王国軍第4師団
オルミュッツ要塞陥落の報が、カールスバート共和国首都ソコロフにいる暫定大統領エドヴァルト・ハーハ大将の下にもたらされたのは、12月9日の午前のことである。
その時彼らは、王権派拠点カルビナの制圧した後どのようにして内戦を終わらせるかの会議を開いていたという。そのため、ハーハは怒鳴り散らすのではないかと多くの者は不安であった。
「…………」
だがハーハは、一国を支配する独裁者としては些か拍子抜けするような冷静さを持ち合わせていた。
オルミュッツ要塞失陥の情報に対しても、部下たちに特に何か感想らしいことを言うことはなく、十数分に亘って沈黙を保ち続けていたのみである。
それを見ていた一同は、ハーハはこの時にでも冷静さを保っていられる人間だと思い、彼の人となりを評価していた。だが彼の目は怒りに燃えていることは、傍に立っていたハーハの副官が確認している。
「……閣下、いかがなさいますか?」
黙り続けるハーハに、さすがに1人の士官が我慢できずにそう切り出す。それに対してハーハは怒鳴りもせず、冷徹な目を取戻し軍の最高司令官として指示を出した。
「要塞周辺にある5つの駐屯地の内、4つの駐屯地を放棄。兵力はシュンペルクに集結させよ。それと、ドゥシェク中将」
「ハッ」
「貴官は3個師団を率い、ヴラノフへ向かってほしい。要塞を占拠、攻略する必要はない。ただ王権派の連中がこれ以上しゃしゃり出ないよう、圧迫してくれれば十分だ」
「了解しました」
ハーハとしては、それ以上命令の出しようもなかった。
敵がどれほどの規模なの、要塞をどのような手段で奪取したのかが不明な以上、再奪取作戦など容易にできるものではない。
そのためハーハは要塞から北西にあるシュンペルク駐屯地に残存兵力を集め、そしてオストマルク帝国との交易が活発だったヴラノフを押さえるくらいの命令しか出せなかったのである。
ハーハはその命令を出した後、会議を解散させた。だが部下たちが退室しても、彼は彼の副官と共に暫く会議室に残った。
そしてさらにその数分後、ハーハは脇に立つ副官に抑えた声で尋ねた。
「彼の国からは、何もないか」
その質問をある程度予想していた副官は、ハッキリと答える。
「ありません。あの日以降、何も」
「……そうか」
ハーハは深い溜め息を吐き、そしてようやく立ち上がった。
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オルミュッツ要塞周辺の国粋派駐屯地が放棄されたらしい。まぁ、それが目的でこの要塞を落としたんだからそうでないと困る。
その放棄された駐屯地に偵察部隊を派遣してみたが、もぬけの殻だったようだ。残された物資もすべて焼かれ、兵士どころか治安維持用の警備の者までいなかったとか。つまり駐屯地近くの村や町では治安機構が突然いなくなったことになる。
カレル陛下は王権派の士官複数名を各町に派遣し、治安悪化を防ぐための自治組織を作らせることにした。それらの自治組織の中心となるのがオルミュッツ要塞。
というわけで、王権派総司令部はカルビナからオルミュッツ要塞に移された。カルビナには補給路の安全を確保するための1個師団が留まり、あとは皆オルミュッツ要塞に移動したのだ。
司令部がココに移ったことで情報伝達、指揮命令のしやすさは確保されたが、兵力は分散された形になる……と思われた。
というのは、フラニッツェ会戦やオルミュッツ要塞攻略戦の時に捕虜になった国粋派の将兵1万が、国粋派を見限りカレル陛下に忠誠を誓ったのだ。
捕虜の中で最も階級が高かったトレイバル准将が、カレル陛下と会談した時の内容を一部紹介しよう。ちなみにその時は俺もシレジア代表として臨席した。
「ハーハ大将は確かに実力はある方だ。国を率いる度量と才幹もある。だが……」
「だが?」
「だが、あの方は負ける! なぜならば、陛下がいらっしゃるからです!」
途端、トレイバルは鼻息を荒くし、そして陛下に対しグイグイ迫る感じで演説を始めた。
「陛下の軍はたった1個師団で我がバレシュ師団を破り、オルミュッツ要塞を落とし、クドラーチェク師団を壊滅させました! 陛下のお力あってこそ、ハーハ大将が勝てるわけありません! 是非、私も陛下の覇業のお手伝いをさせてください!」
「……ハーハ大将への忠誠はないのか?」
「忠誠ですか? ありませんよ! 敗軍の将となる方に対する忠誠心など不要なだけです! この要塞が落ちたと聞いた時、私は確信したのです。陛下こそ勝利者たる資格があると!」
「……」
その時、陛下が目を丸くしたのを覚えてる。表情や言葉に出したりはしなかったが、たぶん内心ではドン引きしてただろうな。
「陛下、私をどうか臣下に加えてくれませんか!?」
「……それは構わぬが……その、貴官の部下はどうなのかね?」
「大丈夫です。私の部下は国粋派ではなく、単に命令されたから従っているというだけの者が大多数であり、ハーハに忠誠を誓っている者はございません」
「そうか……。なら、問題はない。貴官の力を余に貸してほしい」
「御意にございます!」
こうして、トレイバル准将以下3000名の共和国軍がこちらに寝返った。一応彼の指揮下にいた士官、下士官は全員取り調べをしたが特に怪しいものは居なかったため、すんなりと王権派に組み込まれた。
些か間の抜けた話ではあるが、たぶんトレイバルは信用できる。
というのも、フラニッツェ会戦時の状況から考えて、彼がスパイになる可能性は低い。まさかバレシュを戦死させて7000の国粋派将兵と引き換えに1人のスパイを最弱勢力である王権派に送る意味はない。
それに彼は王権派が勝つと予想して国粋派を裏切った。つまり俺らが勝ち続ければ、彼はずっとこちら側に居る人間となる。
彼は、矜持とかプライドとかそういう物は勝利の前には意味をなさないと思っているのだろう。そういう人間っていろんな意味で尊敬できるよ。
でもね准将閣下、要塞落としたの陛下じゃなくて殿下ですから。
無論、トレイバルみたいな奔放な人間だけではなかった。
オルミュッツ要塞守備隊の生き残り、クドラーチェク少将の副官だったネジェラ大尉がそうだ。
「……クドラーチェク閣下の御家族を、国粋派から助け出したい。ですが、私だけの力ではそれは無理なのです」
曰く、ネジェラさんはクドラーチェクと仕事だけではなく、個人的にも家族ぐるみで世話になったそうだ。そのクドラーチェクは国粋派に家族を人質に捕られ、そしてその政治的な束縛によって最終的には戦死した。
世話になったクドラーチェクの無念を晴らすためにも、カレル陛下の下で働かせてほしいとのことだった。
無論、陛下は即決でネジェラを登用した。
それだけでなく、ネジェラと共についてきた6000の兵もカレル陛下に忠誠を誓った。どうやらクドラーチェクは部下から信頼されていたようで、そのクドラーチェクを間接的に亡き者にした国粋派を許さない、ということらしい。
トレイバルの時と同様調査が行われたがやはりその中に怪しい者はおらず、その結果クドラーチェク師団の生き残り6000と、要塞に立て籠もっていた1000の兵合わせて7000が王権派の兵となったのだ。
捕虜、いや元捕虜で構成されたこの部隊は、多少の入れ替えや補充があった以外はほぼそのままの編成になり、カールスバート王国第4師団と命名された。
カレル陛下は、王権派の将官であるレレク准将を少将に昇進させ第4師団の司令官に、そしてトレイバル准将を副司令官に添えた。
……レレク少将、あまり話したことないけど、あの鼻息荒くしていたトレイバルをちゃんと抑えることができるんだろうか。不安だ。
それはともかく、第4師団に関する諸々の処理が終わったのが12月14日。そしてその日、新たなる情報が王権派司令部にもたらされた。
曰く、「オストマルク帝国との国境に近いヴラノフ駐屯地に向け、国粋派3個師団が出動」である。




