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4.伝えたい想い(中編)


 ウィリアム、お願い。行かないで――そう思ってもどうすることもできなかった。


 痛くて――痛くて。手放しそうになる意識の中で、ウィリアムの背を見つめることしかできない。


 だが次の瞬間、力の抜けた私の左手から白粉の器がタイルに転がり落ち、カツンと小さく音を立てた。

 その音に釣られ、不意にこちらを振り向くウィリアム。――その顔が瞬く間に青く染まり……。



「アメリア⁉ いったいどうした……!」


 叫ぶようにそう言って、倒れかける私を抱き留めた。

 そんな彼の態度はまるで本当に私を心配してくれているようで、私はとても妙な気分に襲われた。


「すぐに医者を呼ぶ」

「…………」


 それはいつもの彼らしくない、消え入りそうな声で――。


 ――あぁ、いったいどうして? なんであなたがそんな顔をするの? どうしてそんなに傷ついた顔をするの?


 辛そうな顔で、私をベッドに運ぶウィリアム。

 彼は私の身体を下ろすと、「医者を呼んでくる」と繰り返し、私に背を向けようとした。


 けれど私はもう離さない。もう彼を、行かせない。


 私は痛みに耐えながら――ウィリアムのシャツを掴んで、引いた。


「――ッ⁉ どうした、なぜ止める?」


 困惑の色を浮かべるウィリアムに、私は必死の思いで唇を動かす。

 すると、彼は私の意思を読み取ってくれる。


「――行かないで……? そう言ったのか?」


 ――あぁ、良かった、伝わった。


 私は肯定の意を込め頷く。すると、なぜか悲しげに微笑む彼。


「俺は何一つしてあげられていないのに……それでも君は、俺を引き留めてくれるのか?」


 その言葉に、表情に、私はとても切なくなった。

 どうして彼がこんな顔をするのかわからなかった。

 それに、こんな顔をされたら……こんなことを言われたら、本当に愛されてるのかもって思ってしまう。


 ――ああ、でも、きっとこれはチャンスよ。今なら伝えられる。きっと、伝わる……。


 私は彼のシャツから手を放し、今度はネクタイへと手を伸ばした。

 そしてしっかりと掴むと、全力で引っ張った。


「――っ⁉」


 すると彼は当然バランスを崩し、私の身体に覆いかぶさる。彼の顔がすぐ目の前に迫り、私と視線が絡まった。


「何を……」


 ネクタイを掴まれたまま、私の顔を凝視するウィリアム。

 けれど私は答えずに、唇にそっと口づけた。



「――ッ」



 その不意打ちに、ウィリアムの瞳が大きく見開く。


 まさかこんなことをされるとは欠片も予想していなかったであろう彼は、私の唇が自分の唇に触れ――そしてそれが離れるまで、目を開いたまま茫然と固まっていた。


 ――それはほんの一秒程度の短い時間だった。触れるか触れないかの、まるで子供がするような口づけ。


 けれど、たったそれだけの行為にもかかわらず、ウィリアムの顔は真っ赤に染まった。まるで私のよく知るエリオットのように、耳まで赤くして……。



「……今……俺に……」



 ウィリアムは右腕で口元を隠すようにして、ベッドに横たわる私を見下ろす。その瞳に熱を帯びながら。


 今までならば、何かを誤魔化すように顔を逸らしていただろう彼の視線が離れない。


 私はそれが嬉しくて、再びウィリアムに手を伸ばす。

 すると彼は、私の手を優しく包み込んでくれる。その温かい手のひらに、私は今にも泣きそうになった。



 ――あぁ、ウィリアム。愛しているわ。私、本当にあなたを愛しているわ。


 どうしようもないくらい、痛いほどに、あなたのことを愛している。


 ――そう唇を動かすと、彼はやっぱり顔を赤くした。ごくりと喉を鳴らし、躊躇いがちに私を抱きしめる。

 まるで壊れ物を扱うみたいに、優しく私を抱きしめる。



「いいんだな? 君を愛してしまっても……本当にいいんだな?」



 私の耳元で囁く彼の声。許しを求めるような、切なげな声音。

 それは多分、私が聞く、初めての彼の本音だった。



 ――あぁ、ウィリアム……。



 涙が零れてくる。想いが溢れ出す。


 彼以外何もいらないと。これ以上の幸せなんて望まないと。

 この人の愛が手に入るなら、他の何もかもを捨ててしまえる。この人の心に私の存在を刻み付けられるなら、私は喜んでこの命を捧げるわ……。


 ――あぁ、この瞬間が永遠に続けばいいのに。ずっとこのままでいられたらいいのに。この腕に抱かれたまま――この人と生きていけたらいいのに……。



「……今まですまなかった。君を独りにして、本当に悪かった。アメリア……俺はとても弱い人間なんだ。誰よりも臆病で、誰よりも愚かな男なんだ」


 耳元で、ウィリアムの声が揺れる。


「俺には人を愛することはできないと思っていた。愛してはならないと諦めていた。心などとうの昔に捨てた気になっていた。――それなのに、君が俺の前に現れてからは胸がざわついて仕方なくて……君が俺に笑顔を向けるたび、苦しくなって……。俺はただ義務感で君を受け入れる振りをしただけなのに……」


 ――知ってるわ。私、あなたが私を愛していないこと、ちゃんと理解していた。それでもいいって思っていた。あなたの側にいられるなら、あなたの気持ちなんて構わないって。


「聞いてくれ、アメリア。俺は今まで君に酷いことをしていた。そのことについてはどんな責め句も受け入れる。だから、これからは俺が君を愛することを許してほしい。今さら都合のいいことを言うなと思うかもしれないが、やっと気付いたんだ。俺にとって、君がどれだけ大切な存在か」

「――ッ」


 私の背中に回された彼の腕に力が込められる。

 私を離さないように、縛り付けるように――。


「アメリア、君を愛している。……俺と、結婚してくれ」

「……っ」


 ――ああ、それはずっと望んでいた言葉。長きにわたり夢見ていた愛の証。


 だからなのか、涙が溢れて止まらない。彼の声が愛しくて、嬉しくて――同時にとても、苦しくて。


 気持ちが通じ合う、それが別れの合図だったと、どうしようもなく思い知らされて。

 でも……やっぱり……。


「……っ」


 ――ここに、いたい。


 ずっとこの人の傍にいたい。共に生きていきたい。千年前に叶えられなかった彼との約束を、今度こそ果たしたい。


 でもそれは決して許されないこと。絶対に望んではならないこと。

 だって彼の呪いが解けたら、私はルイスと共にここを離れなければならないのだから……。


 ああ。ならば私は今こそ私の全てをこの人に伝えよう。愛していると、あなたを心から慕っていると……少しでも私のことを、忘れないでいてもらうために……。


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