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フォルティス・オディウム  作者: たつみ暁
エクリュ編――魔王の娘、最後の勇者――
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第7章:南方の戦士(4)

 全員が茣蓙に座った中、ぱあん、と盛大に手を打ち合わせる音が、部屋に響く。

「おう! 俺様でもよくわかった!」

 シュレンダイン大陸は唯一王国が滅びて、『機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)』が支配している事、神を倒すには聖剣と魔剣が必要な事、その片割れ『オディウム』が南海諸島に持ち去られて、自分達はそれを取り戻しにきた事。

 とにかく、大きな事象だけを取り上げ、固有名詞以外は出来る限り簡単な言葉を選んだリビエラの説明に、キラは心底納得した様子で笑顔を弾けさせ、

「しかし魔剣って、ダヌ族のあの洞窟の事かなあ」

 すぐさま真面目な顔つきになり、視線を宙に馳せながら、頬をぽりぽりとかいた。

「知ってるのか」

「二年くらい前か。オルハと仲の悪いダヌ族ってのがな、大陸へ行って、何かお宝を持ち帰ってきたらしいんだよ。それを、満潮時には入口が海に沈む洞窟に隠した、って話があってな。それ以来、無駄に海が荒れる時があるんで、俺達も正直、困ってる」

 エクリュが腰を浮かせかけると、キラは神妙な表情でうなずく。

「在り処を知っているならば、案内してもらえると助かる」

 リビエラの隣で沈黙を保っていたロジカが口を開くと、しかしキラは「うーん」と首を捻った。

「俺としてもそうしたいのはやまやまなんだがな、でも」

「でも?」

 まだ警戒しているのか、メイヴィスが胡乱げな視線を向けると、「そう構えるなよ」と青年は苦笑して、すぐさま真顔に戻る。

「ダヌ族は、南方の魔族って呼ばれるくらい、凶暴な一族だ。みすみすあんたらを危険な目に遭わせたくない」

「怖じ気づきやがってるのではなくて?」

 リビエラが半眼になってじとりと睨めば、キラはゆるゆる首を横に振り、それから傍らのシステを振り向いた。

「システの仲間だろ。危ない橋を渡るのを放っておけねえ」

「ですから、仲間という表現は」

「仲間だろ」

 システが不機嫌そうに反駁しかけるのを遮って、キラは穏やかな笑みを彼女に見せる。

「こいつらは皆、あんたを心配して、探しにきてくれた。充分に立派な仲間だぜ」

 その言葉に、システは二度、三度、瞬きをして、

「仲間……」

 と、今更、初めて知った単語のように繰り返し、胸をおさえた。

 それを見届けたエクリュは、改めてオルハの長に向き直る。

「危険なのは承知だ。それでも、あたし達は行かなくちゃならない」

 そうして、かつてリビエラに『人にものを頼む時はこうする!』と教えられた通り、足を正座に組み直して、深々と頭を下げた。

「頼む。お前の力を貸してくれ」

 反応が無いので、顔を上げる。キラはそれまでの陽気な調子が嘘のように真剣なまなざしで、エクリュを見つめていた。エクリュも、じっとその黒い瞳を見つめ返す。ここで眼力に圧されて目を逸らしてはいけない、そう直感して。

 メイヴィスも、リビエラも、ロジカも、システも。誰も口を挟まず、視線だけが戦う無言の時間が過ぎる。

 やがて。

「強いな、あんた」

 ふっと青年が相好を崩した。

「ああ、負けだ、負け。あんたの勝ちだよ。あんたの自信に俺様も乗ってやる。一緒に行ってやるさ」

 その言葉を咀嚼するのに、しばらく時間が必要だった。が、協力してくれるのだ、と理解した途端、とてつもない安堵が胸に訪れる。

「じゃあ!」

 早速立ち上がろうとしたエクリュを、「まあ、まあ、待てって」とキラがやんわり制した。

「あんた達、海を越えてきてくたくただろ。見たところ、荷物も失くしてるみたいだから、新しい装備を用意してやる」

 言われてはたと思い出す。そういえば、ミサクに買ってもらった剣は、巨大烏賊(いか)もどきとの戦いの中で見失ってしまった。自分に語りかけていた青年は、『転移律』で荷物を一緒に運んでくれる事は無かったようだ。

「急がば回れ、って東方の古いコトワザがあってな」

 キラが白い歯を見せて、両腕を広げる。

「今夜は美味いもん食って、たっぷり寝ろよ。行動を起こすのは、それからでいいだろ」

 言われた途端、エクリュの腹がぐううう……と豪快に音を立てた。そういえば、朝は何も口にせず、昼もろくな食事を出来なかったので、身体が食べ物を求めている事を、ようやく思い出したらしい。

「エクリュ、貴女ねえ……」リビエラが呆れ顔で何かを言いかけて、諦めたのか口を閉じ。

「オレも厨房を手伝うから。何が食べたいの?」メイヴィスが訊いてきたので。

「肉と魚!」

 エクリュは高々と手を挙げて、一際大きな声で宣言するのであった。


 オルハ族の長による晩餐は豪勢だった。

 大皿に盛られた、色鮮やかな魚の尾頭付きの刺身。海老に小麦粉の衣をつけて揚げた天麩羅。貝類を惜しみ無く投入したスープ。根菜と葉物をドレッシングで和えたサラダ。『氷結律』で良く冷やした果物。そこに、メイヴィスが作った、鳥肉の照り焼きと、馬肉の胡椒焼きが加わった。

「ほら、食え食え! 遠慮無く食え!」

 車座になった一同の輪の中で、五枚茣蓙を降りて同じ目線の高さになったキラが、麦酒(エール)を飲みながら豪快に笑う。初めて口にする物が多くて、最初は戸惑い気味だったエクリュ達だが、刺身はとろけるように舌の上で消え、天麩羅は熱々。スープはこくがあって、しかし決して後味がしつこくない。サラダは何か隠し味があるのか、ぴりりと鼻に抜ける。「山葵(わさび)ではないだろうか」とロジカが分析していた。

 そして、メイヴィスが焼いてくれた鳥肉にかぶりつけば、エクリュでは絶対に出来ない絶妙な焼き加減による脂がしたたり落ち、馬肉も美味しく食べられた。彼の腕前にはキラも感心したらしく、

「なあ、うちの厨房の連中に、焼き方教えてやってくれよ! 何せ魚主食で暮らしてるから、肉を上手く扱える奴がいなくてよ!」

 と、がっちり少年の肩を抱き、メイヴィスは、何か嫌な事を思い出したような苦々しい表情をしていた。

 こんなふうに、緊張していない空気で食事をするのは、何だか久しぶりだ。シャンテルクに向かう朝以来かもしれない。

 そんな事を考えながら果物にかじりつくと、気が散っていたせいか、果肉が喉にひっかかってしまった。げほげほむせ込みながら、傍にあったグラスを引っつかみ、一気にあおる。たちまち喉の奥が熱を帯びたが、気にせず飲み下す。すると、キラの腕から逃れたメイヴィスが、吃驚(びっくり)した様子で声を張り上げた。

「エクリュ、それお酒!」

「んあ?」

 彼が言い切るが早いか、たちまち身体がかっと熱くなって、視界がぐらりと揺れる。そのままあおのけに倒れていきそうだった身体を、即座に駆け寄ってきた少年が支えてくれた。

「あれ? 誰だ、果実酒を置いた奴?」

「間違えないでよ……」

 キラの心底呑気な声と、メイヴィスの呆れ果てた声が、わんわんと耳にこだまする。

「まあ、その調子じゃ、もう食えねえだろ。部屋は用意してあるから、寝かせてやれよ」

「わかった」

 男二人のやりとりの後、ふっと、身体が浮き上がる感覚が訪れる。『天空律』で宙を飛んだ時とはまた違う、心地良い揺れに、エクリュの意識はふわふわと夢現の狭間を漂うのであった。


(こんなに軽いんだな)

 エクリュを抱き上げ、キラに教えてもらった部屋まで運びながら、メイヴィスはそれを実感していた。

 たとえ人間離れした力を持つ、魔王と勇者の娘といえど、エクリュはれっきとした年頃の少女だ。だが、よくよく腕や足を見れば、青春時代を奪われた証である古い傷痕がいくつも見える。いかに彼女が、同年代の娘がするような、お洒落や恋から遠い場所で生きてきたかが、うかがえるのだ。

 自分も生まれる前から、心臓に埋め込まれた『化身律』の為に、人間としての尊厳を奪われた。今でこそ、虎への化身は自分の意志で左右出来るが、幼い頃はそれがかなわず、結果、悲劇を引き起こしてしまった。だが、ミサクとの関係がぎくしゃくし始めたのは、その時からではなかった気がする。

 考えている間に、エクリュにあてがわれた部屋についたので、そっと木戸を開く。簡素な寝台の傍らにあるサイドテーブルの上で、仄かに灯るランプが、室内をぼんやりと照らしている。

 寝台にエクリュを横たえ、掛け布を胸元まで引き上げてやり、去ろうとした時。服が引っ張られ、メイヴィスは軽くつんのめりかけ、咄嗟に立ち直ると、寝台を振り返った。

 エクリュが手を伸ばしている。その手はこちらの服の裾をしっかりとつかんでいる。

「……さん」

 小さな呼びかけが聞こえた気がして、メイヴィスは少女の薄い唇に耳を寄せた。

「かあさん」

 今度は、はっきりと聞き取れた。はっとして視線を上げれば、閉じられたまぶたの端に浮かんだ水分が、ランプの火で赤く光っている。

 そうだ。シャンテルクで会った彼女の母は、デウス・エクス・マキナに乗っ取られていた。取り戻せなくて、母娘として話せなくて、彼女はどんなに寂しかっただろう。普段は、世間知らずの上に怖いもの知らずで、猪突猛進に突っ走る彼女だが、きっと心の奥に押し込めているものが、色々とあるに違い無い。

 そして思い至る。自分も母親の事は憶えていない、と。ただ、『優しい女性(ひと)だった』とミサクが語るのを聞いただけだ。

 自分が、殺したのだ。

 無意識に、うなじの辺りに手をやる。自分の髪を結わいた古いリボンは、元は真っ白だったが、何度洗っても決して落ち切らなかった血痕がある。母の形見だ。そこでやっと思い出す。ミサクに素直に接する事が出来なくなったのは、このリボンを受け取った後からだと。ミサクは自分に罪の意識を持たせようとしたのだと思い込んだのだ。

 だが、今ならわかる。彼にそんな意図は無かった。ただ、家族も帰る場所も全てを失い、何も息子に遺せなかった母の唯一の遺品を、託してくれただけなのだ。それなのに、勝手に深読みをして、彼を恐れ、一線を引いて心を遠ざけてしまった。もう、正せない過ちだ。

 だから、エクリュには後悔して欲しくない。必ず母親を取り戻して、笑顔でいて欲しい。

「かあさん」

 少女のか細い声が、また発せられる。彼女はどんな夢を見ているのだろうか。

 せめて、優しい夢になるように、と。

 メイヴィスは寝台の縁に腰掛けると、少女の手を取り、優しく包み込む。すると、きゅっと、子供が親にすがるように、少し強い力で握り返された。

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