夜の『さんぽ』に出かけてみれば
条件「さ」「ざ」「ん」「ほ」「ぼ」「ぽ」を使ってはならない。
誰かに呼ばれたような気がして、ふと外に出かけた。暦の上では春とはいえ、まだまだ夜は冷える。日付が変わったばかりの時刻ということであれば余計にだ。
耐えかねて、スーパーで各種ミニカップと唐揚げを買いこみ、路地裏に入り込む。
ここは昔から空き地になっていて、冬から春にかけて綺麗な椿が楽しめるのだ。
しばらく忙しくて見にくることもなくなっていたが、ちょうどいい機会だ。ひとつ花見といこうじゃないか。
すると、珍しくそこにはお客がいた。真夜中だというのに、きりりとしたまなじりの和服美女がひとり立ちつくしている。
たまたまとはいえここは私有地。ストーカーに間違えられてはかなわない。慌てて回れ右をしようとしたところで、彼女に捕まった。
「誰にも顧られぬまま枯れるのは哀れではないか。お前もゆっくり見ていっておくれ」
もしかしてこの美女は、空き地の持ち主の知り合いなのだろうか。スーパーで買った飲み物と唐揚げをわけあい、椿を愛でることしばし。帰り際、せっかくだからと彼女から椿を枝ごとわけてもらった。
翌日、美女との衝撃的な出会いを悪友に話したら、気の毒そうな顔で軽く肩を叩かれた。生まれてこのかた恋人がいないせいで、とうとう妄想まで引き起こしたのかと。
昨日立ち寄った空き地は、数ヶ月前に貸し駐車場になってしまったのだという。それに伴いあの見事な椿も、すべて切られてしまったのだそうだ。
「毎年立派なものだったのに。もったいないな」
「まあ酔っぱらいの戯言だとしても、お前が見てくれたのだから、椿も満ち足りただろうよ」
夢ではない証拠に、部屋の中には確かに椿の花が活けられている。無精な男の一人暮らしゆえ、使っているものは華瓶ではなくお銚子なのだが。
なぜか、昨日出会った美女の艶やかな笑みが頭から離れなかった。せっかくなのでしばらくぶりに実家に戻って、庭に椿の枝を植えてやろうと思う。




