要塞からの景色
12月4日。
『我、オルミュッツ要塞奪取せり』
エミリア師団司令官エミリア・シレジア本人から送られたこの通信文は、伝書鳩によって即日王権派司令部のあるカルビナにもたらされ、そして王権派幹部の腰を盛大に抜かせた。
ある者はこれを「国粋派の周到な罠ではないか」と疑ったが、総司令官カレル・ツー・リヒノフは
「数で圧倒的に勝る国粋派がそのような小細工をするとは思えぬ。恐らく、事実だろう」
とし、この通信文を信用した。
だだこの時点では、要塞周辺のの各駐屯地が奪還作戦を仕掛ける可能性もあった。折角奪ったオルミュッツ要塞を手放すことはできないし、なにより共和国中西部へ向かう足掛かりとしてこの要塞の戦略的な重要性は極めて高い。
恒久的にこの要塞を王権派によって維持できれば、この内戦の趨勢も変わるはずだ。
カレルはそう判断すると、王権派において最も階級の高いマティアス・マサリク共和国軍中将に2個師団を預け、即刻オルミュッツ要塞へ向かうよう命じた。
一方、国粋派の混乱は王権派のそれより遥かに大きかったことは疑いようもない。
特に動揺が大きかったのは、クドラーチェクを失った「元」要塞守備隊6000である。クドラーチェクは騎兵3000で急ぎ要塞に戻り、そしてエミリア師団によって殲滅された。司令官を失い、敵中に孤立しあてもなく彷徨う彼らは、今後どうするべきかを検討しなくてはならなかった。
だが、彼らが持っている物資の量は心許ない。補給は要塞に依存していたが、その要塞が制圧されてしまっては補給を受けることは出来なくなっていた。
今から他の駐屯地に向かうだけの物資もなく、彼らには2つの選択肢しか残されていない。
戦いを挑み、玉砕するか。
それとも、敵に降伏するか。
残された者たちは喧々諤々の議論を行ったが、容易に結論を見出せずにいた。
と言うのも、残された部隊の中で最も階級の高かった副司令官バルターク准将が強硬に玉砕を主張したからである。
「誇りある共和国の軍人が、敵に降伏するなど許されない! この上は共和国軍として最後の戦いに挑み、華々しい最期を遂げようではないか!」
この男は単に要塞守備隊副司令官ではない。彼は生粋の国粋派の人間で、暫定大統領ハーハ大将に心酔する士官だったのである。
バルタークは副司令官としての職務を全うする間クドラーチェクの監視もしており、もしもクドラーチェクに裏切りの兆候が見られれば、すぐに中央に連絡しクドラーチェク及びその家族を粛清させることがでる立場に居た。
だが、今やクドラーチェクもいない。それどころか戻るべき要塞もない。この時点ではバルタークら残存部隊は要塞に立て籠もる敵部隊の総数を知らず、やりようによっては要塞を奪還する可能性もあることを彼らは知らなかった。
議論は紛糾し、遂には日が落ちた。
結局副司令官バルタークは折れず、明日にでも要塞攻撃を行うことで会議は終了した。
しかし、それは実行されなかった。玉砕を主張していたバルタークが死んだからである。
いや、正確に表現するのであれば、玉砕を主張していたバルタークが、降伏を主張していたクドラーチェクの「元」副官、サムエル・ネジェラ大尉によって殺害されたからである。
「……この男の独り善がりの為に、6000人の部下の命を差し出すわけにはいかない」
そして12月5日、国粋派6000名の兵はオルミュッツ要塞に居座るエミリア師団に降伏、捕虜となった。
フラニッツェ会戦に続く一連の戦いで、王権派は1万人以上の捕虜を得るに至った。
オルミュッツ要塞に王権派の増援が到着したのは、12月8日のことである。
増援部隊の指揮官であるマサリク中将は、要塞が本当に陥落していたことと、その要塞に7000人の捕虜が居たことに驚きを隠せないでいた。
だがその一方で、要塞を落とした側のエミリア師団の幹部は割と謙虚な態度だった。
司令官エミリア・シレジアは
「ほとんどユゼフさんの功績によるものですから」
と言って自らの功を主張することはなかった。
要塞突入部隊の指揮を執ったマヤ・クラクフスカ大尉も
「結局私は何もできなかった……」
と、ややションボリした顔で言った。
第3騎兵連隊のサラ・マリノフスカ少佐は
「そもそも出番がなかったわ」
不貞腐れつつ、でもユゼフの作戦が上手くいき要塞を奪取したことを内心喜んでいたようである。
補給参謀ラスドワフ・ノヴァク大尉は
「好き勝手物資使いやがって! 少しは「節約」と言う言葉を覚えろよ!」
キレた。これは要塞に残されていた物資を接収することができたため、それに関わる彼の負担が増大したという嬉しい悲鳴もあるのだが。
そして要塞奪取の立役者でもある作戦参謀ユゼフ・ワレサ少佐は
「この作戦は失敗だった」
と言って、自分の功を否定していた。これはエミリア師団の戦死傷者の数が事前の想定よりも多かったことから「もっと犠牲者の少ないやり方があったのではないか」という反省があったからである。
それでも、多くの者は彼を功績第一として評価するだろう。
だが、マヤやユゼフ以上に落ち込む者がいた。
それが、オストマルク帝国からの観戦武官にして情報参謀のような任務を帯びているフィーネ・フォン・リンツである。
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フィーネさんの様子が変だ。
エミリア殿下らが奪取した要塞の様子を見たり、マヤさんが部隊の再編を行っている間、作戦参謀たる俺はひとつの大作戦を終えたばかりということで束の間の休暇が与えられた。
その時に、周辺を一望できる要塞監視塔でちょっと切なげな表情をするフィーネさんを見かけたのだ。
最初は、オストマルク帝国が建設したこのオルミュッツ要塞に117年ぶりにリヴォニア人が足を踏み入れたことに感慨に耽っているのかな? と思ったのだが、
「はぁ……」
と言った感じで先ほどから小さな溜め息の連続、顔も酷い。考えてみれば、彼女が「感慨に耽る」っていうのはありえないかも、とも思った。
いつぞやのクロスノで見た顔に似ているが、まぁそれよりはマシな表情をしている……と思う。たぶん。いや、女心はどうのこうのと言うくらいだから、実際はどうなのかは知らない。
これって構ってあげた方がいいのかしら。こういうのって往々にして「構って! 今落ち込んでるから!」って意味もあるからなんか相手してあげたくない。
でも放っておくのもまた面倒なことになりそうだし、とりあえずサラがエミリア殿下に報告しに行っている間にさっさと終わらせておこう。
「どうしたんですか、フィーネさん。さっきから」
「……少佐。…………何もありませんよ」
嘘だッ!
こいつは嘘をついている味だぜ! たぶん。
「何かあるなら、力になりますよ?」
士官が沈鬱な表情をしていると、部下に与える影響が大きいからな。さっさと笑顔を見せてください。そういう軽い気持ちで聞いてみたのだが、
「力になりたかったのは私の方なのですけどね」
「えっ?」
フィーネさんの表情は更にふさぎ込んだ感じになってしまった。力になりたかったって、結構力になってくれたと思うんだけど。
「私がもたらした共和国軍の情報は役に立たぬ物ばかり。将帥の情報は名前と隊章がわかるだけ、我が帝国が建設した要塞見取り図も一部間違っていたこともあって占領が遅れました。結局私は何もできませんでした」
あー、うん、そうね。それね。気にしすぎじゃないかなぁ……どうもフィーネさんって完璧主義だよね。リンツ伯爵がその方面では偉大過ぎるから、影響受けているのかも。
「そもそも、これらの情報集めたのはフィーネさんじゃないでしょう? なら、これは伯爵の落ち度で……」
「私ですよ」
「えっ?」
「私が……いえ正確に言えば、私が指示して情報を集め、纏めたのがこれです」
「え、でも、帝国の情報機関の再編があったばかりで情報が少ないって言ってましたよね?」
俺とサラが取っ組み合いの喧嘩――と言っても一方的に殴られただけだけど――したあの日の会談で、フィーネさんは確かそんなことを言っていた。情報網の構築がなされているわけではない、と。
「そうです。情報網の構築が出来ていない、それに嘘偽りはありません。その結果がこれなのです」
と言ってフィーネさんが俺に渡してきたのが、フラニッツェやオルミュッツ要塞攻略の時に俺に見せてくれたあの資料だ。共和国軍の将帥の情報、要塞の見取り図などなど。
……まさか、不十分な情報網でこれをかき集めたってこと?
「無論、いくつかの情報に関しては情報機関再編前に既に帝国が握っていた物はあります。例えば、要塞見取り図は100年以上前の情報ですね。改築の可能性を見過ごしていた私のミスです」
「……」
いや、そうだとしてもこの情報量はすごいぞ……? 帝国がいつから共和国の情報を集めていたのか知らないけど、これだけの情報量を一朝一夕で集められるはずがない。
もしかしたら意外と早く、彼女の情報面での手腕はリンツ伯爵を超えるかもしれない。
敵でなくて良かったと思うし、敵に回したくないなぁ……。
「はぁ……少佐と違って、まだまだですね」
しかし、彼女の自己評価は低いままだ。向上心があるのか、それとも否定的すぎるのか判断がつきかねる。
「…………まぁ、そういうところは好きですけどね」
俺はどう慰めていいのかわからずそんな適当なことを言っただけで、あとは彼女の隣に立って暫く要塞監視塔から景色を眺めていた。
思えばフィーネさんがこういう悩みを人前で話すなんて、数ヶ月前までの彼女なら想像がつかないな。クロスノのアレ以前であれば、また内部でストレスを貯め込んで終わりだっただろう。
まぁ、俺に話したという時点である程度は解決するんじゃないかな。悩みは打ち明けた時点で解決するとはよく言うしね。
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一方その監視塔には、別の女性の人影があった。ユゼフやフィーネからは死角になる場所で、彼女はただ気配を消し聞き耳を立てていた。
その顔は監視塔に立つフィーネ以上に沈鬱の表情を浮かべていたのは間違いない。だが彼女が何を思ってそこに居たのかを知る者はいないだろう。ただ1人を除いて、であるが。
そしてその唯一の例外が、いつの間にか彼女の傍に立っていた。
「……サラさん」
名前を呼ばれた彼女は、初めてその存在に気付き、その人物の名を呼ぶ。
「どうしたの、エミリア」
エミリアは声を抑え、足音を立てずにさらに近づき、ただ一言だけ彼女に伝える。
「お話をしましょう。少しだけ」
サラはそれを受け入れ、ユゼフらに気付かれることなく監視塔から去った。




