調査許可令状
フィーネ・フォン・リンツなる若手の女性士官候補生が、クロスノ警備隊駐屯地内で火の手が上がったのを見たのは22時55分のことである。
彼女はそれを見ると「本当にやったのか」とやや呆れつつ、事前に決めた作戦通りに行動することにした。
「何事ですか!?」
彼女は、駐屯地入口にいた警備兵に「今ここに着いたんだけどなんか騒々しいね」と言った風に慌ててみせた。彼女の迫真の演技に、警備兵は騙されただろう。
「わ、わかりません! 突然爆発が起きて……」
「事故か……いえ、もしかしたら何者かによる破壊活動かもしれません。至急基地司令に連絡を取ってください!」
「り、了解しました!」
「私も駐屯地内に入って協力致します。よろしいですね?」
「はい! どうぞ!」
ここ数日、フィーネは彼らと協力して調査をしたおかげである程度信頼関係を築けることに成功していた。それは彼女が、14歳の美少女であることにも原因があるだろう。
この事実に気付いた彼女はやや憮然としていたが、この信頼関係をすぐに崩してしまうことをこれからするつもりであったために、むしろ申し訳なさの方が先に立った。だとしても、彼女は今更作戦変更をすることはしなかった。
フィーネは、自分の後ろに立っていた男を呼んだ。
「大尉、行きますよ!」
「は、はい!」
その男は少しやせ気味で、春だと言うのに頭巾を目深に被っていた。通常なら、警備兵に止められたことは疑いようはないが、それは現在の駐屯地の状況にあっては問題はなかった。
23時00分。フィーネと大尉と呼ばれた謎の男は、クロスノ駐屯地へ侵入することができた。
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いやぁ、士官学校入学仕立ての時のアレ思い出すね全く! しかも今回は援護なしだし、辛いわ本当に。
でも、なんとか追っ手を撒いてフィーネさんと合流しないと意味がない。
「どこに行った!?」
「東側に行ったらしいぞ、左右に分かれて挟み撃ちにしろ!」
警備兵たちは意外とまともな行動をしている。2人1組で行動して散開し、俺を建物や駐屯地の壁に追い込む形で部隊を移動・配置している。さらには軍用犬まで繰り出してくるので厄介だ。ええい、ワンワン吠えるな! 俺は怪しくないぞ!
30分程警備兵と軍用犬と戯れた後なんとか危機を脱することができた。ていうかまぁ、駐屯地の外に出ただけなのだが。
警備兵たちは他に侵入者がいないかだとか、駐屯地の外に出て俺を追おうとしたり、未だ燻ってる火を消すのに勤しんだりと……うん、ごめんなさいね。みなさん。もうすぐ日付が変わるって時に……。
23時15分。
ぐるっと回って駐屯地の正面入り口から堂々と入る。入り口の警備兵とはここ数日の調査で顔馴染みになってしまったから殆ど顔パスである。フィーネさんが中に居るらしいから入れてほしい、と言ったらちょろいもんである。
こいつフィーネさんに惚れてるんじゃないだろうな……このロリコンめ。
閑話休題、難なく駐屯地に再侵入を果たした俺はフィーネさんを探す。と言っても事前の作戦では内務省高等警察局の入り口付近で待機することになっているから、そこを目指せばいいのだが。
途中、どっかで見た事がある軍用犬と遭遇。すっごい吠えられたけど、近くにいた警備兵は「この人を新たな侵入者として認識してるんやろなぁ」くらいにしか思ってないのだろう。
こやつめ、ハハハ。
言うまでもなく犬の答えが正解です。
駐屯地を堂々と歩くこと5分、ようやくフィーネさんを見つけた。
「遅刻ですよ」
開口一番そんな風に毒を吐くフィーネさん。デートしてもこういう態度貫くのだろうか、とどうでもいいことを考えていた。
「ちょっと人気者になってしまって」
俺がそう言うと、フィーネさんは心底呆れたように大きなため息を吐いた。「こいつバカだ……」っていう反応ですね。間違いない。
フィーネさんの隣には、頭巾を深く被った謎に包まれた第三の男がいた。外套も組み合わせると、一見しただけでは男か女もわからない。
「さて、大尉さん。それ外していいですよ」
「だ、大丈夫か……?」
「大丈夫ですよ。むしろそのままだと怪しいですから、外しちゃってください」
そう言うと、その謎の男は外套を脱ぎ捨てた。中から現れたのはなんとも頼りなさげな顔つきと体つきをしている1人のオッサン。かつて俺が貧民街で見つけて銅貨1枚を払った「ジン・ベルクソンを知る者」こと、ヴォルガ系民族のアンダ・ヤノーシュさん。ヴォルガ系は姓が先なので、アンダが姓になる。
「アンダさん。これからあなたはオストマルク帝国軍の軍人でこの駐屯地の兵、そして階級は上等兵です。それなりにキチンと、堂々と行動してくださいね」
無論これは嘘である。が、俺もフィーネさんも、ジン・ベルクソンの顔を知らない。似顔絵もないし、当然写真なんてオーバーテクノロジーもない。なので、その顔を確認するためにコイツを呼んだのだ。
そしてわざわざその為だけに軍服一着用意した。だからきりきり働きたまえ。
「は、はぁ。でも……」
「大丈夫ですって。それに、これに成功したら報酬は……」
「銀貨5枚……!」
銀貨5枚で命を投げ出すほどの危険を冒すのか、とも思わなくはないが貧民街に住むアンダさんにとっては銀貨5枚は大金だ。
うん、まぁ、せいぜい他の路上生活者に盗まれないようにしてね。
23時30分
「アンダ・ヤノーシュ上等兵であります! ここの責任者と至急お話がしたい!」
高等警察局入り口前でそう叫ぶアンダさん。結構演技上手いね。
「ダメだ」
そして相変わらずのこの態度である。ダメの一点張りか。でも、それは今回は通じない。
「駐屯地に何者かが侵入し、あまつさえ放火をした。この件に際して基地司令は緊急事態を宣言している。責任者と話がしたい」
はい、みんなー「帝国戦争特別法第15条の2」の出番ですよー。覚えてるかにゃー?
有事の際は高等警察局だろうと基地内にいる限り軍の管轄下に入る。なので、この警備の鬼いさんに拒否する権限はない。
それが分かっているのか、このいかつい顔をした警備員は奥に引っ込んでしまった。
扉の向こうから話し声が聞こえるが、何を話してるかはわからない。
数分後、警備員は責任者と思われる者と一緒に出て来た。なんというか、顔は青白いし頬はこけてるしハゲだし……アレだな、ムンクの叫びにそっくりだわ。
「ここの責任者のマニンだ。一体何の用だ? 今は忙しいのだが」
「忙しいかは関係ありません。中を見せてください。賊がここに入った可能性があります」
フィーネさんは、マニンさんとやらの有無を言わさず、局内に入ろうとしている。無論マニンさんは止めるが、マニンさんには法的に止める権限はないはずだ。
「君は外務省の人間ではなかったかね? ならば軍の権限を行使することはできない」
「私のことをご存知とは光栄とは思いますが、私はオストマルク帝国軍の人間です。身分証を見ればわかります」
フィーネさんはそう言って身分証をマニンさんに差し出す。それは偽造身分証ではない、本物の身分証だ。オストマルク帝国軍曹長フィーネ・フォン・リンツと書かれているはず。俺も、フィーネさんと初めて会った時に見せられたから覚えてる。
「これは失礼した。……入っていい」
意外にもマニンさんとやらはすんなり通した。合法なら入れる、違法なら入れない。というスタンスを明確にして、無用な摩擦を起こさせないようにするための措置だろうか。
フィーネさんが入ったことを確認すると、それに続いてアンダさんも中に入る。ていうかアンダさんは偽物なんですけど、身分証提示を求めなくてもいいのマンニさんや。
まぁいいや。俺もアンダさんに続いて……
「おい、そこのシレジア人」
ダメですよね。シレジア人で帝国軍の服を着てない俺が易々と入れるわけないですよね。
「お前は帝国軍人ではないな。何者だ?」
「……在オストマルク帝国シレジア王国大使館附武官次席補佐官のユゼフ・ワレサです。身分証はこれです」
この長ったらしい役職名も久しぶりに口にした気がする。身分証も久々に出した。
「……シレジアの駐在武官か。ということは君はシレジア軍の者だな?」
「左様です」
「では、ここに入る権限は君にはない」
そう来ると思ったよ。シレジア軍がオストマルク軍の駐屯地で好き勝手して良いなんて法律はない。
でも、俺には秘密兵器がある。
「この令状を見てください」
「……『調査許可令状』?」
「えぇ。外務大臣、司法大臣の許可済みです。という訳で、通して戴けますかフィーネさん、アンダさん」
調査許可令状。
外国人の俺でも一定の期間、地域で捜査権限が付与される悪魔の令状だ。司法大臣、外務大臣両者の同意があって初めて有効になる。
で、この調査許可令状だが、なにもベルクソン事件に限って捜査権が与えられているわけじゃない。
つまり俺がここで「高等警察局内にいるかもしれない賊を見つけるための捜査がしたい」と言えば、この調査許可令状が役に立つ。
でも先日は、帝国刑事法第11条第2項「国事犯に限っては内務省の調査が優先」という法を盾に使われてしまった。外国人の立場では、ここが限界だった。
だが、今は「有事」である。駐屯地内における高等警察局の権限は、一時的に軍に移動している。
だから俺は聞いたのだ。軍人であるフィーネさんと、軍人のふりをしているアンダさんに許可を求めた。
当然、答えは決まっていた。
「わかりました。ユゼフ・ワレサ次席補佐官の同行を許可します」
「なっ……! いや、しかし!」
フィーネさんの許可は得られたので俺はズケズケと局内に入る。法的には何の問題はないのだ。え? 放火? 何のことだ?
俺の放火の件は差し置いておくとして、今回のケースはかなり特殊だ。調査許可令状を持った外交官が有事の際に高等警察局内を調査できるかどうか、なんて規定は帝国法にはない。当たり前だ。何を想定した法律だよそれ。
これに対してマニンさんは抗議をするが、法の根拠がない以上強制的に止めることはできない。止めたいのであれば裁判所に行って判断を仰ぐくらいしかないが、時間はないだろう。
という訳で俺らは、堂々と高等警察局内の調査に乗り出した。




