現世の沙汰も金次第
大使館内でダムロッシュ少佐に制止させられ危うく禁足を命じられるところだった。しかし俺は巧みな話術によりそれを躱し愛しのベドナレク准尉、もといフィーネ・フォン・リンツ伯爵令嬢と出会ったのだ! ということを半分脚色、半分誇張してフィーネさんに自慢してみたのだが、
「……あ、申し訳ありません。全然聞く気がありませんでした」
知ってた。
2月28日午後0時。昼時の飲食店というのはどの世界でも、どの国でも混雑するものである。
で、ここは弁務官府近くの喫茶店でも貧民街付近の大衆食堂でもない。中心市街にある中間層向け飲食店だ。ああいうことがあったので場所を変えてみたのだが、たぶん殆ど意味はないだろうね。今日は追跡者はいないし、フィーネさんの随員(と俺の財布事情)が苦労するだけだ。もうちょっと安い店探そう……。
「でもアドバイスありがとうございます。今度からは男性名に……そうですね、アルベルト・ジューレックとかにしておきます」
「……まぁ、使う機会があればの話ですけどね」
ダムロッシュ少佐にはフィーナさんと俺が会って情報交換してることは知られてるし、今更誤魔化して名前を変えたところでどうしようもないだろう。
ちなみにジューレックとはシレジアの郷土料理である。ちょっと酸っぱいスープで、前世日本における味噌汁的なポジションに居座っているメジャーな料理だ。てかシレジアの料理ってみんな酸っぱい気がするな。実際はそんなことないんだけど、感覚的に多い気がする。
「それで、今日は一体どのようなご用件で?」
「あぁ、はい。ちょっと待ってください。もう1人来るので」
「もう1人?」
「えぇ……あぁ、来ましたよ。彼女です」
フィーネさんは入口の方を見やった。そこには、今オストマルク帝国で最も調子が良い会社の社長令嬢がいる。
「初めまして。リゼル・エリザーベト・フォン・グリルパルツァーと申します。以後お見知りおきを」
相変わらず気品溢れる、ザ・富裕層のオーラを出しているリゼルさん。中間所得層が利用するレストランにすごく似つかわしくない。でも高級レストラン行けるだけの財力がないんや……みんな貧乏が悪いんや……。
ちなみにリゼルさんは1人じゃなかった。リゼルさんの後ろには黒服の恰幅のいいオッサンが2人ピッタリとくっついてる。2人ともプロレスラーみたいな体つきをしていたが、1人は女性物の革の鞄を持っていた。なにそれ、そういう趣味なの?
「……リンツ伯爵の娘、フィーネ・フォン・リンツです」
なぜかフィーネさんの警戒レベルが1上がった気がする。いや上げないでくださいよ。味方だよ今の所は。
「貴族の御令嬢方にとっては粗末な店で申し訳ありません。ですが私の器量ではこれが精一杯でして……」
「大丈夫ですよ。私も噂のリンツ伯爵令嬢に会ってみたかったので」
あの、フィーネさんこっち見ないでください。あと若干目のツリ具合がきつくなった気がするよ。私はフィーネさんの陰口とかしてないからさ。
「それで、グリルパルツァー男爵家の娘さんを御呼びになって、今日は一体何の用なんですか大尉」
「え、あの、いや、情報交換をですね、その……」
怖い。なんか彼女の発する言葉ひとつひとつに陰惨な怒気が混じってる気がする。フィーネさんはサラみたいな即効性の毒の吐き方じゃなくて、毒キノコみたいにジワジワと体の内部を破壊する毒を吐くのだ。
コホン。落着け俺。いくらフィーネさんがダムロッシュ少佐より恐ろしいと今更分かったところでどうしようもない。ここは年上アンド階級上として漢らしくビシッと……。
「……」
あの、そんな蛇みたいに睨まないで。蛙になっちゃうから、身動き取れなくなっちゃうから。
フィーネさんの石化魔法を一身に浴びた俺はとうとう口以外を動かせなくなってしまった。仕方ないので口を一生懸命動かして解呪を試みる。頑張れ俺。
「えー、本日リゼルさんを呼んだのは3人で情報交換するためです。まずはこれを御二方に御見せいたします。あ、それは後で返してくださいね」
俺はそう言って懐から、エミリア王女が考え抜いて、そしてシレジア王国総合作戦本部が採択した帝国軍の迎撃作戦案だ。
彼女らの反応は薄い。当たり前だがリゼルさんは軍人ではないし、フィーネさんも用兵は疎い人だ。
「……私は用兵というものはわからないのですが」
「私もです」
「分からなくてもいいですよ。ただ『シレジア王国は迎撃作戦案をちゃんと用意している』と言いたかったのです。それは、その証拠です」
口だけではどうとでも言える。だからこうして作戦案を見せたのだ。当然軍事機密の漏洩に当たるから、もしばれたらクビだね。今はこの2人を信頼して見せてる。と言っても長々と見せるわけにはいかないからすぐに返却を要求する。
「それで、この作戦が実行に移されたとしてシレジア王国の勝率は如何なものになりますか?」
リゼルさんは俺に作戦説明書を返却しながら言った。つまり彼女は「我が商会が投資した分はちゃんと回収できますよね?」と言っているのだ。安心してください。損はさせませんよ。
「勝率は今のところ半々と言ったところですね」
「……そうですか」
さすがに商会の命運を懸けた商談だから半々じゃ納得しないよな。でも嘘は吐けない。今後ともグリルパルツァー商会とは長い付き合いにしたいしね。
さて、どうやって説得するか。そう思ってたところ、フィーネさんが得心がいったかのように静かに頷いた。
「なるほど。そう言うことですか」
彼女は小さな声で、でもハッキリ俺らに聞こえる澄んだ声でそう言った。何が分かったんだ?
「グリルパルツァー男爵令嬢。この投資、受けねば損ですよ」
「というと?」
「我がオストマルク帝国外務省は、彼の国に対して協力することを既に決定しています」
「ほう」
なんかフィーネさんが商談を引き継いだ。口ぶりだけだと「オストマルクは直接の軍事協力をするよ」って言ってるように聞こえるが実際はそうじゃない。今は情報を共有しているだけだ。でも、軍事の専門家ではないリゼルさんにはこういうのはわからないだろう。
「つまり、シレジアが勝つ公算が高くなると?」
「いいえ。このままでは勝率は五分のままでしょう」
兵員を送ってくれるわけでも共闘してくれるわけでもないからね。
「でも、グリルパルツァー商会が受ける損害が小さくなるのです」
え? そうなの?
「……どういうことでしょうか、リンツ様」
「オストマルクとシレジアが手を結ぶと分かった途端、おそらく東大陸帝国皇帝派は瓦解します。シレジア王国を滅ぼして自らの権勢を確固たるものにせんとする皇帝派にとって、オストマルク帝国というシレジアより巨大な国家を敵に回したとあっては国内の反発を招くことは必至です。小国のために大国の怒りを買ったのですから」
「さすれば皇太大甥派の発言力が強まる、と?」
「はい。もしそうなればグリルパルツァー商会の情報のやり取りが問題視されることはないでしょう。他国の商会を気にしてる暇などないのですから」
なるほど。やっとわかったわ。
シレジア王国が勝つことが、グリルパルツァー商会にとっては最善手だ。
ではグリルパルツァー商会にとっての最悪手は何か。それはシレジアが滅び、東大陸帝国がグリルパルツァー商会を市場から追い出すことだ。
でも、オストマルクとシレジアは協力関係にある。こういう状況でシレジアを滅ぼしたとしても東大陸帝国はオストマルク帝国という大国を敵に回す。下手を打てばリヴォニアやキリス第二帝国も一緒になって楯突くかもしれない。そうなれば、ただでさえ足場が弱い皇帝は責任問題を免れることはできない。第一次東大陸帝国分割戦争なんて御免だろう。すると情報を売り買いしていた親オストマルクとも言える皇太大甥派の権勢が復活する。結果的にグリルパルツァー商会が被る損害は最初の、情報収集にかけたお金だけになり、東大陸帝国から追い出される心配はない。
そしてシレジアが勝てば何も問題ない。東大陸帝国の市場から追い出される大義名分はないし、シレジア王国の王室にコネが作れる。さらにはオストマルク帝国政府に協力したとして何かしら有利な動きがあるかもしれない。
まさにグリルパルツァー商会にとってローリスク・ハイリターンな商談だ。一番の損害を受けるのはシレジアと東大陸帝国になりそうだな。漁夫の利できる国って羨ましいね。
「……」
リゼルさんはフィーネさんの言葉を噛み締め、脳内で吟味している。果たしてこの話が本当なのか、本当だとして乗るべきなのか、そう考えているのだろう。
じゃ、俺はあと一押しをしよう。
「もしここでこの商談に乗り、グリルパルツァー商会が情報収集に全力を挙げ、そして東大陸帝国軍の具体的な配置状況、編成を知ることが出来ればシレジア王国の勝算は非常に高くなります」
たぶん八割勝てる。少なくとも八割は負けない。つまり、八割方投資回収できる商談と言うわけだ。俺に金があったらじゃんじゃん投資するね。
リゼルさんはプラチナブロンドの髪をやや大袈裟に振ると、毅然とした顔つきで俺を見、そして言い放った。
「わかりました。その商談、乗りましょう」
取引が成立した瞬間、リゼルさんは護衛の1人に何かを指示した。指示を受けた護衛は持参していた鞄の中からひとつの書類を出した。なんだろうか。契約書か? そう思って渡された書類を見てみると違った。中身は細かな名簿、それに地図。地図はシレジア東部国境周辺図だ。それに駒のように配置されている記号、そして矢印。もしかしてこれって……?
「ワレサ大尉。それが東大陸帝国シレジア討伐軍の詳細な配置状況、及び作戦概要です」
金の力、恐るべし。




