8.アメリアの秘密(前編)
それから少しの時間が経った。
その間、ライオネルは路地裏から身を出して、自分以外の騎士や兵士の姿を探していた。
けれど付近には騎士どころか人っ子一人現れる気配がない。
――どうしよう。本当なら仲間を呼びに行きたいところだけど、彼女をこの少年と二人きりで置いていくわけにもいかないし……。かと言って、彼女だけを連れてここを離れるというわけにも……。
今のライオネルには二つの任務が課せられていた。一つは、路地裏に迷い込んだ貴族令嬢――つまりアメリアを保護すること。そしてもう一つは、貴族令嬢の事件に関わった者を捕らえることだ。
彼は少し考えて、アメリアの方を振り向く。
こうなれば、アメリアには自分の足で歩いてもらうしかない。
「君、気分はどう? 僕はこの少年を背負うから、君は自分の足で歩いてもらえると……」
そう言いかけて、気が付いた。
さっきまで無かったはずの気配が近づいてくる。――二人分の足音だ。
ライオネルは再び路地から顔を出す。
すると、向こうから駆けてくる二つの人影。それは確かに見覚えのある二人だった。
「あれは……」
ライオネルは呟いて、けれどすぐに口を閉ざす。
自分の横に立つアメリアの表情が、一瞬のうちに変わったからだ。
ウィリアムの姿を見つけたアメリアの横顔が、さっきまでの彼女とまるで違っていることに気付いてしまったから――。
「――アメリア!」
ウィリアムの硬く緊張した、けれど同時に、深い安堵を秘めた声。
以前の彼とは明らかに違う、心に響くような声。――同時に走り出す、アメリアの姿。
「……あ」
アメリアはライオネルに見向きもせず、その横を駆け抜ける。
彼女の背中が遠ざかる。――その数秒後には、しっかりとお互いを抱きしめ合う、アメリアとウィリアム。
それは傍から見れば当然の光景で。何の疑いようもない景色で。
けれどどういうわけか、ライオネルは目の前の光景に酷い違和感を覚えた。
「…………」
――何だろう、変な気分だ。
ウィリアムに抱きしめられるアメリア。――それを見ていると、何かが喉からせり上がってくるような、妙な感覚に襲われる。
安堵と心配の入り混じった表情でアメリアを見下ろすウィリアムも、そんな彼を安心させようと精一杯に微笑むアメリアも、ひとかけらの違和感もない、微笑ましい光景であるはずなのに……どうして……。
ライオネルは、自身の中に込み上げる得体の知れない感情に顔をしかめた。
胸の辺りがチクチクして、息をするのも苦しくなる。
――僕はいったいどうしたんだ……? アメリアの笑顔を見るのが辛いだなんて、どうかしている。
生まれて初めての感情に、彼はその場に立ち尽くす。――そのときだ。
「――ライオネル様」
唐突に名前を呼ばれ、彼はハッと我に返った。
声のした方を振り向くと、ルイスが自分を見つめていた。
「……ルイス」
「ご無沙汰しております、ライオネル様。マクリーンの名を聞いたときはまさかと思いましたが、やはり貴方様だったのですね」
「あ……ああ、――うん」
「一度ならず二度までもアメリア様をお助けいただき、何とお礼を申せばいいか――」
「いや……お礼なんて……。今回のは……仕事ですから……」
――そうだ。これは仕事だ。相手が知人だったからこんな変な気持ちになるのだ。きっと、ただそれだけだ。
ライオネルはそう思い込もうとする。
彼はウィリアムの前に進み出た。
そして目礼する。アメリアの肩を抱きしめるウィリアムに――まるで、そう――初対面の相手にするような態度で。
すると、ニコリと笑顔を返すウィリアム。
「礼を言おう。私が目を離したばかりに、彼女を危険な目に合わせるところだった。君が彼女を見つけてくれて本当に助かった」
その言葉が本心なのか、ライオネルにはわからなかった。
けれどウィリアムがアメリアを見つめる視線には、以前と比べ物にならないほどの愛情を感じられる。
しかしそれでも、ウィリアムという男を信用できないことは変わらない事実だ。――それに。
――目を離したばっかりに……だって?
ライオネルはウィリアムの言葉に強い葛藤を感じていた。
アメリアは決して無事ではなかった、自分は間に合わなかったのだ。
だが、そもそもウィリアムがアメリアから目を離していなければ、彼女はあのような酷い目に合わずとも済んだはずだったのか――そう思うと、怒りに我を忘れてしまいそうになる。
それがただの八つ当たりだということは理解していても。悪いのはアメリアの首を絞めていたあの男なのだとわかっていても――。
「……っ」
できることなら口にしてしまいたい。どうしてほんの一瞬でも彼女から目を離したのかと。どうしてその手をしっかりと掴んでおかなかったのか、と。
何も知らずにお気楽に微笑むその顔を、ぶん殴って責め立ててやりたくなる。彼女は――アメリアの味わった痛みは、こんなものじゃなかったんだぞ、と――。
けれどライオネルは、自分の中に湧き上がるその葛藤を必死の思いで押さえつけた。
なぜなら、彼はアメリアと約束したからだ。アメリアがその身に受けた被害について、誰にも口外しないと。特にウィリアムには、気付かれないようにしなければならないのだと。
だからライオネルは、顔に笑みを張り付ける。
「そのようなお言葉、僕にはもったいないです」と――笑顔の裏に、沸々とした暗い想いをひた隠しにして。
「では、そろそろ参りましょうか。通りまでは僕が案内いたします」
ライオネルは、気を失ったニックを背負い三人の先頭を歩き出す。一刻も早くこの場を立ち去りたい一心だった。
――ああ、僕ってこんなに嫌な奴だったんだな……。
ウィリアムに背を向けた瞬間、剥がれ落ちた自分の笑顔。嫌でも聞こえてくる、アメリアへ向けられたウィリアムの優しい声。
それは耳を塞いでしまいたくなるほどの、強い嫌悪感――。
――この気持ちはいったい何だ……? どうして僕は、こんなにイライラしているんだ。
その感情の正体に思い当たらず、彼は独り顔をしかめる。
するとそのとき、再びルイスに話しかけられた。
「ライオネル様」
「……何だい?」
「お尋ねしたいことが」
「……?」
ライオネルは不思議に思った。ルイスの声が、内緒話でもするかのような大きさだったからだ。
いったい何を聞かれるのかと、彼は無意識に警戒心を募らせる。
だがその警戒心は、すぐに困惑に変わった。
「貴方はご存じですか? 今回の指揮を執っているのが、殿下であると」
「――え? 殿下……?」
ライオネルは、あまりにも突然の内容に思わず足を止めそうになる。
「ウィリアム様が、コンラッド卿から直接そうお聞きになったと。――ですがそのご様子だと、やはりご存じないのですね」
「え――、待って。全然話がわからないんだけど……」
この国で殿下と呼ばれる者はアーサーただ一人だ。
つまりルイスは、自分たちがここに派遣されたのはアーサーの意向だと言っていることになる。――が、ライオネルにはさっぱり話がわからなかった。
「僕はただ、事件に巻き込まれた貴族令嬢を捜索しろと上から命を受けただけだよ。そこに殿下の名前はない。そもそも、コンラッド卿は引退して領地に戻っているはずだろう?」
「私もそう思っていたのですが……ウィリアム様がアメリア様を追おうとしたところ、コンラッド卿率いる殿下の近衛騎士に阻まれた、と」
「まさかそんな……。近衛騎士って……そんなものを動かせるのは殿下ただお一人だ。でもどうしてそんなことに? 殿下はファルマス伯と親しかったはずだろう? それなのに、邪魔をするようなこと……」
「ですからこうしてお尋ねしているのです。そもそも、貴族令嬢一人探すためにあなたのような王室騎士団が動くこと自体が異例です。何か知っているなら、どんなことでもいいのです。お教えいただきたい」
「そう言われても……僕は騎士団の下っ端だ。上から命令されたとおりに動くだけで、それ以上は何も聞いていないよ。わかるだろう?」
「…………」
ライオネルの反応をうかがうように、しばらく沈黙するルイス。
その長い沈黙に、ライオネルはふと思い当たった。――その、あり得ない可能性に。
「……まさか、君たちにはあるってこと? 殿下がこんなことをする心当たりがあって……だから僕に探りを入れている……そういうことなの?」
確信などなかった。けれどそうとしか思えなかった。
その理由に、少なからずアメリアが関係しているのだと――。
「もしかして……これが関係あるのかな」
沈黙を貫き続けるルイスに、ライオネルは問いかける。
左腕でニックの身体を支え、右手でサーコートの内ポケットをまさぐった。そこから、髪飾りを覗かせる。
「この少年の脚に刺さってたんだ。刺したのは……彼女だよ」
「…………」
二人は一瞬たりとも止まることなく歩き続ける。
「ねぇ、ルイス。彼女はいったい何者なんだ? どうしてこんなものを持ち歩いているの? こんなの――まるで暗器じゃないか」
「…………」
「これ一本じゃないんだよ。僕が駆け付けたとき、もう一人男がいて、そいつの背中にも同じものが刺さってた。彼女が刺したってすぐにわかったよ。……ねぇルイス、彼女は普段からこんなものを持ち歩いているの? いったい何のために?」
その問いかけに、何事か考え込むルイス。再び沈黙が流れる。




