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大陸英雄戦記  作者: 悪一
春の目覚め
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朗報

 5月21日までの今戦争の戦死傷者及び戦闘中行方不明(MIA)者数の合計は、シレジア王国軍が約3万5000名、帝国軍のそれは捕虜となった者を含めて約22万3800名に達していた。


 単純な戦闘不能者の比較で言えばシレジア王国軍が圧勝していると言っても良い。だが戦略的視野から見るとそうとも言えない。

 帝国軍は未だアテニ湖水地方に22個師団、予備兵力5個師団、そしてさらに帝国本土には360個師団が存在している。一方の王国軍は、残余17個師団がほぼ全兵力であり、余力はほとんどない。もしも帝国がさらなる動員をかければ、王国軍は瓦解するだろう。


 さらに言えば、補給の問題もある。

 前述の保有軍隊の数を見るまでもなく、東大陸帝国とシレジア王国では国力の差があり過ぎる。国力の差とはそれ即ち兵站の差であり、損害からの回復力もまた著しい差があった。


 この差を埋めるためにも、帝国軍が橋頭堡としているタルタク砦を奪還し、帝国軍を孤立させることが最善であると前線司令部内の作戦会議において結論付けられた。



 5月25日、王国軍は7個師団によるタルタク砦奪還作戦を発動したが、この作戦はほどなくして失敗した。

 第二次ガトネ=ドルギエ会戦において、王国軍7個師団は帝国軍12個師団の強固な防御陣を突き崩すことができず、結局3時間の戦闘で4000の損害を出して退却した。


 だが帝国軍の方でも攻め手を欠いていた。彼我の戦力差が未だ帝国軍有利であるとはいえ、戦線各所の王国軍の防御陣は容易に突き崩せるものではなかったのである。

 結局、またしても小規模な戦いと睨み合いに終始することになった。帝国はその数と補給の差を生かして持久戦に挑み、シレジア王国の経済が疲弊したところで有利な講和を結ぼうと考えたのである。


 消耗戦、長期戦となれば、王国軍の不利は免れない。

 この不利を覆すためには、戦略的、政治的な勝利を得るしかない。



 もしこの状況下でシレジアが講和に持ち込めたとしても、総兵力に劣り、そしてなおかつ帝国軍をシレジア王国領から追い出すということが出来なければ不利な講和になるのは自明の理だった。割譲される領土は少なくて済むかもしれないが、戦後賠償金の額は膨大なものとなるであろう。


 だが、戦力が未だある中で講和をしなければならないのも確かである。

 戦力がなくなってしまってから講和に持ち込んだとしても、それは完全屈服の選択肢しか残されていない。ここで敗北を認め、領土割譲と賠償金で済むのであればまだマシであると言える。

 それに帝国に対してここまで善戦して、かつその程度の条件で講和に持ち込めたのならば、それは非難される所以はない。むしろ後世の人たちは「シレジア王国は善戦した」と好意的に評価するだろう。


 エミリア王女はそう考えていたが、彼女は負けることを受容できずにいた。

 それは単に王女が負けず嫌いな性格だったからでもあるが、遠き異国の地で1人奮闘して、外交的な援護をしてくれる友人(ユゼフ)の存在が大きかった。



「エミリア殿下、考えるのも良いですが、たまには休まないとダメですよ」


 気づけば、エミリアの目の前には彼女の侍従武官がいた。数時間にわたって考え事をしていたエミリアは、この来訪者の存在に気付かなかった。ふと窓の外を見てみれば、すでに日は沈みかけていた。

 エミリアは、マヤが持ってきた軽食と飲み物を口にしつつ、自分の考えを彼女に話した。


「マヤ。この戦争、勝てるでしょうか?」


 エミリアの表情は珍しく自信がないように見えた。少なくとも、マヤにはそう見えた。

 彼女は語った。王国軍が戦略的不利を未だに覆せないでいること、それを戦術的勝利で何とか持ちこたえていると言うこと。このまま講和に持ち込めば、その講和が降伏条約となるのは目に見えていると言うこと。

 エミリア王女は全てマヤに語った。

 自信無さげに、そして少し寂しげに彼女は語った。


「勝てると思いますよ。私は」


 マヤは、いつも通り自信満々の態度でそう答えた。その言葉を放つ彼女の口ぶりと表情に一点の曇りもなく、これが嘘偽りのない発言だということを証明していた。


「……だと良いのですが」

「エミリア殿下にしては、えらく消極的ですね」

「そうならざるを得ません。今のシレジアは加速度的に状況が悪くなっているのですから」

「確かにそうかもしれませんが、ですが戦術的な勝利は積み重ねています。それが戦略的敗北を覆すことも可能なのでは?」

「このままずっと戦い続けることが出来れば、あるいはそれは可能でしょう。ですが、その前に王国は滅亡しますよ」


 エミリアは、自信を持った口調で「滅亡する」と言った。勝つことに対して自信はなく、負けることについては自信があったということである。

 それを聞いたマヤは、少し驚いた。開戦前、あれほど自信に満ちて作戦を立案し、王都を駆け回った者と同一人物だとは思えなかったのである。


「理由をお聞きしても?」

「……先ほど言ったことが主な理由ではありますが、もう1つ看過できないことがあります」

「それは?」

「……周辺国の動向です」


 シレジア王国は、今回の戦争に対して非公式な外交ルートからリヴォニア貴族連合、カールスバート共和国双方に「この戦争に介入するな」と通告した。だがそれはあくまで非公式であり、なおかつ「3ヶ月」という期限付きのものだった。

 すでに開戦してから2ヶ月。つまり残り1ヶ月で戦略的な勝利を掴み取らなければ、この戦争は「第三次シレジア分割戦争」と命名されることになる。


「なら、心配はいりませんよ」

「?」

「外交的な問題は、むしろ好転しているのですから」


 エミリアは、マヤの言うことを理解できなかった。どうしてこの状況で、外交的な好転が起きたのか。戦略的な面で言えば、負けと言ってもいいのに。

 エミリアはマヤに真意を聞こうとしたが、その前にマヤは行動した。彼女は懐から一通の手紙を出すと、主君に渡しながらこう伝えた。


「オストマルクのユゼフくんからの早馬の手紙です。御一読ください」

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