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フォルティス・オディウム  作者: たつみ暁
番外編2――失われて、取り戻す――
122/124

09:比翼連理でどこまでも(4)

『この、馬鹿者が!』

 覚醒の頃合いだと身体が判断して、意識を取り戻したシステが耳にしたのは、古海上語での罵声と、殴打の音だった。

『何故、私の意志を無視して勝手に動いた!?』

『し、しかしゲ=ラハ』

『我々は先代ゲ=ルドの遺志を継ぎ、宿敵オルハを今こそ滅ぼす為に』

 よく通る男の声が怒りを露わにすると、おろおろと狼狽えた言い訳が返ったが、それに対する答えは、更なる打撃音だった。

『ゲ=ルドは死んだ。今は私が長だ。意見の違いがどうあれ、長の意向に従う事は、この諸島の民の在り方であろう』

 先程までの激昂とは打って変わって、静かに、しかし有無を言わせぬ低さを持った声が放たれる。ゲ=ラハとは、ダヌ族の今の長の名だ。彼の顔を見ようとして目を開けたシステの視界に映ったのは、石の床だった。視線を転じようとしても、身体がなかなか思い通りに動かない。そこで初めて、システは自分の手足が縛られて、床に横様に転がされている事に気づいた。

 摂理人形(テーゼドール)の能力を持ってすれば、この程度のやわい縄抜けは簡単に出来る。だが、今ここで下手に縄を解いて起き上がる事は、再び危害を加えられる恐れがあると秩序(システム)が判断し、きゅっと唇を噛んで、成り行きに身を任せる事にした。

 すると、かつかつと足音が近づいてきて、縛めを解いてくれる感覚が訪れる。ゆっくりと身を起こせば、日に焼けた精悍な男と視線が交わった。歳の頃は三十を過ぎたばかりだろう。意志の強そうな黒い瞳は、あの人と共通している。

「済まなかった。オルハの長の、奥方殿」

 その声で、彼がゲ=ラハである事を悟る。大陸語で話しかけられたが、先程古海上語で話していた時より少々拙いので、不得手なのだな、と判断したシステは足を揃えて座り直し、

『話しやすい言葉でお話しください』

 と古海上語で返す。途端、ゲ=ラハが黒い瞳を軽い驚きにみはった。

『キラには勿体無いくらい聡明なお嬢さんだと聞いていたが、この言葉まで流暢に話されるとは、本当に、相当な学があるのだな』

 実際のところは、学んだのではなく、生まれつき遺伝子基準で授かっていた為、努力など必要無かった。だが、今はそれを語る時ではないと思い至り、代わりに質問を放つ。

『今回の事は、貴方の望むものではなかった、という解釈でよろしいでしょうか』

『ああ』

 ゲ=ラハが神妙にうなずく。卑怯で傲慢だった先代と違い、本当に心根のまっすぐな青年のようだ。

『お恥ずかしい話だが、私もまだダヌの全てを抑えきれている訳ではなくてね。ゲ=ルドの強硬姿勢を支持する者はまだまだ絶えないのだ』

 それはそうだろう。部族同士で埋められない百年の溝だ、部族内でまとめる事さえ、数年、ないしは数十年を要するに違い無い。実際、ダヌ族と歩み寄りを見せると言い張ったキラを、「若は牙が折れたか」と嘲る者がオルハの中に出たのも事実だ。

『ですが』

 だが今、ゲ=ラハの声色からは、やましいところも、後ろ暗さも感じ取れない。彼の言い分が真実で、全てである事を、如実に示している。だからシステは、彼をこう評した。

『貴方の態度は真摯です。貴方がキラと本気で向き合ってくれていると判断します。それなのに何故、前回の対話は失敗に終わったのか、わたしには理解しかねます』

 疑念を付け加えると、ゲ=ラハは虚を衝かれたような表情をし、一瞬言葉を失った。

『そこまで見抜かれているとは、本当にキラは、良い嫁を見つけたな』

 彼は面映ゆそうにがりがりと茶金の髪をかき回し、すっと半眼になる。この眼力で民を説き伏せてきたのだろうとシステが考える中、彼は先を続けた。

『彼が本気で南海諸島の平和を考えているのは、一度話せばわかる。だが、彼はまだ、長としては雛なのだ。力強く羽ばたくには、あと一歩足りない』

 鳥の雛にたとえて言う辺りが、ゲ=ラハなりの冗句(ジョーク)なのだろう。だが、その評価は厳しく、彼がまだキラを認めきっていない事がうかがえる。

 その『あと一歩』とは何なのだろうか。システが口を開く前に、『ゲ=ラハ!』と、驚きを包括した声と共に新たなダヌ族が部屋に飛び込んできた。

『オルハの小僧が来ました!』

『兵を連れてか?』

 ゲ=ラハがすっと目を細め、短く問う。ダヌ族の男は『いえ、それが……』と、戸惑った様子で答えた。

『一人で。しかも、丸腰で』

 それには流石のシステも、言葉を失ってしまった。てっきり自分を助ける為に、ダヌ族との友好交渉も水泡に帰す覚悟で、乗り込んでくると思っていたのに。

 だが、ゲ=ラハはそれを予測済みだったらしい。『そうか』と満足げにうなずくと、『通せ。こちらも手は出すなと、重々皆に言い聞かせよ』と、やや低い声で部下に命じた。

 部下が去ってからの時間は数分だったのだろうが、システには数時間に感じられる。待つ、というのはこんなにももどかしいものなのかと思い知り始めた頃、ダヌ族に連れられて、赤茶の髪の青年が入ってきた。

「システ」

 耳に心地良くなった声で名を呼ばれると、どっと安堵が胸に押し寄せた。そう、これは安堵だ。立ち上がり、胸に飛び込む勢いで彼のもとへ駆け寄ってゆく。

「無事で良かった」

 抱え込むように抱き締められ、くしゃくしゃと頭を撫でられる。半日会っていなかっただけなのに、もう何年も断絶を経たかのごとき懐かしさを感じて、彼の逞しい胸に頭を預けた。

 だが。

『無事で良かった、は、オルハに帰り着いてから言うべきではないかな?』

 先程までのシステに対する穏やかな口調はどこへやら、冷たさすら帯びた声色で、ゲ=ラハの言葉が投げかけられた。キラがシステを抱く腕に力を込め、システもはっと振り返る。ダヌ族の長は、部下達を背後に下げながらも、挑戦的な視線でキラを射抜いている。

『私がお前を叩く絶好の機会を、逃すと思っているのかね?』

 システの秩序を持ってしても、彼の本音を読み取れない。思わず身を固くしたが、とんとんと、なだめるように背中を叩かれた後。

『逃すだろ』

 古海上語で、キラはにやりと笑った。

『あんたは、武器を持たない相手を潰したりしねえ。わかったんだよ。あんたが何で俺様の話に応じてくれなかったのかが』

 その言葉に、システはまじまじと夫の身をあらためる。いつもの背中の大剣はおろか、腰に帯びていた守り刀や、隠し武器の一切を帯びていない。完全な徒手空拳で、システを助けにきたのだ。何をしているのかと軽い驚きが過ぎ去った後、ここまでの二人のやり取りを反芻して、システの脳内にひとつの確率が浮かぶ。その予感をたしかなものにするかのように、ゲ=ラハが両手を打ち合わせて拍手を送ってきた。

『やっとわかったか、この若鳥が』

『やっとで悪かったな』

 愉快げに笑うゲ=ラハに、キラも面映ゆそうに返す。

 そう、キラは対話の場へ向かう時も、常に帯剣し、武器を持った部下を連れていった。刃を右手に持ったまま「仲良くしよう」と左手を差し出す相手に、握手を返す愚か者はいない。ゲ=ラハは待っていたのだ。キラがそこに気づくのを。

『まあ、及第点だろう!』

 ゲ=ラハが膝を叩いて大笑し、システを指差してくる。

『今回は、我々にも非があった。そのお嬢さんに免じて、今日はこのまま帰ると良い』

 そして彼は、にい、と楽しげにすら見える満面の笑みを浮かべる。

『次に会う時は、お互い素手を握り合おう』

 それは、敵対してきた相手への挑発ではなく、これからの道を並んでゆく友へ向けた、歩み寄りの言葉であると、システにもわかった。

 きっと、キラにも伝わったのだろう。

『……ああ』

 うなずき返す彼の瞳にも、希望の色が宿っているのを、システは至近距離でたしかに見届けた。


 数週間後。雲一つ無い青空が広がる、良く晴れた一日の始まり。

 システとキラは、ティヤを伴い、白い砂浜へ来ていた。システの手の中には、いつか拾った鳥の雛。すっかり羽が抜け替わり、飛べる翼となって、体格も大人の鳥とほとんど変わらない。システ達が面倒を見てやった成果であった。

「お別れです」

 システが小鳥を見下ろして告げると、まるで彼女の言葉がわかったかのように、小鳥はちょこんと首を傾げて、ぴいぴいと鳴いた。すっかりシステを親と思って、慕っているのだろう。しかし。

「駄目です」

 紫の瞳を細めて、システは突き放すように言い聞かせた。

「鳥は地上を離れて飛んでゆくもの。それが世界の秩序です」

 そうして、半ば放るように両手を勢い良く持ち上げる。急に宙に放たれた小鳥は、しばらく翼をばたつかせていたが、やがて空気の流れをつかむと、風に乗って舞い上がり、朝の陽光に照らされる海の向こうへと飛び去ってゆく。

「……行っちゃいましたね」

「はい」

 ティヤが名残惜しそうに呟くのに、システは相変わらずあっさりした調子で応える。だが、その顔には、寂寥感とも言える感情が、たしかにうかがえた。

 うつむくシステの頭に、大きな手が乗せられ、わしゃわしゃと髪をかき回される。キラの手だと気づいて顔を上げれば、「落ち込むのはそこまで」と、夫はシステを元気づけるかのように、一層闊達な笑みを浮かべて、並びの良い白い歯を見せた。

「鳥は飛ぶのが役目。俺様達は、俺様達の役目を果たそうぜ」

 そう。鳥は海の果てまでも飛んでゆける。ならば、彼らの止まり木を燃やさないよう地上を守るのが、人の使命だ。

 この人となら、それが出来る気がする。システはそう予感して、

「はい」

 と深く首肯する。

「仲良しですねえ」

 ティヤが羨ましそうに笑声をあげるのが、波の音と共に、心地良く耳に滑り込むのであった。

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