ついでに言えば、国粋派の統治にも箍が外れかけているということ。ポルナーは共和国中部、国粋派の完全勢力圏内です。それなのに住民の反抗的な態度がこの小さな町にも表れている。おそらく都市部に行けばもっとひどいことになっていると思いますよ」
もしかしたら、都市部では共和派にも王権派にも属さない、ただ単に国粋派に反発する勢力が組織されているかもしれない。それを取り込むことが出来れば、大きな前進だ。
「なるほど……では、2つ目は?」
「2つ目は、『食糧を徴発』してきたことです。これは少し希望的観測が入っているのですが、国粋派は飢えかけているかもしれません」
「……国粋派の食糧庫が空で、それを埋めるために徴発したと?」
「えぇ。理由は恐らく、我々王権派が東部を制圧したせいでしょう」
カールスバートの人口は、西に偏っている。つまりそれは東が穀倉地帯で、西が消費地であるということ。そのカールスバートの食糧生産地である共和国東部を王権派が制圧したため、食糧供給が滞ってしまった。
しかも今は12月。収穫がガッツリ減る冬の真っ最中だ。
「あるいはもしかしたら、都市部の飢餓が始まっているのかもしれません。平時であれば、東部穀倉地帯から調達したり、外国から輸入できるのですが……」
「でも東部は王権派が握り、そして国境は国粋派自身の手によって封鎖されている。外国からの介入を防ぐために」
「えぇ。なまじ国境を開放して食糧と共に、共和派や王権派を支援する工作員や他国の軍隊が潜入して来ても、彼らは困るでしょうから」
ま、それは俺らがオルミュッツにいる時点で無駄な心配でもある。でも、国粋派はどうやらシレジアやオストマルクが本格介入していることをまだ知らないようだし。
「カールスバート国民が飢え始めれば、自然と国粋派の信用は落ちます。それと反比例して、反抗勢力である共和派と王権派の支持は広がるでしょうね」
でも、ここでまた大きな問題が起きる。
今言ったように、これは共和派の勢力を広げることにもなりかねない。国粋派が絶滅して共和派が代わりに東部を支配しますでは困る。王権派からしてみれば頭が変わっただけ、しかも人心を失いにくいだろう共和派がトップになった分難易度は上がる。
ならどうするか。簡単な話だ。だけど、それで犠牲になるのは……。
「少佐?」
色々と考えていたら、いつの間にかフィーネさんの顔が目の前にあった。
どうやら急に黙った俺を心配して顔を覗き込んできたようだ……って、近い近い。息がかかる距離まで近づく必要はないんじゃないかな!?
「なんでもありません。ともかく、この調子で情報収集と、可能であれば工作をしましょう」
「わかりました。ではまた」
そう言ってフィーネさんはやや小走りに去っていく。
結局俺は思いついたことを彼女に言えなかった。まぁ、言わなくて正解だったかもしれない。たぶん、本気で軽蔑されるようなことを思いついてしまったから。
共和派を貶めるために、共和派が民衆を虐げるように仕向ける、なんて。
【お知らせ】
アース・スターノベルの公式HP(http://www.es-novel.jp/schedule/)が更新されましたのでお知らせです。
書籍版「大陸英雄戦記」のイラストレーターさんは、ニリツさんに決まりました。
こんな高名な方に描いてもらえる……なんだか、申し訳ない気持ちで一杯です。
これからもどうぞよしなに




