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フォルティス・オディウム  作者: たつみ暁
番外編1――失われてゆく日々の中で――
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03:泳げない金魚達

 唯一王国アナスタシアでは、四季ごとに祭りがある。秋の収穫祭、冬の年越し祭、春の王国祭、そして今回の、夏の納涼祭だ。

 とてもそんな気分ではないだろうが、少しでも彼女の気が晴れるならと、少し強引に手を引き、彼女の侍女に見送られて、城下へ繰り出した。

 大通りは涼しさを演出する為、青い色を放つよう改良が施された『燈火律』が、均等な間隔で飾られ、屋台が軒を連ねて、大声で客を呼び込んでいる。

「あれは何?」

 それまで手を引かれるまま、ぼんやりとした頼り無い足取りで歩いていた彼女が、不意に歩みを止め、ひとつの屋台を指差した。大人一人分ほどの大きさの水槽に、赤、黒、出目が所狭しとひしめき合う。

「ああ、金魚すくいだ」

「魚をわざわざ、あんな小さい所で捕るの?」

 成程、王都で育った自分には見慣れた光景だが、自然に囲まれた山奥暮らしだった彼女には、奇異に映るだろう。

「やってみるか?」

 問いかければ、彼女は小さくうなずき返したので、屋台に近づき、彼女の手を離して、イージュ銅貨を屋台の主人に渡す。それと引き替えに差し出された、薄い紙の貼られた用具――ポイを、彼女の手に託す。

 右手にポイを、左手に器を手にした彼女は、水槽の前に屈み込み、ひどく真剣な目つきで、金魚の動きを追う。

 そして、右手を振りかぶり。


 うう、と。惨めさに満ちた唸り声が耳に届くのには、聞こえない振りをするのが親切だろうと思い、黙って歩き続ける。

 彼女が振りかぶったポイは、勢い良く水に突っ込まれ、そこに見事に出目が泳いできて、悠々と紙を破いていった。こういう屋台では、金魚すくいのこつを知らずに一発でポイを破る客が多いので、必ずお情けで一匹もらえるのだが、彼女が持つ透明な袋の中で、細身の赤い金魚は、所在無げに漂っている。

 一匹だけというのも可哀想だが、持ち帰り、侍女に鉢と水草を用意してもらって、そこに泳がせるか。そう思案していると。

「ねえ」

 不意に、先程までの恨めしそうな声音ではなく、何かを思う様子で、彼女が呼びかけたので、足を止め、振り返る。

「どこか、川は無い?」

 突然の問いかけに、しばしぽかんとしてしまうが、彼女の考えているだろう事に思い至り、

「用水路なら、そっちに」

 と、大通りから少し外れた裏道へ、彼女を案内する。

 屋台の喧噪も、『燈火律』の淡い光も遠ざかった、月と星の光が映り込む、薄暗い用水路で、彼女は腰を屈め、袋の口を開ける。

「ほら、お行き」

 狭い袋から解き放たれた金魚は、しばし戸惑うように尻尾をばたつかせていたが、ある瞬間に、すいっと泳ぎ出すと、用水路の暗がりへと消えた。

「……これでいいのよ」

 膝を抱えて、金魚の消えた方向を見つめたまま、彼女はぽつりと呟く。

「泳げるなら、自由な方がいい」

 それはまるで、この世界で自由に泳げない、自分達を嘲笑っているかのようで。

 言葉は、口をついて出ていた。

「僕達も、このまま泳いで逃げるか?」

 すると彼女は、弾かれたようにこちらを向いた。軽い驚きに目を見開き、しばし継ぐべき言を見失っていたようだが、やがて、泣き出しそうにくしゃりと微笑む。

「駆け落ちのお誘いとしては、及第点じゃあないわね」

 そう言われては、こちらも苦笑を返すしか無い。

 泳げない、自由にならない、唯一王国という鉢の中から逃れられない駒の自分達は、この夏が終わったら発つだろう。彼女の愛する男を殺す旅路へと。

 今、彼女の手を取り、本当に魚になって、逃げ出す事が出来るならば。誘ったら、彼女は首肯してくれるだろうか。そう思案して、馬鹿馬鹿しい、と首を横に振る。考えの突飛さにもだが、それ以上に。

 彼女が共に逃避行をしたいだろう相手は、唯一人しかいないのに。それを思うだけで、胸に刺さる棘がある。

 涼しい風が吹き始めて、暑い季節の終焉を告げる。

 この一時の平穏もうたかたのように消えて、その後には、血に塗れた道程が、両腕を広げて待ち構えているのだろう。

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