ザレシエ会戦 ‐会敵‐
4月1日午前10時。
東大陸帝国シレジア討伐軍総司令官ロコソフスキ元帥が直接指揮する軍団は、シレジア王国東部国境中南部にあるザレシエ平原においてシレジア王国軍と会敵した。
「前方に敵影! 推定4個師団が展開しています!」
「うむ。やはりここか」
ロコソフスキ元帥は偵察部隊からの報告に対して満足そうに言った。彼はシレジア王国軍がこの方面で展開するのであればおそらくここに布陣するはずだと予想していた。その予測が命中し、彼は満足していた。
ロコソフスキ軍団は10個師団、将兵約10万3000人の大部隊である。対して敵は4個師団。
多少の起伏がある以外は特に何もないこの平原、10対4であれば負けるはずがない。適当な場所に本陣を置いた彼はそう判断すると、迷いなく部下に命令する。
「攻撃開始。第一陣の歩兵隊を突入。両翼の魔術、弓兵各隊は第一陣を援護せよ」
「ハッ!」
彼の命令はひどく簡素だった。
魔術兵の上級魔術と弓兵による遠距離攻撃を行いつつ第一陣の歩兵隊の前進をさせる。創造性のかけらもないごく普通の、教科書通りの戦端の開き方をした。兵力差が2倍もあるため、奇策などと言うものはない。ただ兵力差に任せて押していけば敵は短期間に瓦解するだろう。そういう意図からの命令だった。
ロコソフスキの指令は信号弾や伝令の馬によって前線に送られる。1分もしない内に第一陣の歩兵隊は整然と前進を始め、魔術兵は詠唱を開始した。
さらにその数分後、敵味方の部隊上空にいくつも魔術発動光が出現した。上級魔術発動時に起きる特有の発光現象が、開戦の合図である。
「閣下。魔術兵隊攻撃準備完了です」
「……私の合図で信号弾を撃ち一斉攻撃、その後は任意攻撃せよ」
「ハッ。信号弾準備!」
ロコソフスキは丘から時機を図っていた。
味方の歩兵を巻き込まないギリギリの距離で魔術を発動させ、そして敵が体勢を立て直す前に歩兵を突入させる。そうすれば味方の被害を少なくしたまま敵の先鋒を撃破できる。数分に1発しか撃てず、射程も長いとは言えない上級魔術は、最初の1発が肝心である。
だが、彼は魔術斉射の命令を発する事はできなかった。
「閣下、敵の前衛が突進してきます!」
「何?」
ロコソフスキが戦場を見やると、確かにそこには帝国軍正面の第一陣に猛烈に接近する王国軍の前衛部隊の姿があった。彼らは槍を構え、雄叫びをあげながら突進してくる。
同時に、王国軍の上級魔術が発動した。魔術によって発生した火の塊は帝国軍第一陣の後方で炸裂し、第一陣は一時的に混乱に陥った。
ロコソフスキは事態を冷静に把握した。「愚策である」と。
「どうやら叛乱軍は数の不利を覆そうと一気に乱戦に持ち込もうとしているのだろう。その手に乗るものか。第一陣は防御に徹し、両翼を前進。そのまま敵の前衛を半包囲するのだ!」
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ザレシエ平原において帝国軍と相対する王国軍4個師団を指揮するのは、王国軍総司令官ジミー・キシール元帥が直接指揮する軍団である。そしてキシール元帥の傍らには、彼の幕僚の他に王国軍総合作戦本部から派遣されてきた高等参事官エミリア・シレジア少佐の姿もあった。
彼女の本来の身分を知る者、つまり王国軍の高級士官と彼女の副官からは最前線に立つことを止められた。だが彼女はその意見を一蹴し、あまつさえ最前線の歩兵隊に入って戦うとまで言ってのけた。さすがにその提案はより多くの者から制止され、彼女自身も自重をしたため実現しなかった。しかしそれでも齢15にして第一王女である彼女が、その身分に似合わぬ危険地帯にいるのは確かである。
「元帥閣下、敵の両翼、推定各1個師団が前進しています。おそらく我が軍の前衛を半包囲するつもりなのでしょう。後退させた方がよろしいかと」
総参謀長ウィロボルスキ大将はキシール元帥に進言する。
王国軍キシール軍団の編成は前衛1個師団、両翼に1個師団ずつ、そして本陣には司令部直属1個師団という、王国軍にしては大規模な編成である。しかしそれでも帝国軍の三分の一しかない。帝国軍はその数の有利を生かし、積極的に包囲殲滅戦を仕掛けてきていた。
「……高等参事官の意見は?」
元帥が傍らにいたエミリアに意見を求めた時、参謀長は眉を顰めた。正式には幕僚ではない、階級もかなり下で、そして王族という立場を鬱陶しく思っていたとしても仕方ない。
エミリアはゆっくりと、そして毅然と元帥に向き合い、端的に自分の意見を言った。
「参謀長閣下と同意見です」
彼女が軍隊と言う組織にいる以上、少佐らしく敬語を使った。だがその態度も一部の高級士官の反感を買っていた。と言うより、彼女がこの場にいる時点で腹が立っていた。キシールの手前そのことを大っぴらにしないが、彼らの表情はあからさまだった。
2人の意見を聞いたキシールは、前衛部隊の後退を命じた。同時に左右両翼に半包囲を試みる敵両翼を阻止せよと命令した。
その王国軍の前衛部隊に、第21剣兵小隊を率いている女性士官マヤ・クラクフスカがいた。
彼女は本来、第一王女の侍従武官である。だからこそマヤはエミリアと共に司令部にあり彼女を補佐しようとしたのだが、
「ただでさえ兵が少ないのに、マヤのような有能な人間を司令部に閉じ込めておくわけにはいきません。大変でしょうが、前線に出てもらえないでしょうか?」
主君に「有能だ」と評価され、かつ今回の会戦で重要な役割を果たす前衛部隊に配置されたマヤは歓喜したという。彼女は興奮したまま前線に躍り出て、帝国軍の猛撃を軽くあしらっていた。
一方、彼女が指揮する剣兵隊員の心境は複雑だった。
「……急に転属してきた隊長、なんか変じゃないか?」
「聞けば由緒ある貴族の令嬢で、しかも国王陛下からの覚えもめでたい人だと言うじゃないか」
「顔も胸も申し分ない。そんな奴が前線で暴れ回ってやがる……」
「俺ら、あんな人について行かなきゃいけないのか?」
マヤ・クラクフスカ、御年23歳。男受けは戦場でも悪いようである。
彼女の男問題はともかく、彼女が率いる剣兵隊は武勲を上げ続けている。
剣兵の最大の見せ場は乱戦にある。槍兵による槍の防御、さらには初級・中級魔術の応酬の最中、敵防御陣の一瞬の隙をついて剣兵が乱入し、敵槍兵隊の後方で荒れ狂う。後方を荒らされた敵槍兵は浮足立ち、隙を見せる。そこで味方槍兵が攻勢をかけ敵に出血を率いる。
マヤはその敵の防御の隙間を確実に見極める戦術眼を持ち、そして敵中で暴れまくってそして無傷で帰るだけの剣技を持ち合わせていた。彼女の狂戦士ぶりに敵は畏怖し、味方の士気は高揚した。
そしてマヤの活躍もさることながら、王国軍の前衛部隊を率いる将軍の指示も的確だった。
王国軍前衛部隊1個師団を率いるのは、先のラスキノ独立戦争において少数の兵力で以って1ヶ月間帝国軍の攻勢を凌ぎ切り、終戦後その武勲により昇進したマリアン・シュミット少将である。その防御指揮の高さが総合作戦本部の目に留まり、今回の作戦において最も忍耐力を必要とするこの前衛部隊の指揮官に任命されたのである。
シュミットは敵前衛部隊3個師団が両翼を伸ばして半包囲下に置こうとする瞬間を見逃さず、先手を打ってその動きを牽制した。具体的には弓兵を走らせ、敵が展開しようとする地点に向かって矢による集中攻撃を加えた。さらには直属の騎兵隊を使って突出した敵両翼の外側に出る、と見せかけた嫌がらせも行った。これによって帝国軍前衛部隊は思うように攻勢に出れなかった。
しかし、帝国軍の両翼及び前衛部隊の総数は5個師団。対する王国軍のそれは3個師団、本営含めて4個師団であり数の上では劣っている。このまま戦い続ければ数で劣る王国軍の崩壊は時間の問題だった。実際王国軍はジリジリと西に後退しており、それを逃がさんと帝国軍前衛及び両翼は猛追している。
帝国軍の前線指揮官は、開戦前のロコソフスキの演説を真に受け武勲を独占しようと攻勢をかけ続けた。敵に突進し損害を与え続け、そのおかげでついには王国軍の本営に手が届きそうなほど近づくに至ったのだ。
一方その頃、帝国軍総司令官ロコソフスキ元帥は暇そうに欠伸をした。
会戦の決着は着いたも同然。後はどうやって部下の手柄を横取りし自分のものとするか、彼の頭の中はそれでいっぱいだったのだ。
だがその余裕は、彼の幕僚の報告によって掻き消えることになる。
「閣下、大変です!」




