証拠より論
フィーネさんのことをダムロッシュ少佐から言及された時、俺にしては割と無表情貫けたと思う。頑張って練習した甲斐があると言うものだ。褒めてほしいくらいだ。
で、問題は俺の表情の問題じゃない。少佐がフィーネさんのことをどこまで知ってるかが問題だ。
「……なんのことかわかりません」
とりあえずすっとぼけてみる。少佐がどこまで知ってるか知りたい。
「フィーナ・ベドナレクと言う女性士官を知っているな? 知らないとは言わせないぞ」
知ってる。人生初の恋文は30回くらい読んだ。
フォン・リンツの姓ではなく、ベドナレクと言う無名の架空女性士官の名を少佐は口にした。つまり少佐は灰かぶりの少女がフィーナ・ベドナレクだと知っていても、それがオストマルク帝国外務省調査局長の娘だとは知らないということだ。つい最近まで無名だったリンツ伯爵、その末っ子、さらには士官学校に入ってて貴族の饗宴会に出席しなかったフィーネ・フォン・リンツなる者を、少佐が知る機会はなかったはずだ。名前を知っていても顔は知らないだろうし、似顔絵や写真があるわけでもなし。そして灰かぶりの少女の本名も、やはり知るはずがない。
「知っていますよ。我が愛しの婚約者ですが」
フィーネさんこれ聞いたら絶対嫌うと思うね。自分でもどうかと思う。
「あぁそうだったな。そういう設定だったな。だが、軍務省の士官名簿の中に『フィーナ・ベドナレク』と言う女性士官はいなかったぞ」
調べたのかよ。首席補佐官って暇なの? いや、でも女性士官となれば数は少ないから調べようと思えば調べられるか。ふむ。今度フィーネさんに会ったら当たり障りのない男性名にして、且つ実在する士官の名前にした方が良いって教えてあげよう。もっとも、また会えるかどうか。
「君が、2月15日にこの灰かぶりの少女と会っていたことはわかっている。何を話していたんだ?」
少佐は外濠を埋めてから尋問して、彼女が何者かを聞き出そうとしている。会話の内容を悟られないようだ。もしかしたらあのフィーネさんの随員のことは知らないかもしれない。というか少佐の口ぶりからすると12月10日の事は知らないようだ。追跡者の記憶力が悪いのか、それとも隠しているのか。いや、ここで隠す理由はないか。
俺はどうすべきかな。まさか大公派である首席補佐官相手にバカ正直に「いやぁ彼女はフィーネ・フォン・リンツって言うんですよ! オストマルクとの同盟考えてました!」なんて言えない。大公派が何をしたいのか分からない以上、こちらが何をして何処を目指しているのかをベラベラ喋るわけにはいかない。
外務大臣の件は俺の「提案」について具体的に言ってない。ただ「協力を要請した」としか話してないし、それに相手が快諾したとは伝えていない。外務大臣に会って外交官として話せただけってことになってる。
てかそもそも少佐は俺の事どう思ってるんだろうか? シレジア王国の内情を敵国に流した売国奴だと思っているのか、それとも単に大公の政敵である王女の親友としか認識していないのか。
「何か言いたまえ、大尉」
「少佐にこの件に対してその『何か』言う必要性を見出せません」
「何?」
「私は、シレジアの為に情報を集めていただけです。そしてその情報収集についても、シレジアやオストマルクの法律、及び王国軍の軍紀に何ら反した行為をしたわけではありません」
嘘じゃないよー本当だよー。
フィーナ・ベドナレクという身分を詐称をしたのは俺じゃない。それに俺は情報を貰うことが多くて、軍機に触れるような機密性の高い情報は渡してない。と言うより王国軍が今やっと動き出せた状態で軍機も何もない。俺が渡した情報は、いずれも詳しく調べれば例え農民の身分であってもわかるような公開されたもの、もしくは個人的なものだ。貸し借りで言えば借金の方がはるかに多い。
「では、言い方を変えよう。何ら軍紀に違反した行為をしていないのであれば、彼女が何者かを言い貴官の冤罪を晴らしたまえ」
冤罪、と言ったか。要は「言わなきゃ軍事機密漏洩の罪で軍法会議にかけるぞ」って言ってるのかな。
「彼女は……フィーナ・ベドナレクです」
「嘘を言うな!」
「いえ、間違いなくフィーナ・ベドナレクです。彼女はかつて我が国がオストマルク帝国に割譲した旧シレジア領出身のシレジア人です」
後半部分は完全に嘘だ。ベドナレクを名乗っていたのは確かだけど、旧シレジア領出身じゃない。伯爵家の人間だ。
「ではなぜ、そのベドナレクという者は我が軍の士官を名乗ったのだ。彼女と何をしていた」
「オストマルク帝国の治安当局の目を掻い潜るためです。彼女は私と協力して、この国の動きを監視していました」
「なぜ?」
「簡単です。今度の戦争に際し、オストマルクが反シレジア同盟を大義名分にして我が国に侵攻する意思があるかないかを見極めるために。彼女は、オストマルク中枢部と繋がりがあることは確認しています」
にしても酷い嘘だ。全部が全部嘘ってわけじゃないけどさ。
でも、これを少佐が確認できる術はない。旧シレジア領出身の女子なんてこのエスターブルクに何人住んでいることやら。帝国内務省に「フィーナ・ベドナレクなる者を探してる」と言えば、もしかしたら見つかるかもしれない。でももしフィーナ・ベドナレクが実在して、それをシレジア王国の駐在武官が探しているとわかれば、帝国はこのベドナレクをなんとかして捕まえようとするだろう。もし捕まったらそこからシレジア王国が情報収集をしていることがバレて帝国政府の怒りを買い、反シレジア同盟として参加する意思がなかったのに参戦する危険性をはらむ、ということになりかねないのだ。
だから少佐は、もしくはシレジア王国大使館は実在しているかもわからない旧シレジア領出身でエスターブルクに住む灰かぶりの少女を探さなくてはならない。まさに悪魔の証明。
「大尉は、どうやって彼女が帝国中枢部と繋がっていると分かったのだ?」
「はい。グリルパルツァー商会に、私が出向いたことは知っていますね?」
あの時は追跡者を振り切る余裕はなかったし、フィーネさんはいなかった。よかった、一人で行って。おかげで嘘がつきやすい。
「そうだな。確か、貴官の士官学校時代の友人がグリルパルツァー商会の社長令嬢と婚約していたと聞いている」
「えぇ。その伝手を使って会いに行きました」
あの封筒の検閲印を押していたのは少佐だったのか。となれば、あのときにはフィーナ・ベドナレクが架空の人物で、俺が何かをしていると気づいたわけだ。だから俺に来る手紙を、少佐自身の手で検閲したと。うん、都合が良いな。
「単なる雑談のつもりで行ったのですが、私はこの伝手を有効に使えないかと考えたのです」
「というと?」
「グリルパルツァー商会は貿易業を営んでいる。貿易業は自国に平和な時代が続くからこそ儲かる商売です。であれば、オストマルクが戦禍に巻き込まれる可能性がある今度の戦争、止めるために協力してほしいと願い出たのです」
これも嘘だ。けど、3割くらいは本当だ。
戦争によって第三国の企業には特需が生まれる。だが自国が巻き込まれれば話は別で、自社の労働者が徴兵されて生産力が落ちたり、自社が持っている資源を国家総動員令の名の下に徴発される可能性もある。無論補償金が出るだろうけど、でも機会損失がどの程度になるかは不明だ。
企業が健全に発展するためには平和な方が良い。事業計画も立てやすい。戦争特需なんて、下手すりゃ終戦時に在庫が溢れて財務を逼迫させるかもしれんしな。
「そして紹介されたのが、フィーナ・ベドナレクという女性です」
脚本はこうだ。
グリルパルツァー商会がオストマルク帝国内部の情報を収集する。それをフィーナ・ベドナレクという仲介役を経由して俺に情報が渡される。またベドナレクは独自に帝国中枢部のパイプを持っていて、それを俺に対して渡してくれる。
「対価として、何を渡すつもりだね?」
「協力してくれた対価として、私はシレジア王国政府に外国からの投資の門戸を開放するよう訴えます。少佐の知っての通り、私にはそういうことを決められる知り合いがいるもので」
これは本当です。勝てば、という条件があるけど。
「……そうか」
さてさて、少佐はどこまで信じてくれるだろうか。一応筋は通ってるはず。でも何ら物証があるわけではない。半分が嘘だから証拠の出しようがないってのもある。でも少佐もこれを嘘か本当か確かめる術はないのだ。
少佐はどう判断すべきか悩んでいる。少佐に与えられた選択肢は3つ。1つは俺を信じて行動の自由を与える。2つ目は全く信じないで大使館内に拘禁する。3つ目は協力者を犠牲にする覚悟でオストマルク帝国に問い合わせる。俺としては1つ目の選択肢を選んでほしいね。2はダメ、3つ目はもっとダメだ。最悪フィーネさんに害が及ぶ。
さぁ言え、言うんだ! 俺に行動の自由をくれ! じゃないと物証もなしに禁足を命じた罪で軍法会議に告発するぞ! そんな罪あるか知らないけどね。
と、願いが通じたかどうかは知らないが、少佐は大きくため息を吐いた。
「……先ほどの命令は撤回する。存分に職務に励みたまえ」
「了解です!」
やったぜ。
……今度からもうちょっと気を付けて行動するか。




